北勢四十八家
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北勢四十八家(ほくせいしじゅうはちけ)は、伊勢国北部の北伊勢地域(特に三重県四日市市の周辺の北勢地域)に勢力をもった小規模の城主・豪族の集合体の呼称である。全部で53の家系があり、48家より5家多い。途中で戦国時代の乱世による城主の興亡での城主の入替や、同名の家柄の別家系があり、正確な北勢四十八家は不明である。北伊勢の室町時代から戦国時代の歴史研究で必ず語られるのが「北勢四十八家」の伝承である。「四十八家」の表現は「勢州軍記」で記述されて、以後の軍記物・地誌・市町村史に引き継がれた。四十八家は実数でなくて、相撲の技を指す「四十八手」と同様の用法で、北伊勢の国人・地侍を意味するものだった[1]。
中世、戦国時代、安土桃山時代における伊勢国では北畠氏(中勢地方を支配)・神戸氏(鈴鹿郡が勢力圏)が戦国大名であった。北勢地域(伊勢国北部)では以下の北勢四十八家と呼ばれた豪族が統治していた[2]。