パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)
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「パーミャチ・メルクーリヤ」[1](ロシア語: «Па́мять Мерку́рія»[注 3][注 4][注 5])は、ロシア帝国が建造し保有した防護巡洋艦(бронепалубный крейсеръ: 装甲甲板巡洋艦)である。黒海艦隊に配備された最初の防護巡洋艦であった。設計上は、装甲甲板巡洋艦の中の特に長距離偵察艦(дальній разведчикъ)に分類される[2]。ロシア帝国海軍の正式な分類(ロシア語版)では当初は 1 等巡洋艦(крейсеръ I ранга)に分類され[3]、1907年9月27日[暦 7]付けの類別法改正で巡洋艦(крейсеръ)に類別を変更された[4]。1915年7月15日付けの類別法改正では巡洋艦のままで[5]、その後保有した各国でも巡洋艦に分類した。1921年12月31日には再び 1 等巡洋艦(крейсер I ранга)[5]、1923年11月7日には練習巡洋艦(учебный крейсер)[6][7]に類別を変更された。1941年6月からは機雷敷設艦(минный заградитель)として使用されるようになった[6][7]が、正式分類は変更されなかった。
「カグール」 「パーミャチ・メルクーリヤ」 「ヘーチマン・イヴァン・マゼーパ」 「コミンテルン」 | ||
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第一次世界大戦中の「パーミャチ・メルクーリヤ」。備砲が 152 mm 砲に統一されているので、1916年以前の撮影と推定される。前後のマストにはテレフンケン式無線装置アンテナが見える。船首には繋留簡略化のための斜檣が設置されている。第 2 煙突には識別帯が描かれ、前檣(ロシア語版)には提督旗が翻る。提督旗は、恐らく A・G・ポクローフスキイ(ロシア語版)海軍少将のもの。 | ||
艦歴 | ||
「カグール」 «Кагулъ» | ||
起工 | 1901年8月23日[暦 1] ニコラーエフ海軍工廠(ウクライナ語版) | |
進水 | 1902年5月20日[暦 2] | |
竣工 | 1905年 | |
配備 | 1907年 | |
「パーミャチ・メルクーリヤ」 «Память Меркурія» «Пам’ять Меркурія» «Память Меркурия» | ||
改称 | 1907年3月25日[暦 3][* 1] | |
所属 | ロシア帝国海軍黒海艦隊(ロシア語版)[注 1] ロシア帝国海軍黒海海軍[注 1] ロシア帝国海軍黒海作戦艦隊[注 1] ロシア帝国海軍黒海艦隊[注 1] | |
転属 | 1917年3月3日[暦 4] | |
所属 | 臨時政府黒海艦隊[注 1] ロシア共和国海軍黒海艦隊[注 1] | |
転属 | 1917年10月27日[暦 5] | |
所属 | ウクライナ人民共和国海軍黒海艦隊[注 1] | |
転属 | 1917年12月16日[暦 6] | |
所属 | ロシア・ソビエト共和国黒海艦隊[注 1] | |
転属 | 1918年1月29日 | |
所属 | 労農赤色海軍黒海海軍[注 1] | |
転属 | 1918年4月29日 | |
所属 | ウクライナ人民共和国海軍黒海艦隊[注 1] | |
転属 | 1918年5月2日 | |
所属 | ドイツ帝国海軍 ウクライナ国海軍[* 2] | |
「ヘーチマン・イヴァン・マゼーパ」 «Гетьман Іван Мазепа»[* 2] | ||
改称 | 1918年9月17日 | |
所属 | ドイツ帝国海軍 ウクライナ国海軍 | |
転属 | 1918年10月1日 | |
所属 | ドイツ帝国海軍 | |
転属 | 1918年11月11日 | |
所属 | ウクライナ国海軍 | |
転属 | 1918年11月22日 | |
所属 | 白色黒海艦隊(ロシア語版)[注 1][注 2] | |
転属 | 1918年11月24日 | |
所属 | イギリス海軍 | |
「パーミャチ・メルクーリヤ」 «Память Меркурія» «Память Меркурия» | ||
改称 | 1918年12月[* 2] | |
所属 | イギリス海軍 | |
転属 | 1919年4月29日 | |
所属 | ウクライナ社会主義ソビエト共和国海軍[注 1] | |
転属 | 1919年6月24日 | |
所属 | 南ロシア海軍黒海艦隊[注 1] | |
転属 | 1920年5月11日 | |
所属 | ロシア海軍黒海艦隊[注 1] | |
転属 | 1920年11月15日 | |
所属 | 労農赤色海軍黒海・アゾフ海海軍[注 1] | |
転属 | 1920年12月10日 | |
所属 | ウクライナ・クリミア軍(ロシア語版)黒海・アゾフ海海軍[注 1] | |
転属 | 1921年11月 | |
所属 | ウクライナ・クリミア軍黒海海軍[注 1] | |
転属 | 1922年6月3日 | |
所属 | 労農赤色海軍黒海海軍(ロシア語版)[注 1] | |
「コミンテルン」 «Коминтерн» | ||
改称 | 1922年12月31日[* 3] | |
所属 | 労農赤色海軍黒海海軍[注 1] ソビエト連邦海軍黒海海軍[注 1] ソビエト連邦海軍黒海艦隊[注 1] 労農赤色海軍黒海艦隊[注 1] | |
除籍 | 1943年2月2日[* 4] | |
要目 | ||
正式分類(ロシア語版) | 1 等巡洋艦[* 5] 巡洋艦[* 6](1907年9月27日[暦 7]以降) 1 等巡洋艦[* 7](1921年12月31日以降) 練習巡洋艦[* 3](1923年11月7日以降) | |
発注 | 1893年-1902年度造船計画[* 8] | |
計画 | 排水量 6000 t 級巡洋艦のための計画 1898年計画偵察艦 | |
形態 | 防護巡洋艦、長距離偵察艦 | |
艦級 | 「ボガトィーリ」級(英語版) / 「カグール」級[* 9][* 10] | |
船体 | ||
排水量 | 公試排水量 | 7100 t[* 11] (以下英トン数) |
常備排水量 | 7170 t[* 11] | |
満載排水量 | 7600 t[* 11] | |
長さ | 全長 | 134.16 m |
幅 | 最大幅 | 16.61 m |
深さ | 船首喫水(公試排水量) | 5.3 m[* 11] |
船尾喫水(公試排水量) | 6.83 m[* 11] | |
平均喫水 | 6.81 m | |
長さ/幅比 | 8.0 | |
メタセンター高さ(ロシア語版) | 公試排水量 | 0.91 m[* 11] |
常備排水量 | 0.87 m[* 11] | |
満載排水量 | 0.84 m[* 11] | |
動力装置(竣工時) | ||
主機 | ニコラーエフ機械造船工場式 3 段膨張式垂直機関 | 2 基[* 12] |
ベルヴィル式[* 12] / ノルマン(英語版)式水管ボイラー | 16 基 | |
総契約図示出力(ロシア語版) | 19500 ihp | |
蒸気直流発電機 | 3 基 | |
プロペラシャフト | 2 軸[* 12] | |
推進用スクリュープロペラ | 2 基[* 12] | |
燃料 | 石炭通常積載 | 720 t[* 11] |
石炭最大積載 | 1100 t[* 11] | |
水 | 飲料水 | 210 t[* 11] |
ボイラー用水通常積載 | 20 t[* 11] | |
ボイラー用水最大積載 | 90 t[* 11] | |
航行性能 | ||
速力 | 契約速力 | 23 kn |
公試速力 | 23.3 kn | |
1912年の速力 | 21 kn | |
航続距離 | 航行速度 21 kn | 735 nmi |
航行速度 12 kn | 2100 nmi | |
単独活動期間 | 60 日間[* 13] | |
乗員 | ||
士官 | 19 名 | |
下士官 | 12 名 | |
水兵 | 565 名 | |
武装 | ||
竣工時 | ||
45 口径 152 mm 連装囲砲塔(ロシア語版) | 2 基 | |
45 口径 152 mm 単装砲(ロシア語版) | 8 門 | |
50 口径 75 mm 単装砲(ロシア語版) | 12 門 | |
20 口径 63.5 mm 上陸砲(ロシア語版) | 2 門 | |
3 リーニヤ(英語版) マキシム機関銃 | 4 挺 | |
381 mm 水上水雷装置 | 2 基 | |
381 mm 水中水雷装置 | 2 基 | |
1913年 - 1914年改修時 | ||
45 口径 152 mm 連装囲砲塔 | 2 基 | |
45 口径 152 mm 単装砲 | 12 門 | |
50 口径 75 mm 単装高角砲(ロシア語版) | 2 門 | |
3 リーニヤ 機関銃 | 4 挺 | |
1916年 - 1917年改修時 | ||
55 口径 130 mm 連装囲砲塔(ロシア語版) | 2 基 | |
55 口径 130 mm 単装砲(ロシア語版) | 6 門、または 12 門[* 14] | |
57 mm 単装高角砲(英語版) | 2 門[* 15] | |
1923年改修時 | ||
55 口径 130 mm 連装囲砲塔 | 2 基 | |
55 口径 130 mm 単装砲 | 12 門 | |
搭載航空機 | ||
水上機(第一次世界大戦中から) | 2 機[* 16] | |
防禦装甲装置 | ||
材質 | 鋼 | |
装甲甲板 | 水平部 | 35 mm |
傾斜部 | 70 mm | |
斜堤部 | 85 mm | |
機関区画(英語版)覆い | 30 mm | |
戦闘司令塔(ロシア語版) | 140 mm | |
連装砲塔 | 砲塔垂直壁 | 127 mm[* 12] 152 mm[* 17] 125 mm |
砲塔天蓋 | 90 mm | |
砲塔給弾昇降機垂直壁 | 73 mm | |
砲塔給弾昇降機天蓋 | 51 mm | |
舷側砲 | 152 mm 砲給弾昇降機 | 35 mm |
152 mm 砲防楯 | 25 mm | |
砲廓 | 79 - 35 mm[* 12] | |
通信装置 | ||
テレフンケン式1909年型無線装置 | 1 基 | |
出力 | 2 kW | |
通信距離 | 250 nmi | |
75 cm 探照燈 | 6 基 | |
要目の出典 | ||
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ウィキメディア・コモンズには、パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)に関するカテゴリがあります。 | ||
「メルクーリイの記憶」という意味の艦名は、露土戦争で活躍したブリッグを記念したもの[注 6]。その活躍により、時の皇帝ニコライ1世は黒海艦隊はその名をもつ艦船をつねに保有すべしと命じた。この巡洋艦がその名を受け継ぐ最後のロシア帝国軍艦であり、かつてそのブリッグが授与されたゲオルギイの旗(ロシア語版)と檣頭旗(ロシア語版)を受け継ぐ最後の艦であった[6]。
第一次世界大戦では、黒海艦隊には 2 隻しか存在しなかった巡洋艦戦力の中核としてあらゆる種類の任務に投入された。ロシア革命後は、ロシア臨時政府、ウクライナ国家、ロシア・ソビエト共和国、ドイツ帝国、イギリス、白軍などに所有された。最終的にはソビエト連邦に所有されたが、第二次世界大戦中に閉塞船として沈められた。その残骸は、今日まで残っている[6]。