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スィールの娘ブランウェン
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『スィールの娘ブランウェン』(現代ウェールズ語: Branwen ferch Llŷr, 中期ウェールズ語: Branwen uerch Lyr) は、中世ウェールズ語文学のなかの伝説的物語のひとつで、マビノギ四枝の第二話である。この話はスィールの子どもたち、すなわちブリテンの上王ベンディゲイドヴラン (Bendigeidfran, 「祝福されたブラン Brân the Blessed[注釈 1]」) およびその弟マナウィダン (Manawydan) と妹ブランウェン (Branwen) に関わっており、ブランウェンとアイルランドの王マソルーフ (Matholwch) との結婚を扱っている。マソルーフがブリテンの姫ブランウェンの待遇を誤ったことで、二つの島のあいだに壊滅的な戦争が起こり、主要な登場人物の大半の死を招き、またベリの息子カスワソン (Caswallon fab Beli) がブリテンの王位に上ることとなる。ほかの枝と並んで、この物語もヘルゲストの赤い本 (Red Book of Hergest) およびレゼルフの白い本 (White Book of Rhydderch) に見いだされる。この直後に第三の枝『スィールの息子マナウィダン』(Manawydan fab Llŷr) が続く。
Branwen uerch Lyr | |
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『スィールの娘ブランウェン』 | |
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作者 | 不明、一般にダヴェド出身の写字生と信じられている[1]。 |
言語 | 中期ウェールズ語 |
執筆時期 | 最初の写本は14世紀に遡る;物語はさらにずっと古いと考えられる。 |
シリーズ | マビノギ四枝 |
ジャンル | ウェールズ神話 |
節 | マビノギの第二の枝。ブランウェンとマソルーフの結婚。 |
設定 | 大部分はアイルランド、またブリテン島のハーレフ、ロンドン、アベルフラウ。 |
登場時代 | 神話時代 |
登場人物 | ベンディゲイドヴラン (祝福されたブラン)、マソルーフ、ブランウェン、エヴニシエン、マナウィダン、プレデリ、タリエシン、グウェルン |
一説によると[2]この物語は部分的に、紀元前3世紀のガリア人のバルカン半島侵攻に由来し、ブランはガリア人の族長ブレンヌス (Brennus) に同定されるという[3]。ニコライ・トルストイ (Nikolai Tolstoy) は、現行の形の伝説は11世紀のブライアン・ボル (Brian Boru) とモール・セックネール (Máel Sechnaill) との戦いによる影響を受けている可能性があると示唆している。一方ウィル・パーカー (Will Parker) は、この枝は初期のアーサー王関連物語である『アンヌウヴンの略奪』および『キルフーフとオルウェン』とともに、アイルランドの物語『マグ・ムクラマの戦い』(Cath Maige Mucrama) と『ブランの航海』(Immram Brain) とに遠く関連していると提唱している[2]。