アーマー鉄道事故
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アーマー鉄道事故(アーマーてつどうじこ、英語: Armagh rail disaster)は、1889年6月12日にアイルランド島北東部アルスター地方のアーマー近郊で発生した鉄道事故である[1]。当時のアイルランド島は全島がグレートブリテン及びアイルランド連合王国(イギリス)の領土であったが、事故現場はアイルランド独立後もイギリス領として残った北アイルランドにある。
概要 アーマー鉄道事故 (Armagh rail disaster), 発生日 ...
アーマー鉄道事故 (Armagh rail disaster) | |
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当時撮影された写真、衝突後破壊された客車の残骸が散乱している | |
発生日 | 1889年6月12日 |
発生時刻 | 10:45頃 |
国 | グレートブリテン及びアイルランド連合王国(イギリス) |
場所 | アルスター地方アーマー |
座標 | 北緯54度21分39秒 西経6度36分45秒 |
路線 | アーマー-ニューリー線(1933年廃止) |
原因 | 逸走(不適切な手ブレーキの使用) |
統計 | |
列車数 | 2 |
乗客数 | ~940 |
死者 | 80 |
負傷者 | 260 |
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教会学校が貸し切った、とても混雑した遠足用の列車が急勾配に差し掛かり、牽引した蒸気機関車は坂を登り切ることができず、立ち往生した。乗務員らは列車を分割して、前半部分を先に進め、本線上に列車の後半部分を残していくことにした。この後半部分の列車にかけられたブレーキが不適切であったため、勾配を逆行して後続列車と衝突した。
80人が死亡し、260人が負傷し[2]、そのうち約3分の1は子供であった。19世紀にイギリスで起きた鉄道事故としては最悪であり、アイルランド島の鉄道で起きた事故としては現在でも依然として最悪である。2019年3月現在イギリスの鉄道で起きた事故としては4番目の規模である。
当時としてはヨーロッパでも最悪の鉄道事故であり、イギリスにおいて様々な安全措置が法的な義務となる直接の要因となった。導入された措置だけではなく、それまで鉄道会社の任意に委ねられていた安全上の措置について、政府がより直接的に干渉するようになったという点でも重要である。