宮城県
日本の都道府県 ウィキペディアから
日本の都道府県 ウィキペディアから
宮城県(みやぎけん)は、日本の東北地方に位置する県。県庁所在地は仙台市。
みやぎけん 宮城県 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
団体コード | 04000-2 | ||||
ISO 3166-2:JP | JP-04 | ||||
面積 |
7,282.30km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
2,249,490人[編集] (推計人口、2024年8月1日) | ||||
人口密度 | 309人/km2 | ||||
隣接都道府県 |
岩手県 秋田県 山形県 福島県 | ||||
県の木 | ケヤキ | ||||
県の花 | ミヤギノハギ | ||||
県の鳥 | ガン | ||||
県の獣 県民の歌 |
シカ 輝く郷土 | ||||
宮城県庁 | |||||
知事 | 村井嘉浩 | ||||
法人番号 | 8000020040002 | ||||
所在地 |
〒980-8570 宮城県仙台市青葉区本町3丁目8番1号 北緯38度16分07秒 東経140度52分19秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキポータル | 日本の都道府県/宮城県 | ||||
ウィキプロジェクト |
宮城県は東北地方の南東部に位置する。県内には仙台平野が広がり、北上川や阿武隈川といった大河が貫流して流域に沖積平野が発達している。東は太平洋に面し、県中部にある松島は多島海の景勝地で日本三景の一つに数えられる。西は奥羽山脈に接し、栗駒山や蔵王連峰などの秀峰がそびえる。県内の気候は太平洋側気候に分類される。冬の間、県西部の山間地は多雪地域であるが、東部の平野では雪は少なく晴れの日が多い。夏季については、太平洋からの海風の影響で厳しい暑さにはなりにくい。通年で穏やかな気候の風土である[1][2]。県内人口は約225万人で(2023年9月1日の推計人口)、東北地方では最も人口が多い県である。人口約110万人の仙台市は東北地方で唯一の政令指定都市であり、東北地方最大の仙台都市圏を形成している。仙台市は東北地方のプライメイトシティ(首位都市)であり、仙台都市圏には宮城県民の67.9%に当たる154万人が居住する。
現在の宮城県の領域は、古墳時代からヤマト王権の影響下にあり、雷神山古墳など多数の古墳が造営された[3]。後に陸奥国府と鎮守府である多賀城が置かれた[4]。中世には大崎氏や葛西氏、留守氏、国分氏などが割拠したが、伊達政宗が米沢城から岩出山城を経て仙台城を築き、江戸時代の間は伊達氏の仙台藩がここを治めた[5]。明治時代の廃藩置県に前後して、登米県、石巻県、胆沢県、角田県、仙台県などが成立し、県域の分合がたびたび行われた。1872年に仙台県は宮城郡由来の宮城県へ改称し、現在まで続く宮城県の領域がほぼ形作られるのは1876年である[6]。
県内の平野部では稲作が盛んであり、ササニシキやひとめぼれの産地である。中でも県北部の大崎地方の肥沃な土地は大崎耕土と呼ばれる[7][8]。イチゴやナシなどの果物、仙台白菜を初めとする伝統野菜も生産されている。畜産では仙台牛や宮城野豚(宮城野ポーク)といった銘柄がある[7]。また、東北地方の三陸沖は寒流である親潮と暖流である黒潮の潮境で、世界的にも有数の漁場である。これに近い宮城県には多数の漁港があり、中でも気仙沼漁港、石巻漁港、塩釜漁港は特定第3種漁港に指定されている。1県に複数の特定第3種漁港を持つ県は宮城県が唯一である。カツオ、サンマ、マグロ、カジキなど多種の魚がこれらの港で水揚げされるほか、ワカメやノリ、カキ、ホタテガイ、ホヤ、ギンザケの養殖が県内で行われている[9]。伝統工芸としては、鳴子漆器、白石和紙、堤焼、切込焼、仙台張子、仙台平などがある[10]。
宮城県は、北側で岩手県と、南側で福島県と、西側で山形県と、北西で秋田県と接している[1]。東京都からは北へおおよそ300キロメートルの位置に当たる[11]。宮城県の総面積は約7282平方キロメートルで、これは日本の都道府県の中では16番目の広さである[1]。うち、可住地面積は約43パーセントである。
主に山形県との県境になっている宮城県西部には奥羽山脈が南北に連なっている。主な山々として県北西部に標高1627メートルの栗駒山、中西部に標高1500メートルの船形山、南西部に蔵王連峰があり、蔵王連峰の山々のうち標高1825メートルの屏風岳が宮城県の最高峰である。また、奥羽山脈の東側には丘陵地が点在する[1]。宮城県の南北には奥羽山脈のような際立つ高山帯はないが、県南部には阿武隈高地が迫り、北東部には北上高地が延びている[2]。
一方、県の東側は太平洋に面している。県の北東部は、岩手県や青森県に及ぶ三陸海岸の南部に当たり、北上高地が海に落ち込んでリアス式海岸を形成する[1]。三陸海岸は牡鹿半島として太平洋に突き出し、その周辺には金華山や網地島、出島、江島などの島々が浮かぶ[2]。牡鹿半島付近から南は仙台湾によって大きくえぐられている[8]。仙台湾沿いの大部分は平坦な砂浜海岸だが、松島付近はリアス式海岸で、多島海が広がる特色のある地形である[12]。
宮城県の平野は特に南東部と北部で発達し、仙台平野と呼ばれている。ここを多数の河川が太平洋を目指して流れている。県の北部を流れる北上川は岩手県から続く川で、迫川や江合川を集める。北上川は分流されていて、追波湾と石巻に注いでいる。県南部には福島県を水源とする阿武隈川が流れ、白石川を合わせて太平洋に落ちる。これらの他に、宮城県で太平洋に注ぐ河川としては、鳴瀬川や七北田川、名取川などがある[2]。県北部には伊豆沼や内沼、化女沼、蕪栗沼などの湖沼や湿地があり、これらは国際的に重要な湿地としてラムサール条約に登録されている[13]。また、海とつながる湖沼として牡鹿半島の基部に万石浦、阿武隈川河口に鳥の海がある。
県内の気候は太平洋側気候に分類され、全般に夏期は酷暑が少なく、冬期でも降雪量は東北地方の中では少なめであるので比較的過ごしやすい。県北部の太平洋沿岸部は緯度の割には温暖で太平洋側気候の特徴をよく表すが、南部の気候は関東に近い。また、東側は海洋性気候、西部は内陸性気候の特徴を示し、さらに西部山間部は冬期に豪雪となり日本海側気候の特徴を示す。大崎市の旧鳴子町地区は特別豪雪地帯である。
気象庁による気象予報では、宮城県を「宮城県西部」と「宮城県東部」に二分し[16]、さらに西部を「西部栗原」、「西部大崎」、「西部仙台」、「西部仙南」に、東部を「気仙沼」、「石巻」、「登米・東部栗原」、「東部大崎」、「東部仙台」、「東部仙南」に細分している[16]。
また、気象庁の地震に関する速報や情報で用いられる区域では、宮城県は「宮城県北部」、「宮城県中部」、「宮城県南部」に三分されている[17]。
平年値 (月単位) |
三陸海岸 | 仙北 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
気仙沼 | 南三陸町 志津川 | 女川町 江ノ島 | 石巻 | 登米市 米山 | 大崎市 古川 | 大崎市 鹿島台 | 大崎市 川渡 | 大衡 | 栗原市 築館 | 栗原市 駒の湯 | ||
平均 気温 (°C) |
最暖月 | 22.7 (8月) | 22.7 (8月) |
22.3 (8月) | 23.5 (8月) |
23.5 (8月) | 23.8 (8月) |
23.2 (8月) | 22.5 (8月) |
23.2 (8月) | 23.3 (8月) |
20.6 (8月) |
最寒月 | 0.0 (1月) | 0.4 (1月) |
2.7 (1月) | 0.5 (1月) | -0.5 (1月) | 0.0 (1月) |
0.0 (1月) | -1.0 (1月) | -0.2 (1月) | 0.0 (1月) | -3.0 (1月) | |
降水量 (mm) |
最多月 | 208.4 (9月) | 209.0 (9月) |
189.1 (9月) | 163.1 (9月) |
170.5 (8月) | 176.4 (9月) |
193.2 (9月) | 237.8 (8月) |
202.2 (9月) | 180.8 (9月) | 316.0 (8月) |
最少月 | 29.6 (12月) | 30.3 (12月) |
31.4 (12月) | 24.8 (12月) |
22.1 (12月) | 34.4 (12月) |
24.3 (2月) | 86.9 (1月) |
36.6 (12月) | 29.6 (1月) | 96.0 (2月) | |
平年値 (月単位) |
仙南 | |||||||||||
仙台市 宮城野区 | 仙台市 青葉区新川 | 塩竈 | 名取 | 亘理 | 丸森 | 白石 | 蔵王 | 川崎 | ||||
平均 気温 (°C) |
最暖月 | 24.1 (8月) |
22.1 (8月) | 23.2 (8月) |
23.7 (8月) | 23.8 (8月) |
23.6 (8月) | 23.5 (8月) |
22.7 (8月) | |||
最寒月 | 1.5 (1月) | -1.0 (1月) | 1.0 (1月) | 1.8 (1月) | 1.6 (1月) | 1.0 (1月) | 1.0 (1月) | -0.3 (1月) | ||||
降水量 (mm) |
最多月 | 218.4 (9月) |
231.1 (9月) | 193.5 (9月) | 178.8 (7月) | 212.7 (9月) | 216.9 (9月) | 202.7 (8月) | 228.0 (9月) | |||
最少月 | 26.4 (12月) |
56.8 (1月) | 23.7 (12月) | 26.6 (2月) | 22.2 (12月) | 24.7 (12月) | 32.1 (12月) | 35.4 (12月) |
現在、県内には35市町村(14市10郡20町1村)がある。町の読み方は、利府町、大和町、大郷町、亘理町、山元町、女川町、色麻町、涌谷町、南三陸町の9町が「ちょう」で、残る11町は「まち」である。村は「むら」と読む。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)より前で、最も近い国勢調査である2010年(平成22年)10月1日実施のそれの値を記す。推計人口は2024年8月1日の値。増減率は、それらの比。
地域圏 | 市区町村 | 団体コード | 郡 | 2010年国調 (人) |
推計人口 (人) |
増減率 (%) |
---|---|---|---|---|---|---|
気仙沼・本吉圏 | 気仙沼市 | 04205-6 | 市 | 73,489 | 56,258 | -23.45 |
南三陸町 | 04606-0 | 本吉郡 | 17,429 | 11,357 | -34.84 | |
登米圏 | 登米市 | 04212-9 | 市 | 83,969 | 70,906 | -15.56 |
栗原圏 | 栗原市 | 04213-7 | 市 | 74,932 | 59,490 | -20.61 |
石巻圏 | 石巻市 | 04202-1 | 市 | 160,826 | 132,039 | -17.90 |
女川町 | 04581-1 | 牡鹿郡 | 10,051 | 6,022 | -40.09 | |
東松島市 | 04214-5 | 市 | 42,903 | 37,546 | -12.49 | |
大崎圏 | 大崎市 | 04215-3 | 市 | 135,147 | 121,480 | -10.11 |
涌谷町 | 04501-2 | 遠田郡 | 17,494 | 14,133 | -19.21 | |
美里町 | 04505-5 | 25,190 | 22,723 | -9.79 | ||
加美町 | 04445-8 | 加美郡 | 25,527 | 20,413 | -20.03 | |
色麻町 | 04444-0 | 7,431 | 6,175 | -16.90 | ||
仙台都市圏 | 大衡村 | 04424-5 | 黒川郡 | 5,334 | 5,455 | +2.27 |
大和町 | 04421-1 | 24,894 | 28,369 | +13.96 | ||
大郷町 | 04422-9 | 8,927 | 7,383 | -17.30 | ||
富谷市 | 04216-1 | 市 | 47,042 | 51,492 | +9.46 | |
松島町 | 04401-6 | 宮城郡 | 15,085 | 12,574 | -16.65 | |
七ヶ浜町 | 04404-1 | 20,416 | 17,323 | -15.15 | ||
利府町 | 04406-7 | 33,994 | 34,986 | +2.92 | ||
塩竈市 | 04203-0 | 市 | 56,490 | 50,488 | -10.62 | |
多賀城市 | 04209-9 | 市 | 63,060 | 62,262 | -1.27 | |
仙台市 | 04100-9 | 市 | 1,045,986 | 1,096,522 | +4.83 | |
宮城野区 | 04102-5 | 行政区 | 190,473 | 194,165 | +1.94 | |
若林区 | 04103-3 | 132,306 | 142,410 | +7.64 | ||
泉区 | 04105-0 | 211,183 | 207,603 | -1.70 | ||
青葉区 | 04101-7 | 291,436 | 315,257 | +8.17 | ||
太白区 | 04104-1 | 220,588 | 237,087 | +7.48 | ||
名取市 | 04207-2 | 市 | 73,134 | 79,049 | +8.09 | |
岩沼市 | 04211-1 | 市 | 44,187 | 43,402 | -1.78 | |
亘理町 | 04361-3 | 亘理郡 | 34,845 | 32,576 | -6.51 | |
山元町 | 04362-1 | 16,704 | 11,452 | -31.44 | ||
仙南圏 | 川崎町 | 04324-9 | 柴田郡 | 9,978 | 7,724 | -22.59 |
村田町 | 04322-2 | 11,995 | 9,965 | -16.92 | ||
大河原町 | 04321-4 | 23,530 | 23,378 | -0.65 | ||
柴田町 | 04323-1 | 39,341 | 37,082 | -5.74 | ||
角田市 | 04208-1 | 市 | 31,336 | 26,308 | -16.05 | |
丸森町 | 04341-9 | 伊具郡 | 15,501 | 10,949 | -29.37 | |
白石市 | 04206-4 | 市 | 37,422 | 30,351 | -18.90 | |
蔵王町 | 04301-0 | 刈田郡 | 12,882 | 10,695 | -16.98 | |
七ヶ宿町 | 04302-8 | 1,694 | 1,163 | -31.35 |
宮城県は、県内の地域を以下のように区分している。「広域気仙沼・本吉圏」、「広域石巻圏」、「広域登米圏」、「広域栗原圏」、「広域大崎圏」、「広域仙台都市圏」、「広域仙南圏」の7つである[18]。それぞれの地域に宮城県の振興事務所がある[注釈 1]。また、地域圏ごとに市町村による広域行政機構が設置されているが、平成の大合併によりそれぞれ1市に集約された栗原圏および登米圏では、各広域行政機構が解散して、栗原市役所および登米市役所がその機能を承継している。
仙台都市圏は、「大都市周辺地域振興整備措置要綱」[注釈 2] に基づいて設定された「仙台大都市周辺地域広域行政圏」に相当しており、1977年(昭和52年)9月29日に構成市町村により仙台都市圏広域行政推進協議会が設置された[26]。同協議会は圏内の広域的な都市問題の協議機関として活動しているが、実際の広域行政では圏内の旧郡単位などで一部事務組合が設置されている[27][28][29][30]。
県全体に対する各圏の人口比率は、仙台都市圏以外では1920年(大正9年)国勢調査の際が最も高く、その後は仙台都市圏が比率を高める一方で他の各圏の比率は下がっていった。また、仙台都市圏は1920年に県の約3分の1を占めるに過ぎなかったが、直近の2015年(平成27年)のそれでは人口が約5倍となり、県の約3分の2を占めるに至っている。現状では、仙台都市圏の隣接3圏(仙南圏、大崎圏、石巻圏)が各々10パーセント弱、隣接しない県北3圏(栗原圏、登米圏、気仙沼・本吉圏)の合計が約10パーセントとなっている。
気仙沼・本吉圏、石巻圏、および、仙台都市圏の沿岸3圏以外では1955年(昭和30年)国勢調査の人口がピークであり、太平洋ベルトにおいて高度経済成長が始まるのと同期して人口減少も始まった。1970年代から各国で排他的経済水域を設定する動きが始まり、それまで自由に外国の沿岸近くまで行って操業していた日本漁船は締め出しされるようになった[31]。すると、遠洋漁業の基地としても機能していた特定第3種漁港の気仙沼漁港および石巻漁港の景気は下向き始め、同期して気仙沼・本吉圏では1980年(昭和55年)、石巻圏では1985年(昭和60年)をピークとして人口が減少し始めた。
地域圏 | 推計人口 2024年8月1日 |
2010年 (平成22年) |
1985年 (昭和60年) |
1955年 (昭和30年) |
1920年 (大正9年) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
宮城県合計 | 2,249,490 | 2,348,165 | 2,176,295 | 1,727,065 | 961,768 | |||||
気仙沼・本吉圏 | 67,615 | 3 | 90,918 | 3.9 | 113,438 | 5.2 | 106,720 | 6.2 | 60,878 | 6.3 |
登米圏 | 70,906 | 3.2 | 83,969 | 3.6 | 99,182 | 4.6 | 128,753 | 7.5 | 77,807 | 8.1 |
栗原圏 | 59,490 | 2.6 | 74,932 | 3.2 | 95,042 | 4.4 | 136,195 | 7.9 | 83,707 | 8.7 |
石巻圏 | 175,607 | 7.8 | 213,780 | 9.1 | 241,113 | 11.1 | 232,403 | 13.5 | 129,585 | 13.5 |
大崎圏 | 184,924 | 8.2 | 210,789 | 9.0 | 223,306 | 10.3 | 250,980 | 14.5 | 154,262 | 16.0 |
仙台都市圏 | 1,533,333 | 68.2 | 1,490,098 | 63.5 | 1,209,050 | 55.6 | 669,422 | 38.8 | 320,770 | 33.4 |
仙南圏 | 157,615 | 7 | 183,679 | 7.8 | 195,164 | 9.0 | 202,592 | 11.7 | 134,759 | 14.0 |
都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷
1980年 | 1990年 | 1995年 | 2000年 | 2005年 | 2010年 | 2015年 |
---|---|---|---|---|---|---|
仙台 都市圏 124万8616人 |
仙台 都市圏 139万5486人 |
仙台 都市圏 149万2610人 |
仙台 都市圏 155万5691人 |
仙台 都市圏 157万0190人 |
仙台 都市圏 157万4942人 |
仙台 都市圏 161万2499人 |
石巻 都市圏 19万4680人 |
石巻 都市圏 21万1991人 |
石巻 都市圏 21万1124人 |
石巻 都市圏 20万7558人 |
石巻 都市圏 22万1282人 |
石巻 都市圏 21万3780人 |
大崎 都市圏 20万5925人 |
古川 都市圏 6万5525人 |
古川 都市圏 15万2834人 |
古川 都市圏 16万9858人 |
古川 都市圏 16万9910人 |
古川 都市圏 16万4200人 |
大崎 都市圏 21万0789人 |
石巻 都市圏 19万3051人 |
気仙沼 都市圏 10万5626人 |
気仙沼 都市圏 9万4773人 |
気仙沼 都市圏 9万1400人 |
気仙沼 都市圏 8万8685人 |
気仙沼 都市圏 7万8011人 |
気仙沼 都市圏 7万3489人 |
気仙沼 都市圏 6万4988人 |
白石 都市圏 4万1275人 |
白石 都市圏 4万2017人 |
白石 都市圏 4万4026人 |
白石 都市圏 5万4338人 |
白石 都市圏 5万2810人 |
白石 都市圏 5万1998人 |
白石 都市圏 4万9049人 |
現在の宮城県の地には、古墳時代からヤマト王権の影響力が及んでおり、雷神山古墳(名取市)や遠見塚古墳(仙台市)などの前方後円墳が造られた。雷神山古墳は東北地方の中では最大の古墳である。古墳時代後期には、厚葬禁止の令に従い、横穴式古墳も多く造られた。
大化元年8月、改新政府は「東国国司」8組を、今後の政治改革遂行のために人口と田地面積の調査、武器の収公などの任務を与え、現在の中部・関東から東北地方南部に臨時的に派遣した。孝徳朝(645年 - 654年)の後半に第2次使者が派遣されて国造制が評制へ転換され、評の上に国が設けられ、国司の前身である国宰が派遣された。この時期に道奥国(みちのおくくに)が設けられた。その領域は、国造制が施行されていた宮城県南端と福島県で、最初に置かれた評は曰理(わたり)、伊具(いぐ)、宇多(うだ)、行方(なめかた)、標葉(しめは)、信夫(しのぶ)、安積(あさか)、岩背(盤瀨;いわせ)、白河、会津の10評。菊多(きくた)、安達(あだち)、耶麻(やま)郡は後に分置された郡で、石城(磐城)評ははじめ常陸国の管轄であった。この10評のうち行方、会津評を除く8評が国造のクニであって、行方評は分割・新置された評。曰理・伊具評が宮城県南端、宇多評以下が福島県域である。道奥国の表記は、後に陸奥国(みちのおくくに)と改められた[34]。
最初の陸奥国府と推定される官衙(郡山遺跡)は、現在の仙台市太白区郡山(旧名取郡)に設置された。養老8年/神亀元年(724年)には、多賀城(旧宮城郡)が設置され、現在の宮城県中南部は奥六郡(日高見国)と対峙する軍事・政治の拠点化が進んだ。又、陸奥国分寺・国分尼寺が、現在の仙台市若林区木下周辺(旧宮城郡)に設置された。後に多賀城は、現在の仙台市宮城野区岩切(旧宮城郡)に移転したと考えられているが、遺構は発見されていない。
奈良時代末期から平安時代初期、仙台平野北部・三陸沿岸の蝦夷がたびたび大和朝廷の拠点を襲撃し、三十八年戦争が勃発した。伊治(コレハル、栗原?)を拠点とするアザマロは当初大和朝廷側に帰属し多賀城に出仕していたが、蝦夷への差別に怒って反乱を起こし多賀城を滅ぼした。これをきっかけに胆沢[要曖昧さ回避]のアテルイ・モレによる抵抗戦争が起こった。11世紀半ば北上平野の俘囚の奥州安倍氏が仙台平野に影響力を拡大し、多賀城の国司と対立した。安倍氏討伐の命を受けた源頼義が下向しても仙台平野の郡司らは中立を守り、苦戦した朝廷軍は仙北の俘囚主清原氏の参戦でようやく安倍氏を滅ぼすことができた。その後12世紀、奥州藤原氏の時代になると、奥州の軍事警察権が平泉に遷り、仙台平野は中央勢力の荘園と在地勢力の自治が混在するようになった。奥州藤原氏の行政権の程度については諸説がある。
鎌倉時代には、奥州藤原氏追討の恩賞により、葛西氏などの関東地方の有力氏族や武士たちが守護、地頭として現在の宮城県域に多く入植した。多賀城の留守所長官として陸奥国留守職に任ぜられたのが伊沢家景で、家景の子孫が留守氏を名乗るようになり、代々、陸奥国留守職に任ぜられた。
室町時代に入ると、南北朝の争いが起こったが、足利一族の斯波氏が奥州探題を称して多賀城に入ると、争いは次第に沈静化していった。斯波氏の傍流である大崎氏は奥州管領職に就いた。元中9年(1392年)に奥羽両国が鎌倉府直轄支配下に置かれ、大崎氏の奥州管領権は大きく制約を受けた。大崎氏は応永7年(1400年)に奥州探題となった。
戦国時代になると、南東北の奥羽山脈西側に連なる盆地群に拠点を置く武将たちの勢力が強くなり、大崎氏の権勢は衰退し、最終的に伊達郡・信夫郡(福島盆地)と置賜郡(米沢盆地)を本拠地とする伊達氏の軍門に下った。伊達氏は源頼朝の奥州合戦で功を立てて伊達郡に封じられた関東武士の末裔で、鎌倉時代から伊達郡を中心に勢力を拡大した。
安土桃山時代に戦国大名の伊達政宗は常陸国の佐竹義重や会津地方の蘆名氏らに勝利し、領土を拡大した。しかし、政宗は豊臣秀吉に服属し、秀吉の奥州仕置によって、征服した会津地方などを奪い取られた。政宗は、奥州仕置によって取り潰された葛西氏や大崎氏の旧臣を扇動して、葛西大崎一揆を起こさせたが、この一揆扇動は蒲生氏郷に露見し、政宗は秀吉から一揆の鎮圧を命じられた。政宗は佐沼城から秀吉の家臣・木村吉清を救出して、一揆を鎮圧した。戦後、秀吉は政宗の領地を、それまでの山形県南部、福島県、宮城県南部から、宮城県および岩手県南部へと北へ追いやった。政宗は玉造郡の岩出山城を居城として新しい領地の統治に当たった。秀吉の死後、政宗は徳川家康に接近し、慶長5年(1600年)の会津征伐で家康に協力した。
伊達政宗は、豊臣氏や徳川氏との緊張関係を考慮して、天然の地形が防御に適した青葉山に居城として仙台城を構えた。慶長5年12月24日(1601年1月28日)に城の縄張りを始め、「千代(せんだい)」を「仙臺(仙台)」に改めて、城下町の建設も開始した。伊達氏は伊達郡から置賜郡(米沢)、岩出山、仙台と家臣団や寺社、職人集団を引き連れて移動したため、仙台城下の町や寺社、旧家、職人の家系には、伊達郡を起源とするものが少なくなかった。城下町では冬季の乾燥や季節風対策として、防火林や防風林、防雪林の植樹が奨励された。四ツ谷用水の開削もあって、仙台は多くの居住者を涵養できるようになり、62万石の仙台藩の藩経済を背景に、仙台城下は奥州一の都会となった。江戸中期には実石高は100万石を超え、港町である石巻は江戸(東京都区部)との交易で栄えた。家老の片倉氏は代々白石城(現宮城県白石市)を居城とし、家臣や一族を一国一城令にもかかわらず「要害」と言う特有の制度化で藩内を治めさせた。要害としては涌谷城、岩出山城、金山城、岩沼城、角田城、丸森城、寺池城、佐沼城、宮沢城、高清水城、不動堂城、川崎城、平沢城、船岡城、亘理城、坂本城、岩ケ崎城、滝野館、石森城、米谷城、武田館、宮崎館、宮崎城、千石城、大窪城、吉岡城、宮床館、村田城などがあった。
伊達政宗はスペイン帝国との太平洋貿易を企図し、仙台領内で洋式大型帆船・サン・ファン・バウティスタ号を建造。慶長18年(1613年)、家臣・支倉常長を使節とする慶長遣欧使節団をスペイン王国およびローマ法王庁(バチカン)へ派遣した。使節派遣の目的は、スペイン王国との通商にとどまらず、倒幕のためのスペインとの軍事同盟であったともいわれている。支倉常長はスペイン国王およびローマ法王に謁見した。しかし、徳川幕府が日本国内でキリスト教徒を大弾圧したため、目的は達成されなかった。政宗の死後、仙台藩は、徳川幕府との関係を重視するようになる。
伊達氏は代々「陸奥守」を称し、初代仙台藩祖・伊達政宗以来、東北の雄藩であった。仙台藩は幕末に、幕府の命令で北海道の警護を担当した。このとき会津藩や庄内藩などの東北諸藩も北海道の警護を担当した。仙台藩の警衛地と領地は北海道の約3分の1を占めた。
仙台藩は、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年)の戊辰戦争の際に、奥羽越列藩同盟の盟主となった。仙台藩は孝明天皇の弟(明治天皇の叔父)・輪王寺宮(のちの北白川宮)を擁立し、輪王寺宮を「東武皇帝」として即位させ、仙台藩主・伊達慶邦は征夷大将軍に就任する予定であったといわれる。しかし奥羽越列藩同盟は薩摩藩と長州藩を主力とする明治新政府軍に敗北し、仙台藩は石高を28万石にまで減らされた。このとき、秩禄が減って困窮した家臣団を救うために、仙台藩は蝦夷地(北海道)への入植を行った。仙台藩は明治新政府と共同で札幌市を開拓したほか、単独で伊達市[注釈 3] などを開拓した。こうして仙台藩は北海道開拓の歴史上に功績を残した。
明治政府が誕生すると、日本は中央集権体制の下に組み込まれたが、東北地方支配の政治的拠点とされた仙台市を中心に発展が始まった。
仙台藩を前身とする仙台県は廃藩置県後も存続し、旧領である登米県、角田県の編入、宮城県への改称[35]、磐前県(現福島県浜通り)、磐井県(現岩手県南部)との管轄区域の変更を経て、明治9年(1876年)、現在の県域が確定した[35]。
仙台には、陸軍の第二師団が置かれ[36]、また東北帝国大学(現在の東北大学)を初めとした高等教育機関が設立された。
一方で、仙台湾の大半が砂浜で臨海工業の適地がなかったため、殖産興業時代から高度経済成長に至るまで、宮城県では第二次産業が発展しなかった。ただし、石巻湾に石巻工業港、仙台湾に仙台港(いずれも掘り込み式)が造られ、工業集積はある程度進んだ。
高度経済成長期ごろから、第二次産業から第三次産業への転換が進むと、東北自動車道や仙台バイパスの建設、および広大な流通団地の建設によって、仙台は東北地方の卸売り商業の中心地、そして支店経済都市として人口が激増し、その他の県内拠点都市も発展した。その後、東北新幹線の開業やモータリゼーション、仙台市の政令指定都市化、バブル景気の影響から、仙台市とその周辺が特に発展して「仙台都市圏」の一極集中が進んだ。
2022年(令和4年)の国勢調査による宮城県の人口は約228万人である。
1920年(大正9年)には福島県や山形県に次いで東北地方第3位の人口であったが、1925年(大正14年)には山形県を抜いて第2位となり、1980年(昭和55年)からは東北で最も人口の多い県となっている。ただし、国勢調査が始まって以来、一貫して伸び続けてきた人口が2005年(平成17年)の推計人口237万1683人をピークに減少に転じた。依然として仙台都市圏の人口は伸びているが、郡部の減少が著しい状況となっている。県庁所在地である仙台市の人口は県全体の約48パーセントを占め、一極集中傾向がある(プライメイトシティ)。この人口集中率は京都府に次ぎ全国第2番目の高さである。
全国平均と比べ、高校卒業から大学・大学院にかけての年代の人口比率が高い傾向がある。これは仙台市に東北大学をはじめとした大学・専門学校が多く存在するため、東北地方だけではなく全国から進学者が集まるためである。また年間の変化としても卒業シーズンの3月にこの年代の人口が減り、入学シーズンの4月に回復するという特徴的なパターンがみられる。
以前は、仙台都市圏とその他の地方の所得格差があったため、仙台市が求職者を吸引して社会増を実現し、毎年1万人程度の人口増があった。同時に仙台市のベッドタウンとなっている周辺自治体の人口増もあった。しかし、1998年(平成10年)ごろから仙台市の社会増の減少が顕著になってきている。周辺自治体は社会増がある。これは、仙台の景気後退を受け、東京と仙台との間の所得格差が開いたために、仙台よりも東京に就職口を求める傾向が出てきたことによる。ただし、高卒の就職口としては仙台が未だ人気があるため、東北地方の他県からの求職者が仙台に集中して競争率が上がり、宮城県内の高校卒業者の就職内定率は東北地方内で最低水準が続いている。
増加
2.5 - 4.99 %
0.0 - 2.49 % |
減少
0.0 - 2.5 %
2.5 - 5.0 %
5.0 - 7.5 %
7.5 - 10.0 %
10.0 % 以上 |
宮城県と全国の年齢別人口分布(2005年) | 宮城県の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 宮城県
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
宮城県(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
2000年国勢調査をピークに人口減少傾向が続いている。2024年現在は約225万人となっており1990年(平成2年)の人口水準とほぼ同じである。80年代,90年代と人口を伸ばしたが、東北地方で進む急速な少子化や首都圏への人口流失の傾向も高まっており仙台都市圏の人口も近年は頭打ちとなっている。
実施年 | 人口(人) | 増減人口(人) | 人口増減率(%) | 国内増減率(%) | 増加率全国順位 |
---|---|---|---|---|---|
1960年 | 1,743,195 | - | - | - | - |
1965年 | 1,753,126 | 9,931 | 0.57 | 5.20 | 20位 |
1970年 | 1,819,223 | 66,097 | 3.77 | 5.54 | 15位 |
1975年 | 1,955,267 | 136,044 | 7.48 | 7.92 | 12位 |
1980年 | 2,082,320 | 127,053 | 6.50 | 4.57 | 7位 |
1985年 | 2,176,295 | 93,975 | 4.51 | 3.40 | 8位 |
1990年 | 2,248,558 | 72,263 | 3.32 | 2.12 | 10位 |
1995年 | 2,328,739 | 80,181 | 3.57 | 1.58 | 7位 |
2000年 | 2,365,320 | 36,581 | 1.57 | 1.08 | 10位 |
2005年 | 2,360,218 | 5,102 | 0.22 | 0.66 | 19位 |
2010年 | 2,348,165 | 12,053 | 0.51 | 0.23 | 14位 |
2015年 | 2,333,899 | 14,266 | 0.61 | 0.75 | 11位 |
2020年 | 2,301,996 | 31,903 |
1.37 |
0.75 | 12位 |
実施年 | 仙台市人口(人) | 札幌市人口(人) | 広島市人口(人) | 福岡市人口(人) | 仙台市増加率 | 札幌市増加率 | 広島市増加率 | 福岡市増加率 | 仙台市増加数 | 札幌市増加数 | 広島市増加数 | 福岡市増加数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1980年 | 792,036 | 1,401,757 | 992,736 | 1,088,588 | - | - | - | - | - | - | - | - |
1995年 | 971,297 | 1,757,025 | 1,117,117 | 1,284,795 | 22.6 | 25.3 | 12.5 | 18.0 | 179,261 | 355,268 | 124,381 | 196,207 |
2010年 | 1,045,986 | 1,914,434 | 1,173,843 | 1,463,743 | 7.7 | 9.0 | 5.1 | 13.9 | 74,689 | 157,409 | 56,726 | 178,948 |
2024年8月 | 1,096,522 | 1,968,897 | 1,180,613 | 1,655,753 | 4.8 | 2.8 | 0.6 | 13.1 | 50,536 | 54,463 | 6,770 | 192,010 |
1980年比 | 304,486 | 567,140 | 187,877 | 567,165 | 38.4 | 40.5 | 18.9 | 52.1 | - | - | - | - |
地方公共団体の財政の健全化に関する法律によると、宮城県は2007年度(平成19年度)決算で165億円の赤字発生であり、2008年度(平成20年度)決算でも同様の状態であれば国に財政健全化策の報告が義務付けられる早期健全化団体に移行。そのため、このままの進度が維持されると財政再生団体に転落する恐れがある。このため、急務な財政改革が求められている。
2018年度(平成30年度)の県内総生産は9兆2560億円である[40]。同年度の県民所得は6兆8191億円であり、一人当たり県民所得は294.5万円である。
第一次産業は、デフレーションによる農産物の価格低迷、水産物の水揚げ高の変動や重油価格の高騰により不況感がある。第二次産業は、工場の統廃合や業界再編の時期が過ぎ、収益性が上がってきている。第三次産業は、ほかの七大都市圏を擁する都道府県と同様に、仙台都心部で仙台市の経済圏を対象とした広域ビジネスを展開する高級消費財を扱う業種、各地域の大型ロードサイドショップが好調なのに対し、商圏が半径数百m程度の最寄品を販売する小規模商店は苦境に立っている。
総生産額は1525億円、県内総生産に占める割合は1.6%(2018年)である[41]。
農業については、平野部では米(ササニシキ、ひとめぼれなど)が主であるが、南部の沿岸地域では海洋性気候のため温暖であり、奥羽山脈・阿武隈高地(亘理丘陵)に雪雲が遮られて冬季の晴天率が高いことを利用し、イチゴなどのハウス栽培もおこなわれ、松島丘陵(特に利府町)では梨の栽培が盛んである。鳴子町や蔵王町などの高冷地ではブルーベリーの栽培も行われている。高級和牛牛肉である仙台牛の産地となっており畜産業が盛んである[42]。少量ではあるが日本で唯一、木綿の栽培が行われている[43]。
漁業については、全国有数の水揚げ高を有する漁港がある。松島湾や三陸海岸の入り江では、カキ・ホタテ・ホヤなどの養殖漁業も盛ん。仙台市の沖合い2キロメートル辺りでは海苔の養殖も行われている。県内の主要港は、遠洋漁業(マグロ、以前はクジラも)の基地としても機能しているため、自然と海外との交流をしており、外国人船員も多く立ち寄る。また、かつおを追って北上してくる高知県の船員や、さんまを追って南下してくる北海道の船員も多く立ち寄っており、仙台駅、仙台空港に並ぶ、宮城県の第3の玄関口となっている。東日本大震災後は仙台湾の海底の変化により、ガザミの生息数が急増し2015年には全国1位の漁獲量となっている[44]。以下に、2002年(平成14年)の貝類・海藻類を除く海での漁獲高による全国順位などを示す。
総生産額は2兆4177億円、県内総生産に占める割合は25.4パーセント(2018年)である[41]。食料品は水産加工品など、電気機械はICなどの電子機械などが主である。石油石炭製品の工場は仙台港周辺に集中立地している。石巻市と岩沼市に大規模な日本製紙の工場がある。
総生産額は6兆9323億円、県内総生産に占める割合は72.9パーセント(2018年)[41]。サービス業、卸売小売業共に仙台市を拠点としている。
物販面では、高額商品やファッション性の高い買回品・専門品の販売地として一番町と仙台駅前が求心力を強め、その商圏が仙台市の経済圏の周辺都市圏にまで広がりを見せている。
娯楽・レジャー面では、仙台市都心部や仙台都市圏が供給する文化・スポーツイベントなどの求心力が、仙台市の経済圏に及んでいる。ただし、県内の小規模市町村のみならず仙台市内も含め、最寄品の販売を中心としてきた地元商店街は、郊外型大規模小売店、ロードサイドショップ、スーパーセンターに、価格競争や駐車場などのサービスで敗北して衰退している。
規模の大小があるが、周辺地域から集客する能力のある商業拠点に以下のようなものがある。宮城県内の各地域の商業事情だが、集客力は仙台都市圏が優勢でその他の都市の商業基盤は沈下傾向にある。
このほかに全国紙の支局がある。なお産経新聞は2006年(平成18年)夏ごろまで県域版を連載していたが、紙面構成の見直しで県域版を廃止。東北6県版として掲載されている。
NHK仙台FM・エフエム仙台の親局送信所はデジタルテレビ各局と同じ大年寺山に置かれているが、東北放送の補完FM局送信所は2kmほど離れた同社本社内に設置されている。
私立
東日本旅客鉄道(JR東日本):東北新幹線、東北本線が南北に縦貫しており、そこから各方面へ路線が延びる。
私鉄として1925年(大正14年)より宮城電気鉄道が存在したが、1944年(昭和19年)に国有化され国鉄仙石線となった。また、くりはら田園鉄道の前身である栗原電鉄は私鉄であったが、1995年(平成7年)に第三セクター鉄道となり、2007年(平成19年)に廃止された。現在は宮城県内に私鉄の路線はない[注釈 4]。過去に宮城県内に存在した、その他の主な私鉄は以下の通り。
宮城交通が全県をカバーしてきたが、近年、郡部路線を子会社(ミヤコーバス)化し、かつ郡部主要拠点から仙台への高速(特急)バス化に力を入れている。仙台市内は仙台市交通局と宮城交通がエリアを分けて運行されている。一方、仙台を起終点とする昼行・夜行高速バスが充実してきており、県外への路線開設は主に宮城交通(宮城交通仙台高速バスセンター・広瀬通沿いの東京建物仙台ビルに所在)とJRバス東北(仙台駅東口)が主導している。
「都道府県別1キロメートル当たり渋滞損失額」で全国9位[46] となっており、特に仙台都市圏での道路整備が遅れている[47]。
|
|
|
|
この節の加筆が望まれています。 |
フランスのタイヤメーカーであるミシュラン社により出版された日本を訪れる外国人観光客向けの「ミシュラン実用旅行ガイド」(国土交通省などが連携)において、県内では松島、瑞巌寺、松島四大観の計3ヶ所が最高評価の「三つ星」を獲得した。三つ星の数では京都府、東京都、奈良県に次いで広島県とともに国内4位。「二つ星」は12ヶ所、「一つ星」は10ヶ所であり、星総数は43となって、京都府、東京都、奈良県、神奈川県に次いで5位となる。外国人誘客のため日本三景・松島に、県が1913年(大正2年)に松島パークホテル、および、1939年(昭和14年)に松島ニューパークホテル(いずれも松島町)を開業した。また、県の管轄ではないが、日本三大外国人避暑地の1つである高山外国人避暑地が明治時代から七ヶ浜町に存在する。
この他に1990年(平成2年)5月に塩竈市、石巻市、気仙沼市と共同で、アメリカ合衆国シアトル港湾局と友好港提携書に調印している。
宮城県名誉県民の称号は、「社会の発展に卓越した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する」者へ贈られる[48]。
宮城県県民栄誉賞は、1967年(昭和42年)9月1日に制定された宮城県県民栄誉賞規則(昭和42年9月1日宮城県規則第63号)に基づき、「文化、スポーツ等の分野において輝かしい業績を上げ、かつ、広く県民に敬愛され、県民に希望と活力を与えたと認められるもので功績の顕著なもの」へ、宮城県知事から贈られる(規則第3条・第5条)[49]。
受賞者氏名 | 職業 | 選定年月日 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|
佐々木主浩 | 元野球選手 | 1998年11月19日 | 当時横浜ベイスターズ所属・年間最多セーブおよび年間最多セーブポイント達成 | [48] |
田中耕一 | 化学者 | 2002年12月18日 | ノーベル化学賞受賞 | [48] |
荒川静香 | フィギュアスケート選手 | 2006年3月27日 | 2006年トリノオリンピックで金メダル獲得 | [48] |
岩隈久志 | プロ野球選手 | 2009年4月9日 | 受賞当時は東北楽天ゴールデンイーグルスに所属・沢村賞はじめ各賞受賞 | [48] |
株式会社楽天野球団 | 日本プロ野球球団 | 2013年11月24日 | 同年にパシフィック・リーグ優勝と日本一を達成 | [48] |
田中将大 | 野球選手 | 2013年11月24日 | 上記の東北楽天ゴールデンイーグルスの優勝に貢献・沢村賞はじめ各賞受賞 | [48] |
羽生結弦 | フィギュアスケート選手 | 2014年4月26日 | 2014年ソチオリンピックで金メダル獲得 | [48] |
髙橋礼華・松友美佐紀 | バドミントン選手 | 2016年10月5日 | 2016年リオデジャネイロオリンピックで金メダル獲得(タカマツペア) | [48] |
羽生結弦 | フィギュアスケート選手 | 2018年4月22日 | 2018年平昌オリンピックで金メダル獲得(スケート競技フィギュアスケート男子シングルにおいて66年ぶりとなる2連覇を達成) | [48] |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.