ノルウェー・インシデント
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ノルウェー・インシデント(英: Norwegian rocket incident)は、1995年1月25日にノルウェーと米国の研究チームがノルウェー北西岸のアンドーヤロケット発射場から4段の観測ロケットとしてブラック・ブラント XII ロケットを打ち上げた時に起こり、「ブラック・ブラントの恐怖」(Black Brant scare)とも呼ばれる事件。このロケットにはスヴァールバル諸島でのオーロラの光を観測するための科学機器が積まれており、北向きに高く上がる軌道をとっていたが、それは米国ノースダコタ州のミニットマンIIIの核ミサイル基地からはるばるロシアの首都モスクワを攻撃する弾道経路と重なっていた[1]。ロケットはやがて高度1,453キロメートルに達し、あたかも米海軍の潜水艦が発射したトライデント・ミサイルのようになった。これによりロシアの核抑止部隊は高度警戒態勢に入り、ロシア側のレーダーを無効化する高高度核攻撃を恐れ、核攻撃命令を下すためのブリーフケース「チェゲト」がエリツィン大統領のもとへ運ばれ、彼は米国へ報復核攻撃を行なうか否かの決断を迫られた[1][2][3]。結局、ロシアの観測員らはロケットが核攻撃ではないと結論を出し、報復命令は下されなかった。