ワディ・エル・ホル文字と原シナイ文字
北西セム語の表記に用いられたアブシャド / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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原シナイ文字(げんシナイもじ)は、シナイ半島のサラービート・アル=ハーディム(英語版) (アラビア語: سرابت الخادم Sarābīṭ l-ḫādim) で発見された、青銅器時代中期 (紀元前2000年-紀元前1500年) の年代と推定される少数の刻文に使われている文字を指す。
原シナイ文字 | |
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原シナイ文字の例。左上から右下へ読み、mt l bʿlt(バアラト (女神) へ)と読まれる可能性がある | |
類型: | アブジャド |
言語: | 北西セム語 |
時期: | 紀元前18-15世紀 |
親の文字体系: |
ヒエログリフ
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子の文字体系: | フェニキア文字、南アラビア文字 |
注意: このページはUnicodeで書かれた国際音声記号 (IPA) を含む場合があります。 | |
テンプレートを表示 |
メロエ 前3世紀 |
カナダ先住民 1840年 |
注音 1913年 |
最古の「原シナイ文字」刻文は、早くて紀元前19世紀、遅くて紀元前16世紀のものと推定される。「主な議論は早い時期である1850BCごろか、遅い時期である1550BCごろかで争われている。どちらの時期をとるかによって、原シナイ文字と原カナン文字のどちらが古いか、そこからの帰結として音素文字がエジプトとパレスチナのどちらで生まれたかが決定される」[1]。青銅器時代の「原シナイ文字」およびさまざまの「原カナン文字」の刻文資料はわずかな量のものしか存在しない。青銅器時代が崩壊し、レヴァント地方に新しいセム系の王朝が勃興して、はじめて鉄器時代のフェニキア文字の直接の祖先である「原カナン文字」(ビブロス刻文)が現れる[2]。
いわゆる「原シナイ文字」は、1904年から1905年にかけての冬にシナイ半島でフリンダーズ・ピートリー夫妻が発見した。これに加えて、紀元前17世紀から15世紀のものとされるさまざまな短い「原カナン文字」刻文がカナンで発見された。より新しくは、1999年にen:John Darnellとen:Deborah Darnellが中エジプトでいわゆるワディ・エル・ホル文字(ワディエルホルもじ、英語:Wadi el-Hol script)を発見した。紀元前19世紀から紀元前18世紀頃のものと推定される[3][4]。