一色義貫
室町時代の武将、守護大名。丹後一色氏4代。兵部少輔、左京大夫、修理大夫。室町幕府 四職、丹後・若狭・三河・山城守護、尾張知多分郡守護。一色満範の次男 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
一色 義範(いっしき よしのり)は、室町時代の武将、守護大名。丹後一色家の当主。
概要 凡例一色義範, 時代 ...
時代 | 室町時代 |
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生誕 | 応永7年(1400年) |
死没 | 永享12年5月15日(1440年6月14日) |
戒名 | 安養寺泰雲 |
官位 | 兵部少輔、左京大夫、修理大夫 |
幕府 |
室町幕府四職、丹後・若狭・三河・山城守護 尾張知多分郡守護 |
主君 | 足利義持→義量→義教 |
氏族 | 一色氏(丹後一色家) |
父母 | 父:一色満範 |
兄弟 | 持範、義範、持信 |
子 | 義遠、義直[1] |
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室町幕府第4代将軍・足利義持より偏諱を受け、初めは父の1字と合わせて義範を名乗り、後に義貫(よしつら)と名乗った。なお、上の「義」の字を与えられていることから、下の「持」の字を与えられた兄・持範、弟・持信に比べ、良い待遇を受けていたものと推測される。