毎日放送
近畿広域圏のTBSテレビ系列準キー局、MBSメディアホールディングス傘下中心企業 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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この項目では、近畿広域圏のテレビ局について説明しています。その他の用法については「毎日放送 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
株式会社毎日放送(まいにちほうそう、英: MAINICHI BROADCASTING SYSTEM, INC.、略称 : MBS)[注釈 1]は、MBSメディアホールディングスの連結子会社で、近畿広域圏を放送対象地域(エリア)とするテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者。
本館(左・M館)と新館(右・B館) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | MBS(エムビーエス) |
本社所在地 |
日本 〒530-8304[1] 大阪府大阪市北区茶屋町17番1号[1] 北緯34度42分30.5秒 東経135度29分59.5秒 |
設立 |
2016年(平成28年)7月28日[1] (毎日放送分割準備株式会社) |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 3120001199924 |
事業内容 | 放送法による基幹放送事業(テレビの放送)放送番組の企画、製作ならびに販売 ほか[1] |
代表者 |
代表取締役社長 |
資本金 |
1億円 (2020年3月31日現在)[2] |
発行済株式総数 |
2,634万9,800株 (2012年6月21日現在) |
売上高 | 528億4300万円(2022年度)[2][3] |
営業利益 | 23億6000万円(2022年度)[2] |
経常利益 | 24億2600万円(2022年度)[2] |
純利益 | 16億2300万円(2022年度)[2] |
純資産 |
191億1800万円 (2023年3月31日現在)[2] |
総資産 |
285億8100万円 (2023年3月31日現在)[2] |
従業員数 | 641人(2022年5月現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
株式会社MBSメディアホールディングス 100%[1] |
外部リンク | https://www.mbs.jp/ |
特記事項:1950年12月27日に新日本放送株式会社として創業(法人としては現在のMBSメディアホールディングス)。現法人の株式会社毎日放送は、2017年4月1日に放送持株会社移行に伴い、毎日放送分割準備株式会社から商号変更[1]。 | |
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毎日放送 | |
---|---|
英名 | Mainichi Broadcasting System, lnc. |
放送対象地域 | 近畿広域圏 |
ニュース系列 | JNN |
番組供給系列 | TBSネットワーク |
略称 | MBS |
愛称 |
MBSテレビ MBS毎日放送 |
呼出符号 | JOOY-DTV |
呼出名称 |
まいにちほうそう デジタルテレビジョン |
開局日 | 1959年3月1日 |
本社 |
〒530-8304 大阪府大阪市北区茶屋町 17-1 |
リモコンキーID | 4 |
デジタル親局 | 大阪 16ch |
主なデジタル中継局 | 奈良県生駒市鬼取町662番地(親局) |
公式サイト | https://www.mbs.jp/ |
特記事項: 1975年3月30日までは、ANNの準キー局としてNET(現・テレビ朝日)系列に属していた。 | |
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通称はMBS(エムビーエス)。TBS系列(JNN)の準キー局で、コールサインはJOOY-DTV(大阪 16ch)[4]、リモコンキーIDは「4」。
2017年4月1日、初代法人の株式会社毎日放送が認定放送持株会社に移行したことにより、商号を「株式会社MBSメディアホールディングス」に変更、放送事業などの現業全般は会社分割により設立された2代目法人の「株式会社毎日放送」(旧:毎日放送分割準備株式会社)が継承した。商号と営業上、初代法人と2代目法人は連続しているため、以下では特記以外は連続して記述する[1]。
TBSテレビをキー局とするジャパン・ニュース・ネットワーク(JNN)の基幹局。JNNでは「五社連盟」に加盟しており、TBSホールディングスの大株主でもある。Gガイドの番組データの配信を行っており[注釈 2]、かつては民放テレビ局がNNN/NNS系列局のみである徳島県にもアナログGガイドの番組データの配信対応をしていた[注釈 3]。
また、MBSがテレビ放送を開始してから腸捻転を解消するまでの16年1か月の間は、NETテレビ(現在のテレビ朝日)をキー局とし、オールニッポン・ニュースネットワーク(ANN)にも属していた[注釈 4]。これと同時期に、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)ともネットを結んでいた(詳細は後述)。
2011年7月24日の地上デジタル放送完全移行を機に、同日付の新聞・テレビ情報誌などの表記が、(テレビ放送)開局以来使われてきた「毎日テレビ」(または「毎日」)から「MBSテレビ」(または「MBS」)に統一された。地上デジタルテレビ放送のGガイドでは「MBS毎日放送」と表記している。2011年7月23日までは一般呼称を「毎日放送テレビ」としていた他、単にMBSと呼称される場合や、アナログ時代には新聞などのラジオ・テレビ欄では「毎日テレビ」と表記されていたが、中日新聞(伊賀・紀州・滋賀・福井版のみ)と日刊県民福井ではラジオと同様「毎日 MBS」と、スポーツニッポンと日刊スポーツ、神戸新聞、デイリースポーツでは「毎日」と表記されていた。なお、当時はラジオ部門とは異なり、「MBSテレビ」と呼称されることは稀であった。
2017年(平成29年)4月1日に商号を「MBSメディアホールディングス」へ変更するとともに、テレビ・ラジオ両放送事業を「(新)毎日放送」が引き継いだ。その後、2021年4月1日にはMBSメディアホールディングスの完全子会社として新たに設立された「株式会社MBSラジオ」に毎日放送が保有してきたラジオ放送免許とラジオ放送事業を承継し、テレビ単営局へと移行した[1]。
在阪放送局中、同社と朝日放送テレビ、関西テレビの3社は各々の在京キー局(TBSテレビ、テレビ朝日、フジテレビ)より開局が早い。これは、この3社とキー局3社とは設立当時それぞれがまったくの無関係だったことによる。ただし、ラジオ放送開始が日本でも最古参なのとは裏腹に、テレビ放送開始は在阪局の中でも4番目と遅く、放送開始日は現キー局のTBSテレビより約4年、旧キー局のテレビ朝日(当時は日本教育テレビ〈NETテレビ〉)と比べてもほぼ同時期だが1か月遅れている。一方、読売テレビとテレビ大阪はそれぞれのキー局の意向で設立されたため、キー局よりも遅い開局となっている。
RKB毎日放送とは繋がりが強く、ラジオ番組の共同制作や共同セールスを行ったり、テレビでは腸捻転時代も九州朝日放送(KBC)の編成から外れた自社制作番組を販売またはスポンサードネットしていた他、健康保険組合を共同で設立するなど姉妹会社の様相を呈している。なお、アナログ親局やデジタル放送におけるリモコンキーIDも同じ「4」となっている。三菱UFJ銀行やりそな銀行とも関係が親密である。
FM802には、ニッポン放送とともに主要株主として設立に携わっている。設立時にはニッポン放送から編成、毎日放送から営業の責任者が出向していた。現在でも、イベントを共催することが多い。2019年(令和元年)7月には、FM802および同社が運営するFM COCOLOとの間で災害情報共有パートナーシップ協定を締結した[5]。
本社
- 所在地:〒530-8304 大阪府大阪市北区茶屋町17-1
- 交通 : 大阪梅田駅 (阪急) 茶屋町口から徒歩約5分。JR西日本 大阪駅、大阪梅田駅 (阪神)、大阪市高速電気軌道 梅田駅・中津駅・東梅田駅・西梅田駅から徒歩約10分。
- 一部の番組には「番組専用郵便番号」が存在する[注釈 5]。
在阪テレビジョン放送局の中でも人通りが多い場所にあり、本社前は、平日では通勤者の通り道にもなっている。近隣には、梅田芸術劇場が入居する「ちゃやまちアプローズ」、阪急電鉄本社ビル、梅田ロフト、NU茶屋町などの業務・商業施設が立ち並び、阪急神戸・宝塚・京都各線の大阪梅田駅 - 中津駅間およびJR京都線大阪駅 - 新大阪駅間を走行する列車の車内から現社屋ビルを確認可能である。上部部分は「M」の文字を象った形をしている。「毎日」(Mainichi)をイメージした造型だとの文献も散見されているが、当時この空域でNTTの電波が送信されており、建物の高さ制限があったため、このデザインとなった[要出典]。
歴史
現在の社屋は、1990年(平成2年)9月1日に大阪市北区茶屋町の阪急百貨店流通センター跡地に本館(現:M館)が完成。毎日大阪会館にあった営業・経理などの本社機能と、千里丘放送センターにあった報道局などの部署、千里丘で制作されていたテレビ・ラジオ番組の一部を除いて茶屋町の新社屋に移転して[注釈 6]、同日からテレビは2日間、ラジオは5日間にわたって、開局40周年・新社屋放送開始記念の特別番組を制作・放送した。
同日のグランドオープン以来、1階の大半を「アトリウム」(オープンスペース)としてテレビ・ラジオ番組の生中継・収録や各種イベントに利用。「MBSグッズショップ」(旧名称は「エムぞうの店」→「ネビュラ」)やタリーズコーヒーの支店(1990年のオープン当初は「スターシップ」というレストランだった)も入居していた。2階では、オープン当初、「ギャラクシーホール」という名称でコンサートホールの機能を持たせていた。後に、「ギャラクシースタジオ」へ転用。テレビの生放送番組や公開収録・イベントに用いられていた。
2010年7月、本社北側に免震構造の地上15階地下1階の新館(完成に伴い「B館」と呼称[6])を建設することを発表。大阪市から「企業・大学等立地促進助成制度」を適用され[7]、2011年4月に着工、2013年9月4日に竣工した。新館がB館という名称になったことに伴い、本館は「M館」の名称が付けられた。ちなみに、「M館」「B館」という呼称は、毎日放送の略称である「MBS」に由来している。ただし、「B館」の運用開始時点で、正式に「S館」という呼称を付けた施設・社屋は実在しない[注釈 7]。
「B館」は、MBSテレビのチャンネル番号(4)とMBSラジオの周波数(1179)にちなんで、2014年4月4日午前11時7分9秒にグランドオープン[8][9]。MBSラジオでは、『MBSグランドオープンスペシャル 上泉雄一のええなぁ!公開生放送』(月-金曜にレギュラー放送中の生ワイド番組『上泉雄一のええなぁ!』がベースの記念特別番組)の中でその瞬間を伝えた[注釈 8]。
「B館」には、完成時点で存在していた千里丘ミリカセンターから機能移転した中継基地(中継車車庫含む)、「MBSスタジオ in USJ」から機能を移転させたテレビ番組用の2つのスタジオ、オフィス、ヘリポート、高さ約36m(地上からの高さ約117m)の電波用鉄塔などを設置。従来の社屋(「B館」の竣工を機に「M館」と呼称[6])とは、2・12・13階に設けた渡り廊下で接続する。2015年4月20日には「M館」で運用していた主調整室(マスター)を更新に伴い移転し運用を開始した[注釈 9]。
「B館」の運用を開始する2014年4月4日から、特別番組の放送や視聴者も参加できる記念イベント(「1万人のテープカット」「チャリウッド2014」など)を開催。「M館」(本社屋)の1階でもB館建築により大幅な改修工事が行われ、タリーズコーヒーのスペースを移動させたうえで、跡地に在阪放送局の社屋内では初めての試みとして、「らいよんデイリーストア」(デイリーヤマザキに「MBSグッズショップ」の機能を統合させたコンビニエンスストア)を開店した。「M館」では、「ギャラクシースタジオ」の名称を「Cスタジオ」へ変更する一方で、「Cスタジオ」を「ギャラクシーホール」として運用していた時期に活用していた1階のエントランスおよび「アトリウム」を一般にも利用できる「ちゃやまちプラザ」(放送上の通称は「ちゃプラステージ」)にリニューアル。旧エントランスを「ちゃやまちプラザ Live Space」、旧「アトリウム」を「ちゃやまちプラザ Lobby Space」として、番組の生中継・公開収録やイベントなどで定期的に活用するようになった[10]。「ちゃやまちプラザ Live Space」については、『MBSグランドオープンスペシャル 上泉雄一のええなぁ!公開生放送』から、番組での使用を開始した。M館のほぼ南(「らいよんデイリーストア」西口の隣)に位置している「マーらいよん石像モニュメント」は、木目のベンチと一体になっていて、石像の視野が西側へ向くように設計されている。
当社がテレビ放送事業開始60周年を迎えた2018年からは、生放送への対応や報道・制作両局間の連携を強化する目的で、「M館」の2階を「ライブセンター」として新装する工事に着手。Cスタジオ(ギャラクシースタジオ)を含むスペースを、生放送の情報番組と連動した「情報フロア」へ改装したうえで、2019年1月28日(月曜日)の『ちちんぷいぷい』(テレビの生放送番組)から運用を開始した[11][12]。さらに、M館1階の「ちゃプラステージ」も、「ライブセンター」へ組み込むことを前提に改装された[13]。
日本国内の支社・支局
- 東京支社
- 2008年(平成20年)2月12日より、パレスサイドビルディング(東京都千代田区一ツ橋1丁目1番1号・毎日新聞東京本社も入居)内から旧・赤坂メディアビル再開発計画である複合施設『赤坂サカス』の中核をなす高層ビル「赤坂Bizタワー」に移転。生放送に対応したラジオ・テレビ兼用の多目的スタジオ「MBS Tokyo Biz Studio」を設置しており、東京での番組制作などで使われる。本社(茶屋町)と東京支社は常設回線で結ばれており、東京支社内で毎日放送のテレビ・ラジオ放送がリアルタイムに視聴できる。赤坂Bizタワーはキー局のTBS HDが所有している土地・建物であり、TBSHDの敷地内に毎日放送東京支社があることになる[注釈 10]。
- 京都支局[14]
- 神戸支局
- 兵庫県内の報道取材拠点で、報道局から若干名の記者が常駐している。
- 名古屋支局
- 徳島支局[20]
日本国外の支局
現在は、パリ(フランス)と上海(中国)に設置。いずれも、毎日放送の活動拠点にとどまらず、JNNの国外支局(放送上の名義は「JNN〜支局」)としても機能している。かつては、マニラ(フィリピン)にも支局(放送上の名義は「JNNマニラ支局」)を設置。2017年10月にパリ支局を自社で開設[注釈 11] するまでは、ベルリン(ドイツ)に支局(放送上の名義は「JNNベルリン支局」)を設置していた[22]。
過去に存在した施設
千里丘センター
MBSスタジオ in USJ
シアターBRAVA!
設立
第二次世界大戦終結から間もない1947年(昭和22年)、GHQが「放送基本法」と「電波三法」(放送法・電波法・電波監理委員会設置法)の立法措置を指令し、1950年(昭和25年)6月に施行された。これを契機に「民間放送」の設立が日本各地で相次ぎ、施行前の1950年4月21日、民間放送会社16社に予備免許が下りた。新日本放送株式会社(しんにっぽんほうそう、略称 NJB、英称 New Japan Broadcasting System,Inc.)は、このうちの一つとして関西政・財界の支援の下、毎日新聞社と京阪神急行電鉄(現:阪急阪神ホールディングス)と日本電気(NEC)を中心に設立された。実際に創立の中心となったのは、毎日新聞社を依願退職した高橋信三であった。
高橋は民間放送の将来性と必要性を説き、毎日新聞社時代に培った個人のコネクションをフルに利用して出資者や番組スポンサーを募集。設立途中で出遅れた朝日新聞社の机上案に過ぎなかった朝日放送との合併工作という横槍を頑として撥ね付け、現在でもその録音が残る朝日側との激しい公聴会のやりとりの末、漸く新日本放送の開局に漕ぎ着けた。 京阪神急行電鉄の資本が入っていた関係で、開局当初は系列企業であった阪急百貨店(現・うめだ本店)屋上に本社・スタジオを構えており、スタジオで行われる公開録音の観覧者のために、百貨店の休業日に関係なく利用できるエレベーターが設置されていたという[注釈 12]。
民放初の試験電波発射
新日本放送設立翌年の1951年(昭和26年)7月8日、22時00分 - 22時30分。日本の民間放送として初めて試験電波を発射した。電波管理局(「監理局」ではない)の指示により「NJB」と「JOOR」というアナウンス、レコード音楽のみであり、7月12日、26日にも実施された。
1951年(昭和26年)8月15日には、日本の民間放送ラジオ局の第2号としてサービス放送を開始した。当日は12時00分、14時00分、16時00分、18時00分、20時00分から各1時間放送された。なお、試験放送は民間放送で最も早く開始したものの、本放送の開始は1951年(昭和26年)9月1日正午と中部日本放送(現・CBCラジオ)より5時間半遅れているため、単独ではCBCラジオが日本初の民間放送として扱われる。ただし日付上は同日の開局であるために、両者併記されることもある。当時のキャッチフレーズは「あなたの民間放送」であった。
テレビ放送の開始
1956年(昭和31年)12月1日、朝日放送(現・朝日放送グループホールディングス)・朝日新聞社・毎日新聞社(新日本放送の大株主)と合弁で大阪テレビ放送株式会社(おおさかテレビほうそう 略称 OTV、JOBX-TV 6ch)を設立してテレビ放送に参入した。 その後、大阪地区ではもう1つテレビチャンネルが割り当てられ、ともに独自のテレビ局を持ちたい朝日放送と新日本放送は、別々に免許を申請。競願の結果、朝日放送は大阪テレビ放送と合併する事となり、新日本放送は1958年(昭和33年)6月1日に商号を「株式会社毎日放送」(まいにちほうそう、略称・MBS)に改め、大阪テレビ放送から資本と役員を引き揚げ、テレビ開局の為の人員の移籍を行い、1959年(昭和34年)3月1日に「毎日放送」としてテレビ放送を開始した。開局当初はフジテレビと日本教育テレビ(NET。現在のテレビ朝日)のクロスネットであったが、翌年に日本教育テレビに一本化された。テレビスタジオは、大阪市北区堂島の毎日大阪会館南館12階にあった。
キー局が教育専門局、なおかつ、当時のNET系列の純粋なフルネットはMBSだけ[注釈 13] であり、営業面や報道面など様々なハンデを背負いながらMBSのテレビ部門は発足し、毎日大阪会館南館に設けられたスタジオも小さい上に狭く、使い勝手が悪かった(Aスタジオ175m2、Bスタジオ100m2、Cスタジオ170m2と3つのスタジオがあった)。しかしMBSはこうしたスタジオ事情を逆手に取り、難波南街会館からの『番頭はんと丁稚どん』やうめだ花月劇場からの吉本新喜劇中継(現在の『よしもと新喜劇』)などの外部公開収録番組が生み出された。
クロスネット局化と腸捻転の解消
1960年、日本万国博覧会(1970年開催)の開催地に内定していた大阪府吹田市の千里丘陵に、2階建ての近代的なテレビとラジオの総合スタジオ「千里丘放送センター」を開設、弱小局であるNETとネットを組んだ事を逆手に取って「自らキー局となって発展する」将来展望を見据えて設計され、在京キー局に勝るとも劣らない規模と設備を誇った。千里丘移転後も登記上の本社と営業の部署は堂島に残り、堂島の毎日新聞大阪本社内にニュースデスクを開設。
1968年には日本科学技術振興財団が運営していた東京の民放テレビ局・東京12チャンネルが事実上破綻したため、再建策として設立された同局のテレビ番組制作を行う株式会社東京十二チャンネルプロダクション(現在の株式会社テレビ東京)に資本参加。1969年10月より東京12チャンネルともネットワーク関係を樹立し、クロスネット局となる。
1975年3月31日、いわゆる「腸捻転」が朝日新聞社に問題視されたことでテレビネットワークを整理することとなり、これまでのNETテレビと東京12チャンネルのクロスネットから、TBS系列の準キー局に鞍替えした。ニュース系列もANNを脱退し、JNNに加盟。朝日放送に代わって「五社連盟」に参加した。
ただし、ネットチェンジ後も毎日放送は東京12チャンネルの経営に継続して参加し、ネットチェンジ前からネットしていた東京12チャンネル制作の番組(『大江戸捜査網』、『プレイガールQ』、『人に歴史あり』など)を番組購入の形に切り替え遅れネットで継続させ、MBSに取って代わる近畿地区のTX系列局(現在のテレビ大阪)開局の支援も行った。
認定放送持株会社の設立からラジオ放送事業の分社化へ
インターネットやスマートフォンなどの普及で日本の放送業界をめぐる環境が変化していることを背景に、毎日放送(以下「旧社」と略記)では、2016年(平成28年)7月28日に認定放送持株会社へ移行する計画を発表。持株会社の分割準備会社として、同日付で「毎日放送分割準備株式会社」を設立した。
2017年(平成29年)4月1日に、毎日放送(旧社)は「株式会社MBSメディアホールディングス」に商号を変更したうえで、認定放送持株会社に移行。毎日放送分割準備株式会社は、同日付で商号を「(新)株式会社毎日放送」(以下「新社」と略記)へ改めたうえで、旧社から放送免許・放送事業などの現業部門を承継した[1]。日本の民放局が認定放送持株会社を設立した事例は、全国で8社目、JNNへの加盟局では東京放送ホールディングス(現在のTBSホールディングス)・中部日本放送(CBC)・RKB毎日ホールディングスに次いで3社目、在阪の準基幹局では初めてであった。
認定放送持株会社移行後も「ラジオ(放送事業)とテレビ(放送事業)を兼営するからこそできたことがあるので、(今後も両事業の間で)シナジー(効果)を生み出すことが大事」との姿勢から、新・毎日放送への事業承継後もラジオとテレビの兼営体制を維持してきた[23]。しかし、ラジオ放送事業の経営環境は年々厳しさを増していた。
その一方で、事業承継後に日本国内で大規模な自然災害(大阪府北部地震など)が相次いでいることや、2020年(令和2年)の初頭から日本国内で新型コロナウイルスへの感染が拡大していることなどを背景に、「詳細な地域情報を(リスナーに)提供する身近なメディア」としてのラジオの価値は見直されつつある。さらに、2010年代以降は、radikoやFM補完放送(ワイドFM)を通じてメディアとしての可能性が拡大の一途をたどっている。
新・毎日放送では、以上の動向を総合的に勘案した結果、「変化に機敏に対応しながら、毎日放送ラジオが将来にわたって発展していくには、独立した会社として迅速な経営判断と機動的な業務執行を実現させることが必要で、自主独立の精神が高まることによって新しいビジネスを生み出すことも可能」「認定放送持株会社体制へ移行してからの3年間にグループ会社との連携を強めるなかで、『会社は別でもグループ内でシナジーを生んでいくことは十分に可能』という手応えをつかめた」と判断[24]。2020年5月28日に、自社とMBSメディアホールディングスの取締役会で以下の方針を決議した。
- 新・毎日放送のラジオ放送事業とテレビ放送事業および、総務省からの認可の下で保有しているラジオ・テレビ放送免許を、吸収分割方式によって2021年(令和3年)10月1日付で別々の会社に承継させる。
- テレビ放送事業については、2021年(令和3年)10月1日以降も、新・毎日放送がテレビ放送免許とともに保有する。ただし、テレビ放送専門の事業会社(テレビ単営局)へ移行することに伴って、同日付で商号およびコールサインを変更する。
- ラジオ放送事業については、毎日放送ラジオ分割準備株式会社 [25](MBSメディアホールディングスが全額を出資する分割準備会社)を2020年5月28日付で設立。吸収分割契約の締結(同年11月)、放送免許の承継などに関する許認可(2021年9月)などを経て、2021年10月1日付でラジオ放送免許と共に分割準備会社へ承継させるとともに、同日付で分割準備会社の商号を変更する[26]。
もっとも、新・毎日放送では、この計画を発表後に事業承継の前倒しを改めて検討。「長期的な経済環境の悪化が予測される状況で、今後のラジオ事業の在り方を早急に固めながら(経済環境の悪化に向けて)対策を立てていく必要がある」との認識の下で、「独立した新しい会社で2021年秋の改編に向けて準備するのが相応しい」との判断に至ったため、事業承継の期日を当初の計画より半年早い2021年(令和3年)4月1日に繰り上げた[27]。また、同日付で分割準備会社の商号を「株式会社MBSラジオ」に変更することも決定。新・毎日放送については、ラジオ放送事業の分離後も「株式会社毎日放送」という商号を引き続き使用する[注釈 14] ほか、アナウンスセンターなどの関連部署を残すことになった[28]。
そして、2021年(令和3年)4月1日、ラジオ放送免許とラジオ放送事業を株式会社MBSラジオに承継。これにより、日本の広域圏(近畿広域圏、関東広域圏、中京広域圏)でテレビ放送事業を運営する民間放送事業者がすべてテレビ単営局になり[注釈 15]、近畿地方でテレビ・ラジオ放送事業を兼営する民間放送事業者が京都放送(KBS京都=本来の放送対象地域はテレビ:京都府、ラジオ:京都府・滋賀県)のみになった。
なお、新・毎日放送ではテレビ単営局への移行を機に、デジタルテレビ放送のコールサインをJOOR-DTVからJOOY-DTVに変更。2021年(令和3年)3月31日23時59分45秒から4月1日0時00分15秒にかけて、『らいよんチャンネル』(本来は兼営局時代から放送している番宣番組)を特別に編成したうえで、河田直也アナウンサーが『よんチャンTV』(同月29日からメインパーソナリティを務める平日夕方の報道・情報番組)のスタジオで収録された映像を通じてコールサインの変更を告知した。その一方で、新・毎日放送が主催するイベントや運営事業(住宅展示場など)に関するCMをMBSラジオで放送する場合の主催社の名義が毎日放送から「MBSテレビ」に変更された。
年表
- 1950年(昭和25年)12月27日 - 「新日本放送株式会社」設立[29]。初代社長に杉道助が就任。大阪市北区天神橋七丁目に仮スタジオと研修センターを置いた。その後、大阪市北区角田町にある梅田阪急ビル(阪急百貨店本店、現・阪急百貨店うめだ本店)屋上に本社及び演奏所を建設。試験放送開始と同時に業務機能を完全に移転。
- 1951年(昭和26年)
- 1956年(昭和31年)12月1日 - 朝日放送、朝日新聞社、毎日新聞社と合弁で会社を設立し大阪テレビ放送を開局。
- 1958年(昭和33年)6月1日 - 新日本放送の商号を「株式会社毎日放送」に改称[29]。
- 1959年(昭和34年)
- 1960年(昭和35年)
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年) - TBSラジオ、RKBラジオと暫定ラジオネットワークを結成。翌年のJRN(Japan Radio Network)発足へと繋がる。
- 1965年(昭和40年)
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)7月1日 - 三井物産や三菱商事などの支援を受けて、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の番組制作を請け負う株式会社東京十二チャンネルプロダクション(現在の株式会社テレビ東京)を設立。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)1月1日 - NETテレビをキーステーションとしたテレビニュースネットワーク、ANNが発足し加盟。全国ニュースタイトルは、他の系列局に遅れて、4月より『ANNニュース』(スポットニュースは『MBSニュース ANN』)となる(それまでは従来通り『MBSニュース』だった)[注釈 21]。
- 1971年(昭和46年)
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)3月31日 - ANNを脱退し、東京12チャンネルとのネットワーク関係を解消(※近畿放送テレビ→KBS京都・サンテレビジョンを経てテレビ大阪。但し、テレビ大阪開局までは番組販売扱いでの放送を継続)。朝日放送に代わって、5社連盟に加盟し、NET系列局から開局以来からの念願であったTBS系列局となる[29]。これにより、テレビネットワークの“腸捻転”が解消される。「東芝日曜劇場」の制作にも参加。また当日から近畿広域圏のJRNのニュースネットワーク担当局が朝日放送ラジオからMBSラジオに移管した。
- 1976年(昭和51年)1月5日 - 近畿広域圏では初のローカルワイドニュース『MBSナウ』放送開始。
- 1977年(昭和52年)5月15日 - ラジオの周波数を1210kHzから1180kHzに変更。
- 1978年(昭和53年)
- 1980年(昭和55年)4月 - 近畿広域圏初のローカル・ドキュメンタリー番組『映像'80』放送開始(2020年現在、番組タイトルは『映像'20』)。
- 1982年(昭和57年)2月11日 - 第1回『毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク』を実施。毎年初春の風物詩として毎年2月に開催。年2回の開催を経て、2012年(平成14年)の第31回から、開催日を3月20日(春分の日)に固定している(新型コロナウイルス感染が拡大している2020年(令和2年)は中止)。
- 1983年(昭和58年)
- 4月7日 - 全国ネットのクイズ番組『世界まるごとHOWマッチ』(東京支社制作、東京での収録)放送開始(大橋巨泉、石坂浩二、ビートたけし他出演)。
- 12月4日 - 交響曲第9番 (ベートーヴェン)の第4楽章を1万人前後で合唱する『サントリー1万人の第九』の第1回公演を、主催(サントリーの協賛→特別協賛)事業として大阪城ホールで開催。翌1984年(昭和59年)以降も、毎年12月の第1日曜日に催されている。
- 1984年(昭和59年)1月25日 - 毎日放送アナウンサーが総出演のバラエティ番組『あどりぶランド』放送開始。放送局のアナウンサー総出演のバラエティ番組の先駈けとなった。
- 1986年(昭和61年)
- 3月 - 『選抜高等学校野球大会』を国内テレビ初のサラウンド放送実施。
- 4月1日 - アナログ・テレビの文字多重放送を開始[29]。
- 1990年(平成2年)
- 1992年(平成4年)
- 1995年(平成7年)1月17日 - 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生し、ニューススタジオにあったセットが倒壊。テレビ・ラジオとも、当日午前からすべてのCMをおよそ2日間中止し、その放送枠に安否情報や生活情報を挿入。CM再開後もミニ番組などを休止し同様の情報を1月28日まで連日放送[注釈 23]。
- 1998年(平成10年)
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)9月29日 - 『MBSナウ』放送終了。同年10月2日より『VOICE』へとリニューアル。
- 2001年(平成13年)
- 3月31日 - ユニバーサル・スタジオ・ジャパン内にMBSスタジオ in USJ完成[29]。
- 4月14日 - 土曜デイタイムの情報生番組『せやねん!』放送開始。
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)
- 2006年(平成18年)4月1日 - 地上デジタルテレビのワンセグ放送を開始[29]。
- 2007年(平成19年)8月25日 - 9月2日 - 世界陸上選手権大阪大会をJNN・JRN系列で独占中継。制作協力として参加した。
- 2008年(平成20年)
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 7月24日 - この日正午をもって地上アナログテレビ放送を終了(TBSテレビ制作『アッコにおまかせ!』の放送中に終了)。23時58分からはアナログ完全終了の為の特別のクロージングが流され、23時59分にアナログ放送が完全に停波。新聞・テレビ情報誌の表記が「毎日テレビ」「毎日ラジオ」から「MBSテレビ」「MBSラジオ」に変更される。アナログ放送停波前に特別な局名告知が放送され、こちらの映像は同局の公式Youtubeチャンネルにアップロードされている。
- 9月1日 - 開局60周年を迎えることを記念として、CIを刷新。"MBS"及び"毎日放送"ロゴマークの現行のものに変更、コーポレートカラーに黄緑色を制定する。(テレビ中継車の一部を黄緑色を基調としたデザインに変更。同時に4マーク及び1179マークも変更。社旗は黄緑地に白抜きで「MBS」の新ロゴ、その下に黒字で「Mainichi Broadcasting System,Inc.」と表記された物に変更[注釈 25]。また社章(バッジ)は2011年(平成23年)度入社分までは従来の物を使用しているが、2012(平成24)年度分から新デザインにて使用される。)テレビでの製作・著作クレジット表示を毎日放送からMBSに統一。
- 2013年(平成25年)10月1日 - 高石ラジオ送信所(大阪府高石市)の敷地内で「毎日放送高石太陽光発電所」の運営を開始。これを機に、在阪の放送局では初めて太陽光発電事業に乗り出した。なお、同発電所で生み出された電力は、20年間の予定で全量を関西電力に販売する。
- 2014年(平成26年)4月4日 - 午前11時7分9[注釈 26] 秒に、本社「B館」がグランドオープン。このオープンを機に、「あらためまして、MBS」というキャッチフレーズを使用。
- 2015年(平成27年)4月20日 - 本社B館に災害時でも確実に放送を継続できるように対応した新しい主調整室(マスター)に移転更新され、運用を開始(NEC製)。
- 2016年(平成28年)
- 3月19日 - この日の正午放送の在阪3局共同制作特別番組『ほんまもんのワイドFMをハッキリ愛して』より、朝日放送ラジオ・ラジオ大阪と共に、奈良県生駒市の生駒山にある生駒FM補完中継局からFM補完放送(ワイドFM、90.6MHz)を開始[29][31]。
- 7月28日 - 認定放送持株会社に移行する計画であると発表、同日付で分割準備会社である「毎日放送分割準備株式会社」を設立[29][32]。
- 9月 - 在阪の放送事業者では初めて、気象庁から予報業務許可事業者としての実施許可を受けた(許可第202号)[33]。この許可によって、近畿地方などを対象に、毎日放送が独自に調査した天気予報(ピンポイント予報など)をテレビ・ラジオ番組で放送できるようになった[34]。
- 9月6日 - 同月1日にラジオの本放送開始65周年を迎えたことから、ワイドFMの周波数 (90.6 MHz) にちなんで、9月6日を「MBSラジオの日」にすることを発表。日本記念日協会に申請したところ、記念日として正式に認定されたため、この日に放送された『ありがとう浜村淳です』内で登録証の授与式が催された。放送局によるワイドFM用周波数にちなんだ記念日の登録・認定は日本初の事例で、AM用周波数にちなんだ記念日を含めても、文化放送・ニッポン放送に次ぐものである[35]。また、当時と同じ阪急百貨店うめだ本店屋上に、「民間放送誕生の地」記念プレートを設置。
- 10月 - 開局65周年を記念した特別企画として、13日から16日までの期間に、クルーズ客船「ぱしふぃっくびいなす」のチャーターによる有料のスペシャルツアー「MBSプロデュース 豪華客船 神戸発着3泊4日の旅『ドリームズ・カム・クルーズ』」を開催。船上では、テレビ番組(『ちちんぷいぷい』『せやねん!』)・ラジオ番組(『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』『ヤマヒロのぴかいちラジオ』)向けの生中継や、テレビ・ラジオのレギュラー番組(『プレバト!!』『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』)からの派生企画などのイベントを連日実施した。最終目的地の屋久島に到着した15日には、『あっぱれ!屋久島ツアー 神秘の島でパワーをもらっちゃおうスペシャル』(系列局・南日本放送とのコラボレーションによる開局65周年特別番組)を同局と同時に生放送(11:58 - 12:54)[注釈 27]。また、近藤光史(元・アナウンサーで『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』パーソナリティ)や山中真アナウンサーの案内によるオプショナルツアーを開催した。
- 2017年(平成29年)
- 1月6日 - 前年9月に気象庁から気象予報業務の実施許可を受けたことを背景に、この日放送の『ちちんぷいぷい』から、毎日放送の独自調査による「ピンポイント天気予報」(特定の地点に向けた天気予報)の放送を開始。同年9月29日まで、毎週金曜日の第2部(関西ローカルパート)エンディングで放送していた。
- 4月1日 - 放送法などの手続や総務大臣の認可などを経て、同日付で(旧)毎日放送の商号を「MBSメディアホールディングス」に変更[29]。全国で8社目、在阪準キー局では初めて放送持株会社体制へ移行した。また、分割準備会社である毎日放送分割準備に放送事業などを承継させたうえで、「(新)毎日放送」(以下「新社」と略記)を発足。新社ではテレビ放送事業とラジオ放送事業を分割せず、従来のラ・テ兼営体制を維持する[1][32] ほか、旧社に所属していたアナウンサーや番組スタッフも新社に自動転籍したうえで引き続き勤務している。
- 4月3日 - テレビの『ちちんぷいぷい』に続いて、ラジオの平日生ワイド番組『松井愛のすこ〜し愛して♥』『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』や、ラジオのプロ野球中継『MBSベースボールパーク』(阪神甲子園球場から阪神タイガースの主催試合を中継する場合)でも毎日放送の独自観測に基づく天気予報のレギュラー放送を開始。
- 2018年(平成30年)7月29日 -(28日深夜)午前3時半頃〜午前6時10分まで、台風12号の影響で高石ラジオ送信所に落雷があり、約2時間半中波での放送が停止した。落雷による放送停止は同社が1951年にラジオ放送を開始して以来初めて。茶屋町の本社にある予備送信所を使用して代替放送したが、出力が1kWなため電波は大阪市内と北摂地域周辺にしか届かなかったと見られる[36]。なおFM補完中継局やradikoでの放送に異常は無かった。
- 2019年(平成31年/令和元年)
- 1月8日(7日深夜) - 対話型ヒューマノイドロボット「CommU(コミュー)」3体(せんた・れふた・らいた)が人間の悩みに答えるテレビ番組『ロボロボ』を、この日からレギュラーで放送。石黒浩(大阪大学特別教授)を初めとするロボット工学の研究者と毎日放送による産学連携プロジェクトに沿った共同研究実験(番組表上の略称は「阪大MBS」)の一環で、人間が一切登場しない代わりに、ロボットだけで進行するテレビのレギュラー番組は日本の放送局で初めてとされる[37]。
- 1月28日 - 本社M館の2階に新装された「ライブセンター」の運用を、この日の『ちちんぷいぷい』の生放送から開始。
- 4月1日 - 『ちちんぷいぷい』のレギュラー放送枠を番組史上最短の1時間54分(13:55 - 15:49)まで短縮したうえで、同日から全編を同時ネット番組として放送。また、同番組の関西ローカルパートと『VOICE』の放送枠を統合したうえで、平日の15:49 - 19:00で総合情報番組『ミント!』の放送を開始。
- 7月16日 - 千里丘ミリカセンターが閉鎖[29]。
- 11月1日 - 「日本一早い2025大阪万博応援番組」と銘打ったラジオ番組『ばんぱく宣言 われら21世紀少年団』を、この日から2025年(令和7年)までの6年間にわたってレギュラーで放送。
- 2020年(令和2年)4月 - 年頭から日本国内で新型コロナウイルスへの感染が拡大していることへの対応策として、テレビ・ラジオ番組の制作・放送体制を平時から大幅に変更。その一方で、テレビ制作局のプロデューサー時代に『ちちんぷいぷい』などの番組を立ち上げた岡田公伸取締役が、感染に伴う心筋症のため9日に60歳で急逝した。以上の事態を受けて、20日(月曜日)からは、同番組と『ミント!』の放送枠を暫定的に統合。『おうちにいようよ ちちんぷいぷい&ミント!』(5月最終週のみ『あしたのために ちちんぷいぷい&ミント!』)というタイトルで、5月29日(金曜日)まで放送している。
- 2021年(令和3年)
- 1月14日 - 『ありがとう浜村淳です』に第1回から(放送休止期間や休暇期間を除いて)出演を続けてきたパーソナリティの浜村淳(当時86歳)が、検査入院を理由に、同番組を初めて完全に休演。前日(13日:水曜日)の出演後に受けた定期検診で脳内の血管にごく小さな梗塞が見付かったことに伴う入院で、15日(金曜日)放送分にも出演を見合わせたが、16日放送分の土曜版(『ありがとう浜村淳です土曜日です』)に電話で出演。18日(月曜日)放送分からスタジオに復帰した。
- 3月5日 - 新型コロナウイルス感染拡大の影響で毎日放送グループ全体の収益が急速に悪化していることなどを背景に、「Newsミント!」を除く『ミント!』の関西ローカルパートの放送をこの日で終了[38]。「Newsミント!」については、『VOICE』と同様の単独番組として、8日(月曜日)以降も26日(金曜日)まで放送した。
- 3月10日 - 株式会社毎日放送が保有するラジオの中波(AM)放送と超短波(FM)補完放送の免許を、4月1日付で「毎日放送ラジオ分割準備株式会社」が承継することについて、総務省が武田良太総務大臣(当時)の名で許可[39]。
- 3月12日 - 『ミント!』と同様の事情で、『ちちんぷいぷい』の放送をこの日で終了。関西地方における放送期間はおよそ21年半、放送回数は5,115回であった。
- 4月1日 - 毎日放送(新社)が保有するラジオ放送事業とラジオ放送免許を、吸収分割方式で毎日放送ラジオ分割準備株式会社[40](MBSメディアホールディングスの全額出資で2020年5月28日に設立)へ承継[27][41]。毎日放送ラジオ分割準備会社は、商号を「株式会社MBSラジオ」に変更した[29]。毎日放送(新社)については、テレビ放送事業とテレビ放送免許を保有するテレビ単営局として、「株式会社毎日放送」という商号を引き続き使用[38]。その一方で、デジタルテレビ放送のコールサインを、JOOR-DTVからJOOY-DTVに変更した[42]。このため、毎日放送(新社)では、変更時刻の前後(0:00)に『らいよんチャンネル』(番宣番組)を編成。『よんチャンTV』のスタジオセットで収録された映像を通じて、同番組MCの河田直也アナウンサーが変更を告知した。
- 7月23日 - 新日本放送の設立へ尽力した後に、毎日放送で社長などを歴任した高橋信三の遺志に沿って1993年(平成5年)5月に設立された公益信託高橋信三記念放送文化振興基金が、放送関連の活動に対する助成金の2021年(令和3年)度交付式を大阪市内で開催。この基金では助成の公募・選考と助成金の給付を1993年(平成5年)度から29年間続けてきたが、2021年(令和3年)度で終了した。
- 10月 - 毎日放送と株式会社MBSラジオが、「TEAM EXPO 2025」(公益社団法人2025年日本国際博覧会協会がSDGsの達成と同年の大阪・関西万博開催に向けて展開しているプログラム)の「共創パートナー」として登録[43]。
- 2022年(令和4年)
- 4月11日 - TVerでTBS系列全国ネット番組のリアルタイム配信がこの日の19:00から始まることに伴って、当時22:00から放送されていた『100%!アピールちゃん』(8月22日で終了)を皮切りに、『プレバト!!』『日曜日の初耳学』(いずれも東京支社の制作でゴールデンタイムに放送している全国ネット番組)のリアルタイム配信を順次開始[44]。
- 10月 - 土曜日の7:30 - 17:30を対象に、「在阪の民放テレビ局では初めて」とされる自社制作番組の10時間連続レギュラー編成を関西ローカルで開始。『所さんお届けモノです!』『サタデープラス』(いずれも全国ネット向け)『せやねん!』『よしもと新喜劇』『三度の飯よりアレが好き!』『住人十色』(いずれも関西ローカル向け)といった番組のレギュラー放送を続けながら、前月まで長らく平日の深夜に編成されてきた自社制作のバラエティ番組から、『ごぶごぶ』の放送枠を14時台・『痛快!明石家電視台』の放送枠を15時台に移動させた。月曜日の深夜(火曜日の未明)に放送されてきた『明石家電視台』がレギュラー放送の曜日・時間帯を変更することは、上記の放送開始から32年半にして初めて[45] だが、「MBSウイークエンドスペシャル」としてスポーツ中継やJNN加盟局制作・全国ネット向けの特別番組を編成する週には『ごぶごぶ』『明石家電視台』『三度の飯よりアレが好き!』から少なくとも1番組を休止することで対応。
社史・記念誌
新日本放送時代に発行した1冊も入れて、以下の7冊を発行している(2021年11月時点)。
- 『NJBの四年』新日本放送、1954年12月27日。NDLJP:2475116。
- 『毎日放送十年史』毎日放送、1961年12月15日。NDLJP:2496354。[46]
- 毎日放送40年史編纂室 編『毎日放送の40年』毎日放送、1991年9月1日。[47]
- 毎日放送40年史編纂室 編『毎日放送の40年 資料編』毎日放送、1991年9月1日。[48]
- 毎日放送50年史編纂委員会事務局 編『毎日放送50年史』毎日放送、2001年9月1日。
- 毎日放送総務局60周年記念誌編集室 編『社報で綴るMBSのあゆみ : 開局60周年記念誌』毎日放送、2011年9月1日。
- 毎日放送総務局70周年記念誌編集室 編『社報で綴るMBSのあゆみ : 開局70周年記念誌』毎日放送、2021年9月1日。
腸捻転時代のNETテレビ(現:テレビ朝日)との関係
腸捻転時代にキー局だったNETテレビ(現:テレビ朝日)とは、しばしば番組編成や内容を巡る衝突が起きていたという。その典型的な例が『23時ショー』打ち切り事件で、他にも『ヤングおー!おー!』打ち切り、『大正テレビ寄席・サモン日曜お笑い劇場』相互打ち切りなど実際の番組編成にまで響いたケースがある。
ただ、NETテレビが主導した教育・教養番組専門のネットワーク民間放送教育協会(民教協)を通じた両局の関係は、ネットチェンジ後も続いた。1992年(平成4年)3月末にTBS系列の団結などを理由に民教協を脱退したが[49]、それまでは『親の目・子の目』などの民教協制作番組について引き続きテレビ朝日からの送り出しを受け、『親の目』では持ち回りの発局となることもあった。
腸捻転時代の東京12チャンネル(現・テレビ東京)との関係
テレビ東京は同社設立以来[注釈 28]、毎日放送が大株主の一角に加わっており、1969年10月1日より1975年3月30日まで相互ネットを行っていた。そのため、毎日放送は東京12チャンネルを買収して、局名も「東京毎日放送」に変更、新テレビネットワークを構築する計画もあったが[注釈 29]、腸捻転解消に向けて奔走していた毎日新聞社やTBSを始め、郵政省や自由民主党といった政界からも猛反発を受けたため、この計画は頓挫した[注釈 30][50]。東阪間のネットチェンジに伴い、東京12チャンネルとの相互ネットも解消されたが、それ以降も番組販売の関係は1982年3月1日のテレビ大阪開局まで続いた[注釈 31]。
これらの経緯から、現在もMBSはテレビ東京の大株主であり[注釈 32]、アニメやドキュメンタリー番組の制作を得意とし、コーポレートカラーが青と赤でロゴのカラーに緑色を採用するなど[注釈 33]、系列外となった現在でも両局には共通点が多く残っている。なお、毎日放送の現在のキー局であるTBSテレビはテレビ東京と共同で有料動画配信サービス「Paravi」を運営しており、同サービスでは毎日放送制作番組も一部配信が行われているほか、運営会社にはMBSメディアホールディングスも出資している。
ネットチェンジ後のTBSテレビとの関係
腸捻転時代、毎日放送は朝日放送よりも多くの全国ネット番組を抱えていたことから、ネットチェンジを前にした事前協議では、それらの製作・放送枠確保をめぐりTBSテレビとの調整が難航した末に、一部の番組や主催スポーツイベントを打ち切らざるを得なくなった。このような背景もあり、NET系時代にキー局志向を持ち、在京局と対等に亘り合っていた毎日放送と、「民放の雄」という意識が強く、毎日放送との関係を主従関係と捉えたTBSテレビとの間には次第に齟齬が生じるようになった。
両社の不仲を象徴する出来事として、例えば、元アナウンサーで記者でもあった鎌田正明は『週刊現代』にて全国ネットレベルの特ダネがTBSに横取りされてしまったことを証言している。鎌田は地球温暖化の原因とされるフロンガスの問題にいち早く着目したものの、JNNの全国ニュース取材に対する仕組み[注釈 34] を理由にTBSが事実上「召し上げ」てしまったと述べた。鎌田らMBS報道局のスタッフはTBSに抗議したものの、TBS報道局のデスクは「お前らは素材を上げていればいいんだよ!!」と言い放ったという[51]。また、TBS・MBSの双方の番組に多数出演している明石家さんまは、関西テレビ『さんまのまんま[注釈 35] にて『(他の在阪局におけるキー局との不仲ぶりを挙げながら)TBSとMBSの関係が特に酷い』と漏らしている[52]。
このような関係性が影響してか、TBSテレビでネットされる毎日放送製作のローカル番組は、腸捻転解消時に東京12チャンネルから移行した『仁鶴・たか子の夫婦往来』、2000年代以降の『よゐこ部』や『ロケみつ〜ロケ×ロケ×ロケ〜』のレギュラー放送など一部に限られる。2009年4月からは、関西ローカルで平日の午後に放送されていた『ちちんぷいぷい』を、金曜日のみTBSテレビが逆ネット方式で放送開始したが、「関西ローカル時代の内容を変えずに放送する」というポリシーが貫かれたため、TBSテレビでのネットはたったの4ヶ月間にとどまった。また、TBSテレビ製作の深夜番組が毎日放送で同時・遅れネットされることも比較的少なく、深夜アニメに関してはサンテレビなど関西圏の独立放送局に回す場合もある。
こうした不仲説が囁かれる一方で、TBSグループ・MBSグループの経営陣は当初から互いに企業間の連携を重視していたため、編成・報道などの現場と異なり対立が少なかった。また、それぞれに関連する制作・技術会社は相互協力をしばしば行っていた。
TBSも『TBS50年史』で、「TBSは、ABCと信頼関係を築きスムーズに連携してきただけに、異なる道を切り開いてきたMBSとの連携は、双方にとって勝手が違い、短期間に折り合うのは困難だった」「実務者の協議では、TBS側はできるだけこれまでの枠や編成表を守りたい、MBS側はそれまでNETに対して送り出していた番組枠を確保したいと、正面からぶつかることとなった。時に激しい言葉が飛び交い、つかみかからんばかりの議論があったという」とネットチェンジの際に、短期間で関係を築くことが困難だったことを記述している。またMBSとの関係についても、「新しく組んだTBSとMBSは、ネットワーク運営のルールや用語、仕事の進め方、さらには社員の気風まで違っていた。そこには、JNNのリーダーとしてヒット番組を数多く持ったTBSの自負と、NETとのネットワークにおいて準キー局として発言力も強く、ネット番組制作の実績も持つMBSの自負との微妙な衝突があったといえよう。両者はその後率直な議論と協調の努力を積み重ね、相違点を1つ1つ克服し、手を携えてJNNの発展を目指している」と記述しており、互いの組織の成り立ちの違いによる対立・衝突があったことと、その中でJNNの発展のために相互に協力・努力していることを認めている。
近年はTBSテレビ制作の番組や主催イベントを積極的に宣伝し、TBSテレビと共同で制作する番組が増加している。本社のある大阪市内で2007年8月に開催された世界陸上大阪大会では、競技などの中継や関連番組をTBSテレビと共同で制作。毎日放送からも、実況などで3名のアナウンサーが登場した。さらに、2010年10月から2012年9月までは音楽トークバラエティ番組『EXILE魂』を日曜22時台で、2011年(平成23年)10月から2021年3月まではトーク番組『サワコの朝』を土曜朝7時台後半で、いずれもTBSテレビと共同制作の形で放送しており[注釈 36]、東京支社が制作する『プレバト!!』では、2017年8月から「TBS系人気番組対抗戦」(TBSテレビ制作の新番組・レギュラー番組出演者が登場する「才能査定ランキング」の番組対抗戦)を改編期に実施している。
もっとも、TBSテレビが制作する番組の同時ネットに充てる時間帯は年々拡大している。2008年10月6日から2009年3月までは『2時っチャオ!』(本来はTBSテレビと一部系列局でしか放送していなかった)の14時台のみの同時ネットを実施し、2021年3月15日からは『ゴゴスマ -GO GO!Smile!-』[注釈 37][注釈 38](CBCテレビ制作)の同時ネットに踏み切った[注釈 39] 他、『よんチャンTV』が特別編成による短縮版放送または年末編成で全編休止とする日には『Nスタ』16・17時台の臨時ネットも不定期で行っている。しかし、その一方で『王様のブランチ』などの一部未ネットの番組も存在している。
その他在京局との関係
フジテレビとは、高橋信三と鹿内信隆との親交関係や、ラジオでのニッポン放送・文化放送との結びつきから、開局当初ネットワークを組むことを考慮していたという。実際、本放送開始当初はフジテレビからの番組が毎日放送へも流れ(『チエミのかわら版太平記』などのフィルム番組が12本)、また逆に毎日放送制作の番組をフジにネットすることもあった(鉄腕アトム (実写版)など)。
最近では、フジテレビが製作局となった深夜アニメ『刀語』に毎日放送が企画協力で参加し、他系列ながら2010年(平成22年)1月期に放送している[注釈 40]。
日本テレビとの関係は、1959年のプロ野球日本シリーズ中継を共同制作・放送した実績があるなど、一部には親密といわれており、1996年(平成8年)に発覚したTBSビデオ問題を巡る報道で日本テレビとTBSテレビの関係が険悪になった時も、毎日放送と日本テレビの関係は維持された。[要検証 – ノート]また、日本テレビホールディングスが株式の大半を保有するラジオ局のアール・エフ・ラジオ日本も、開局時に毎日新聞社が関与していたことを理由に、プロ野球・中央競馬中継で交流関係を有している。
親局
- コールサイン:JOOY-DTV
- コールネーム:毎日放送デジタルテレビジョン
- リモコンキーID:4
- 3桁(フルセグ):041、042、043、248(Gガイド)。
- 3桁(ワンセグ):641、642(ワンセグ臨時[注釈 41])。
- 物理チャンネル:16ch[53]
- 周波数 491.142857 MHz[53]
- 空中線電力(出力) 3 kW[53]
- 実効輻射電力 24 kW[53]
- 現在の放送区域内世帯数 約580万世帯
- 送信所は奈良県生駒市の生駒山上にあり(生駒山テレビ・FM送信所を参照)、讀賣テレビ放送(ytv)の施設(旧アナログ兼デジタル)と共同使用している。在阪局の生駒山親局では唯一自局の旧アナログ送信設備を継続使用せず、他局の施設に相乗りしている。使われなくなったアナログ送信所は後にMBSラジオとラジオ大阪のFM補完中継局送信所に流用された[54] ことで、ラジオで逆にMBSが相乗りされる側になった。
- TBS系列局がない福井県と徳島県ではそのまま「4」で視聴となる。
- 愛知県・岐阜県・三重県では中京テレビ放送(日本テレビ系列)、岡山県・香川県では西日本放送(同)、高知県では高知放送(同)がリモコンキーID「4」なため041-1等となる。
- 鳥取県・島根県は日本テレビ系列の日本海テレビジョン放送がアナログ親局1chを踏襲した関係で「4」がなく、本局を越境受信してもそのまま「4」となる。
中継局
- 大阪府
- 奈良県
- 滋賀県
- 京都府
- 兵庫県
- 神戸 16ch
- 神戸灘山手 48ch
- 神戸住吉川 16ch
- 神戸楠谷 16ch
- 神戸高座 16ch
- 神戸長田 37ch
- 神戸明泉寺 37ch
- 神戸妙法寺 37ch
- 神戸兵庫 16ch
- 明石朝霧 16ch
- 北淡垂水 16ch(垂直偏波)
- 西宮山口 16ch
- 宝塚玉瀬 38ch(垂直偏波)
- 宝塚中山台 49ch(垂直偏波)
- 猪名川 38ch
- 川西けやき坂 16ch
- 川西一ノ鳥居 16ch
- 川西湯山台 38ch
- 三木 16ch(垂直偏波)
- 三木志染 16ch
- 龍野 16ch
- 揖保川ひばりケ丘 16ch(垂直偏波)
- 姫路 16ch
- 姫路西 16ch(垂直偏波)
- 姫路西脇 16ch
- 姫路石倉 16ch(垂直偏波)
- 姫路出屋敷 16ch(垂直偏波)
- 赤穂 16ch(垂直偏波)
- 赤穂高雄 42ch
- 西脇 16ch
- 西脇合山 46ch
- 和田山 16ch(垂直偏波)
- 城崎 16ch
- 日高 27ch
- 竹野 27ch
- 豊岡戸牧 16ch(垂直偏波)
- 豊岡西戸牧 40ch(垂直偏波)
- 豊岡江野 40ch(垂直偏波)
- 豊岡栄 16ch(垂直偏波)
- 豊岡高屋 16ch(垂直偏波)
- 出石町分 16ch
- 香住 16ch
- 村岡高津 16ch
- 浜坂 40ch
- 篠山 16ch
- 篠山浜谷 16ch(垂直偏波)
- 篠山福井 16ch
- 丹南当野 16ch
- 丹南古市 16ch(垂直偏波)
- 今田新田 16ch(垂直偏波)
- 氷上 16ch
- 青垣 32ch
- 市島 32ch
- 柏原東奥 27ch
- 相生 16ch
- 相生若狭野 16ch
- 相生佐方 16ch
- 相生大谷 42ch
- 相生鰯浜 16ch
- 山崎 21ch
- 一宮安積 42ch
- 福崎 16ch
- 神河 42ch
- 市川東川辺 16ch(垂直偏波)
- 佐用 42ch
- 八鹿 27ch(垂直偏波)
- 南淡 16ch(垂直偏波)
- 和歌山県
- 和歌山 16ch
- 海南 16ch
- 下津 16ch
- 海南小野田 16ch(垂直偏波)
- 海南小野田南 39ch
- 海南木津 39ch(垂直偏波)
- 海南大谷 16ch(垂直偏波)
- 下津大崎 16ch(垂直偏波)
- 下津西ノ浦 29ch(垂直偏波)
- 紀ノ川 16ch(垂直偏波)
- 貴志川丸栖 25ch(垂直偏波)
- 粉河秋葉下 25ch(垂直偏波)
- 野上緑ヶ丘 16ch
- 橋本 42ch(垂直偏波)
- 橋本柱本 42ch(垂直偏波)
- 高野山 39ch
- 高野山東 42ch
- 有田 16ch
- 吉備 16ch
- 印南 39ch
- 印南切目 39ch
- 美浜三尾 16ch
- 由良 39ch
- 御坊 47ch
- 御坊富安 16ch(垂直偏波)
- 田辺 47ch
- 白浜庄川 47ch(垂直偏波)
- 田辺北 47ch
- 南部川 40ch
- 上富田生馬 47ch(垂直偏波)
- 串本 16ch
- 新宮 16ch
廃局
チャンネル番号について
大阪地区のアナログテレビ放送の第4chは元々NHK大阪放送局が総合テレビで使用していた。既に開局していた大阪テレビ放送(OTV)(現・朝日放送テレビ。6ch)、既に設立されていた大関西テレビ放送(現・関西テレビ放送。8ch)に続く大阪地区に割り当てられた民放3・4波目のチャンネルを巡り、大阪讀賣新聞系の新大阪テレビ放送(NOTV)(開局直前に讀賣テレビ放送(YTV)に改称)、近畿教育文化テレビ及び関西教育文化放送と競願になり事態が硬直した際、NOTV側は兵庫県姫路地区のNHK向けに割り当てられていた第2chを大阪地区へ持ってくることを提案。これが通って第2chはNHK大阪(アナログ総合)に割り当てられることになり、更に大阪地区には民放へ2波、第4chと第10chが準教育局として免許を与えられることになった。
しかし教育専門局2社の処遇を巡り、当時郵政大臣であった田中角栄がMBS・NOTVにそれぞれ合併するよう示唆したのに対し、NOTVが断固拒否した。次いで教育2社が合併してMBS・NOTVのいずれかと合併することとなり、押し付けあった挙句MBSは第4chの獲得を条件に教育局と合併することを呑み、NOTVはキー局の日本テレビ(NTV)(東京地区を含む関東広域圏)と同じ第4chを断念する代わりに単独開局の道を選んだ。このことが腸捻転解消までの東京地区と大阪地区でNTV系とNET系でチャンネル番号が系列ベースで逆転することとなった[注釈 42]。腸捻転解消後はさらにTBS系もチャンネル番号が異なることとなり、東京地区と大阪地区でチャンネル番号が一致するのはフジテレビ系のみとなった。
MBSが第4chを選択した理由は、当時テレビ受像器の多くのチューナーが6chまでしかないのが多く、端の番号に当たる第10chは営業政策上不利といわれたことと、従来NHKテレビが使用していたために視聴者になじみがあったことによるもの。
開局以降、MBSは「4マーク」[注釈 43] を導入する等で4を強調していた。腸捻転ネットワークが解消された1975年4月改編ではザ・ドリフターズを起用した「4月から4チャンネルだヨ!全員集合!!(以下、全員集合という)」のキャッチコピーを用いていた。こうして、「4チャンネル」が定着していたこともあり、デジタルテレビ放送のリモコンキーIDも「4」になった(他の在阪広域局も揃ってアナログと同じリモコンキーIDを使用)。
リモコンキーIDの「4」はほかに、福岡県のRKB毎日放送が同様の理由で「4」が使われる。またMBS・RKB以外のJNN系列局のリモコンキーIDはHBC・TBC・MBCが「1」、RCC・tys・NBC・RKK・OBS・RBCが「3」、CBCが「5」、その他16局はTBS(キー局)・IBC・MROのアナログ放送チャンネルと同じ「6」が使用される。
なおリモコンキーIDの「4」は原則として多くの日本テレビ系列が使用しているが、同じ在阪広域局及び日本テレビ系列の準キー局の讀賣テレビ放送のリモコンキーIDはアナログ放送チャンネルの親局と同じ「10」を使用される。
以下のケーブルテレビ(CATV)局では、MBSテレビが再放送されている。なお、徳島県では区域外再放送がすべてのケーブルテレビ局[注釈 44] で開始された(MBS側が同意したため。在阪広域民放局での地上デジタル放送による区域外再放送同意はMBSが初である)。徳島県は地上波系列局が1局(NNN/NNS系列の四国放送)しかないので、いわゆる区域外再放送の特例が認められている。
太字で記したCATV局は、リモコンキーID4で再放送されている局である。
- 徳島県[注釈 45]
- 阿波市ケーブルネットワーク
- 石井町有線放送農業協同組合(IHK 石井CATV)
- エーアイテレビ
- 上板町有線テレビ(KCI)
- ケーブルテレビあなん
- ケーブルネットおえ
- ケーブルテレビ徳島(テレビトクシマ)
- 国府町CATV(KBC)
- テレビ阿波
- テレビ鳴門
- 徳島県南メディアネットワーク(MTC)
- 徳島中央テレビ(JCTV)
- 那賀町ケーブルテレビ(KHK)
- 東阿波ケーブルテレビ(e-あわネット)
- ひのき(CUEtv)
- 牟岐中村テレビ共同受信組合
- 三重県[注釈 46]
- アドバンスコープ
- 伊賀上野ケーブルテレビ (ICT)
- ZTV - 東紀州(紀南)地域のみ。
- 福井県[注釈 47]
- 嶺南ケーブルネットワーク[注釈 48]
- ケーブルテレビ若狭小浜(チャンネルO)
- eo光テレビ(大飯郡高浜町の区域のみ、旧高浜町ケーブルテレビからサービス移行)
- 福井ケーブルテレビ南えちぜん支局(他の福井ケーブルテレビのエリアは北陸放送を区域外再放送)
(2011年7月24日停波時点)
親局
中継局
2府4県約200か所の中継局が設置され中継局経由で視聴する場合でも4にプリセットされ視聴されていた。 ここでは5万人以上市の中心部を放送エリアに含む中継局または出力50W以上の中継局を抜粋する。
- 31ch 神戸
- 33ch 亀岡 宮津 五條 香住
- 34ch 三木
- 36ch 大津 新宮
- 42ch 和歌山
- 53ch 舞鶴 北淡垂水 御坊
- 54ch 彦根 山科 福知山 神戸灘 姫路 城崎 田辺
- 55ch 西宮山口
厳密には毎日放送の放送対象外地域だが、県内の民放テレビ局がJNNに加盟していない福井・徳島両県でも、毎日放送の番組を地上波やケーブルテレビなどで視聴できるエリア(徳島県の徳島空港や福井県嶺南)にカメラを常設している。
在阪テレビ局各局はそれぞれ独自の名物マスコットキャラクターを輩出しているが(大阪市内の土産店でこれらのキャラクターグッズ類も売られているほど)、毎日放送も例外ではない。
エムぞう
茶屋町への本社屋移転を機に設定された初代のマスコットキャラクター。本社(現在のM館)の形を模していて、設定期間中は、本社1階のオフィシャルグッズ(MBSグッズ)ショップを「エムぞうの店」と称していた。
第2代キャラクターにぷいぷいさん(後述)が起用されてからも、本社の玄関に「エムぞうの店」の看板を掲げていたが、第3代キャラクターにらいよんチャン(後述)が起用された頃に自然消滅。「エムぞうの店」も、「ネビュラ・エムぞうの店」→「ネビュラ」への改称を経て、「らいよんデイリーストア」内のMBSグッズ売場に集約された。
ぷいぷいさん
『ちちんぷいぷい』のイメージキャラクター。番組の開始(1999年10月)から一時ステーションキャラクターも兼ねていたため、「ちちんぷいぷいMBS」というステーションフレーズを使用していた。このフレーズを使用しなくなってからも、本社M館の玄関上に(異常気象時を除いて)大型のバルーンを設置。「ちちんぷいぷいMBS」というロゴ付きのアニメーション映像を、テレビCM枠のフィラー映像として流していた(主に深夜)。
仲間にはひーさん、わんわん、くもくもとりさん、げじー[注釈 49] と、『せやねん!』のイメージキャラクターのせやねんちゃんとちゃうやろちゃんがいる。『ちちんぷいぷい』が2021年3月12日で放送を終了してからも、『せやねん!』は放送を続けているが、ぷいぷいさん、ひーさん、わんわん、くもくもとりさん、げじーは姿を消している。
らいよんチャン
2003年(平成15年)6月2日に、MBSテレビにおける番組宣伝のメインキャラクターとしてデビュー。2004年から2007年まで「らいよんキング」としてオーサカキング宣伝隊長、2009年頃から毎日放送全体のマスコットキャラクター(ステーションキャラクター)としての役割を担っている。2021年3月からは、『よんチャンTV』のマスコットキャラクターにも起用。
本社M館1階の「ちゃやまちプラザ」には、「らいよんチャンハウス」が設置されているほか、「プルタブ・プラキャップ集積コーナー」の書割パネルなどに「らいよんチャン」の絵やイラストを採用。冬期には、「らいよんチャン」をLED照明で浮かび上がらせるオブジェが、夜間のフォトスポットとしてM館のエントランス前に設けられている。
バルーン
本社M館1階エントランスの真上には、「らいよんチャン」のバルーンが掲げられている。『ちちんぷいぷい』の放送期間中は「ぷいぷいさん」、『あん!』の放送期間中には「あん!ちゃん」(同番組のマスコットキャラクター)のバルーンも並べられていた。いずれのバルーンも、台風の接近・上陸によって風速が一定以上のレベルに達した場合には、防災上の観点から空気を抜いたうえで屋内に「避難」させている。
「ぷいぷいさん」の後期に使われていたバルーンは、前期に比べて小ぶりで、空気を抜いてから折り畳むと軽トラックの荷台へ積めるようになっていた。
「らいよんチャン」のバルーンには当初、裸の姿が描かれていた。後に、Tシャツを着た姿のバルーンに変更。『ちちんぷいぷい』の放送終了2日後(2021年3月14日)から「ぷいぷいさん」のバルーンと共に撤去されていたが、『よんチャンTV』の放送開始3日前(26日)から、「らいよんチャン」のみ掲示を再開。再開後は、『よんチャンTV』のタイトルロゴを入れたTシャツ姿のバルーンに変わっている。
じゃがポテ仮面
『はれときどきうた』(2010年7月15日からMBSテレビで放送されていた天気予報シリーズ)向けのキャラクターとして誕生。放送期間中に、レトルトカレーやDVDが発売されている。同番組が終了してからも、毎日放送が自社で編成するテレビショッピングゾーンのオープニング・エンディング映像に登場。