初期アッシリア時代
ウィキペディア フリーな encyclopedia
初期アッシリア時代(しょきアッシリアじだい)[1][2]は、アッシリアの歴史における最初期の段階である。本項ではプズル・アッシュル1世(在位:前2025年頃)の下でアッシリアが独立した都市国家となる時代(古アッシリア時代)までを解説する(アッシュル市の歴史、そこに暮らした人々とその文化を含む。)。
初期アッシリア時代 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
前2600年頃–前2025年頃 | |||||||||
共通語 | アッカド語、シュメル語、フルリ語(フリ語) | ||||||||
宗教 | 古代メソポタミアの宗教(英語版) | ||||||||
時代 | 青銅器時代 | ||||||||
前2600年頃 | |||||||||
• アッカド帝国による征服 | 前2300年頃 | ||||||||
• ウル第3王朝による征服 | 前2100年頃 | ||||||||
前2025年頃 | |||||||||
| |||||||||
現在 | イラク |
初期アッシリア時代の物質的・文学的史料はほとんど現存していない。アッシュル市で発見された最初期の考古学的史料はメソポタミアの初期王朝時代(英語版)(前2600年頃)のものであるが、この地域には数千年前から人が居住していたことやニネヴェのような近隣の都市が非常に古い時代から存在していたことから考えて、アッシュル市の創建ももっと古くまで遡る可能性がある。
アッシュル市の最初期の考古学的史料から、アッシュル市には元来フルリ人(フリ人)[3][4]が居住しており、この都市は女神イシュタルへの豊穣祈願の儀式(英語版)が行われる場所であったと見られる[5]。「アッシュル」という名前が歴史に初めて登場するのは前24世紀のアッカド帝国の頃であり、この都市は元々はバルティル(Baltil[6])と呼ばれていたかもしれない。この名前は後の時代にアッシュル市の最も古い地区の名前として使用されている。アッカド帝国の勃興以前のある時点で、セム語を話す人々(後のアッシリア人の祖先)が元々の居住者を追放または同化して、アッシュル市やその周辺の地域に定着した[3][4]。宗教的・戦略的な要地に立地していたアッシュル市は、都市それ自体が初期アッシリア時代の間に徐々に神格化され最終的に擬人化されたアッシュル神となった。そしてこの神は古アッシリア時代には揺るぎない国家神となった。
初期アッシリア時代の間にアッシュル市が独立した勢力となっていたことを示す史料は存在しない。メソポタミアの初期王朝時代においてアッシュルはシュメル人から強い影響を受け、しばらくの間シュメルの都市国家キシュの覇権の下にあった。前24世紀から前22世紀にかけてアッシュル市はアッカド帝国の一部となり北部メソポタミアの行政拠点となった。後のアッシリアの諸王はこの時代を黄金時代とみなした。初期アッシリア時代の終盤にはアッシュル市はシュメルの帝国であるウル第3王朝(前2114年-前2004年頃)の辺境都市となっていた。