レーモン2世 (トリポリ伯)
第3代トリポリ伯 (在位1137年〜1152年) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
レーモン2世 (フランス語: Raymond II、ラテン語: Raimundus、1116年ごろ - 1152年)は、12世紀のトリポリ伯(在位:1137年 - 1152年)である。彼の父親は前トリポリ伯ポンス(英語版)であり、彼はダマスカスから伯国に侵攻してきたムスリム軍に敗れ戦死したとされる。レーモン2世は父の死後、父親への裏切りに対する報復としてレバノン山脈一帯に侵攻し、当地域に居住するキリスト教徒を拷問にかけて処刑して回った。しかしその後、彼はモースルのアタベク(英語版)であったムスリム諸侯ザンギーの軍勢に敗れ、ムスリム側に捕虜として拘束された。1137年夏、モンフェラン城(英語版)・ラファニヤ城(英語版)の割譲と引き換えに、レーモン2世の身柄は解放された。
レーモン2世 | |
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レーモン2世の印章 | |
先代 | ポンス(英語版) |
次代 | レーモン3世 |
出生 | 1116年ごろ |
死亡 |
1152年 トリポリ |
王室 | トゥールーズ家 |
父親 | ポンス(英語版) |
母親 | セシル・ド・フランス |
配偶者 | オディエルナ(英語版) |
子女 レーモン3世 メリザンド(英語版) | |
信仰 | カトリック |
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以上の出来事により、トリポリ伯の軍勢では伯国東部の国境防衛は手に負えないことが明らかとなったため、1142年にレーモン2世は伯国の一部の城塞をホスピタル騎士団に割譲し、伯国東方の国境防衛を騎士団に委任した。また第2回十字軍の指揮官として聖地にやってきた大叔父アルフォンス・ジュルダンが聖地上陸後に急死した際、レーモンは彼の暗殺への関与を疑われたという。なぜなら、アルフォンソはトリポリ伯の爵位の継承権を有する貴族の1人であったからである。ジョルダンの息子ベルトランは実際、1149年、父の死後にAreimeh城を占領してレーモンに対抗した。結局これはムスリム勢力の支援を受けたレーモンによって鎮圧された。この城はその後、テンプル騎士団に譲渡された。
また、レーモンは妻オディエルナ(英語版)との結婚生活もうまくいかなかったとされる。夫婦間の険悪な関係を解消するべく、オディエルナの姉であったエルサレム女王メリザンド(英語版)はトリポリを訪れて両者の仲裁を試みた。しかしこの仲裁はうまくいかず、会談後にオディエルナはメリザンドと共にエルサレムへ帰国してしまった。レーモンは妻オディエルナの里帰りを見送るため、しばらくの間オディエルナ・メリザンド一行をエスコートしたが、その帰り道で暗殺教団に暗殺されたという。トリポリ南門での出来事であった。彼は暗殺教団に殺害された最初のキリスト教徒支配者となった。