ヴィルヘルム・ヴェーバー (親衛隊隊員)
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ヴィルヘルム・ヴェーバー(Wilhelm Weber, 1918年3月19日 - 1980年3月2日)は、第二次世界大戦期ドイツ国(ナチス・ドイツ)の軍人、武装親衛隊将校、騎士鉄十字章受章者。
ヴィルヘルム・ヴェーバー Wilhelm Weber | |
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渾名 | サイクロン(Zyklon / Cyclone)[1] |
生誕 |
(1918-03-19) 1918年3月19日 ドイツ帝国 プロイセン王国ヴェストファーレン・ピヴィッツハイデ |
死没 |
(1980-03-02) 1980年3月2日(61歳没) ドイツ連邦共和国(西ドイツ) ヘッセン州ベンスハイム |
所属組織 | 親衛隊特務部隊、武装親衛隊 |
軍歴 | 1937年 - 1945年(親衛隊特務部隊、武装親衛隊) |
最終階級 | SS中尉 |
除隊後 | 西ドイツ・ヘッセン州ベンスハイムで書店を経営 |
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1937年に親衛隊特務部隊(後の武装親衛隊)へ入隊し、1939年9月のポーランド侵攻・1940年5月~6月の西方戦役・1941年6月のソビエト連邦侵攻作戦「バルバロッサ」に参加。SS「ヴィーキング」師団「ゲルマニア」連隊の一員として東部戦線で活躍し、1941年付で一級鉄十字章を受章。1943年3月10日付でSS少尉(SS-Untersturmführer)に任官した。
1944年秋、フランスSS部隊総監グスタフ・クルケンベルクSS少将(SS-Brigf. Gustav Krukenberg)に抜擢されてSS所属武装擲弾兵旅団(後に師団)「シャルルマーニュ」(Waffen-Grenadier-Brigade der SS „Charlemagne“)に着任。エリート歩兵部隊「名誉中隊」(Compagnie d'Honneur)の指揮官を務め、1945年2月下旬のポメラニア戦線に出陣。2月25日午後、エルゼナウ(Elsenau、現オルシャノボ(Olszanowo))の戦いでヴェーバーの名誉中隊は「シャルルマーニュ」師団司令部に迫ったソビエト赤軍戦車部隊(少なくとも14輌以上の敵戦車)を対戦車兵器で殲滅した。
独ソ戦の最終局面である1945年4月末、ヴェーバーは「シャルルマーニュ」師団の生存者の中で戦闘継続を希望した約300名の将兵の1人となり、「フランスSS突撃大隊」(Französische SS-Sturmbataillon)に配属された「戦術学校」(Kampfschule)(旧称:名誉中隊)の指揮官としてベルリン市街戦に参加。パンツァーファウストを用いた近接戦闘で赤軍戦車を多数(単独で8輌もしくは13輌)撃破した功績により、1945年4月29日、ドイツ国(ナチス・ドイツ)最後の騎士鉄十字章受章者の1人となった。最終階級はSS中尉(SS-Obersturmführer)[1]。