ベルリン襲撃 (1760年)
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ベルリン襲撃(ベルリンしゅうげき)は、七年戦争中の1760年10月、オーストリア軍とロシア軍が4日間にわたってプロイセン王国の首都ベルリンを占領した事態を指す。占領軍は同市から資金を徴収すると、プロイセン軍の接近とともに撤退した。後に、ロシア軍の指揮官トートレーベン伯は、ベルリンの町を救わんとするプロイセン側から賄賂を受け取ったという告発を受けて裁判にかけられ、スパイとして有罪を宣告された。
概要 ベルリン襲撃, 交戦勢力 ...
ベルリン襲撃 | |
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戦争:七年戦争 | |
年月日:1760年10月8日 | |
場所:ベルリン | |
結果:オーストリア・ロシア連合軍による4日間のベルリンの占領 | |
交戦勢力 | |
オーストリア ロシア帝国 |
プロイセン王国 |
指導者・指揮官 | |
フランツ・モーリッツ・フォン・ラシー大将 ゴットロープ・ハインリヒ・フォン・トートレーベン少将 |
ヨハン・フォン・レーヴァルト(英語版)元帥 フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツ中将 ハンス・フリードリヒ・フォン・ロッホウ(ドイツ語版)中将 |
戦力 | |
総勢35,600、うち オーストリア軍18,000名 ロシア軍17,600名[1] |
18,000名[2] |
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