寺澤捷年
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寺澤 捷年(てらさわ かつとし、1944年11月21日 - )は日本の医師、和漢診療学[1]の創始者。
東京都生まれ。日本の伝統医学・漢方の継承者[2]であると同時に、現代西洋医学との調和を目指し「東西医学の和諧と発展」による和漢診療学を提唱。富山医科薬科大学に和漢診療学講座を開設し初代教授となった。西洋医学を縦糸とすると、漢方は横糸であり、両者の活用により次世代型医療という織物が成り立つというのが寺澤の主張である。臨床医としての和漢診療学の実践に留まらず、医学生・研修医への教育[3]、各種の漢方的病態の診断基準の提唱[4]、漢方方剤の薬理学的解明[5][6][7],二重盲検臨床比較試験(二重盲検法参照)による漢方方剤の有効性の客観的評価法の確立[8]など幅広い活動実績を持つ。2001年に文部科学省が公募したCOEプロジェクトでは富山医科薬科大学から応募した「東洋の知に立脚した個の医療の創生」が採択され、その拠点リーダーを務めた。さらに医史学的研究により江戸・明治期の先人の業績を発掘しており、『吉益東洞の研究』[9]・『完訳・方伎雑誌』[10]・『完訳医界之鉄椎』[11]・『井見集・附録』[12]・『漢方腹診考~症候発現のメカニズム~』[13]・『漢方気血水論の研究』[14]などの業績がある。和漢医薬学会理事長、日本東洋医学会会長、東亜医学協会理事長などを歴任。