アラウシオの戦い
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アラウシオの戦い(アラウシオのたたかい、英語: Battle of Arausio)は、紀元前105年10月6日にローマ属州のガリア・ナルボネンシスのアラウシオ(現フランス・オランジュ)近郊で起こった、キンブリ族、テウトネス族の連合軍とローマ軍の戦いである。移住先を求め、ボイオリクス王とテウトボド王(英語版)に率いられてガリアに侵入した民族系統不明のキンブリ族とゲルマン系のテウトネス族(チュートン人)が、大カエピオと グナエウス・マッリウス・マクシムスが率いるローマ軍を全滅させた。この戦いはキンブリ・テウトニ戦争の主要な戦いであると同時に、共和政ローマにおける最大の敗北の一つとされている。この大敗に衝撃を受けたローマではガイウス・マリウスが軍制革命を進め、軍事だけでなくローマ社会そのものの大幅な変革につながった。