小野坂昌也
日本の男性声優、ナレーター (1964-) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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小野坂 昌也(おのさか まさや、1964年10月13日[9][10] - )は、日本の男性声優、ナレーター[6]、リングアナウンサー、ラジオパーソナリティ、DJ。大阪府大阪市住吉区出身[3][4]。青二プロダクション所属[7]。
おのさか まさや 小野坂 昌也 | |
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プロフィール | |
本名 | 小野坂 昌也[1] |
愛称 | まさやん[2]、ヤング師匠[2]、やんぐさん[2]、まさヤング[2]、ヤングさん[2] |
性別 | 男性 |
出身地 | 日本・大阪府大阪市住吉区[3][4] |
生年月日 | (1964-10-13) 1964年10月13日(59歳) |
血液型 | O型[5] |
職業 | 声優、ナレーター[6]、リングアナウンサー、ラジオパーソナリティ、DJ |
事務所 | 青二プロダクション[7] |
公式サイト | 小野坂 昌也|株式会社青二プロダクション |
公称サイズ(時期不明)[8] | |
身長 / 体重 | 170[5] cm / 62 kg |
靴のサイズ | 25.5[5] cm |
活動 | |
活動期間 | 1985年 - |
デビュー作 | 『ゲゲゲの鬼太郎(第3作)』(カラス天狗B、海月の火玉) |
声優:テンプレート | プロジェクト | カテゴリ |
なりたい職業が数多くあり、小学校低学年の頃には、母から「おまえは医者になって、私たちが隠居したらビルを建てておくれ」と言われ続けて医者になりたかった[4]という。高校生の頃には、憲兵だった祖父の勲章を見て育ったことから、「警察官になりたい」と考えていた[4]が、真剣に法律の勉強をしだしたところ、「弁護士のほうが儲かる」という話になったという[4]。予備校講師から大学進学について聞かれた際に「僕は法律の方に進みたいです」と言ったところ、「ちょっと無理ですね」と冷たく言い放たれた[4]。「法学科だったら、どこでもいいんです」と小野坂が続けたところ、数学の成績はよかったとのことだが成績資料を見た講師からは、「ああ、なるほどね、法学部ですか。もう少し英語を頑張る気があるんでしたら、その道も見えてくるかもしれません」と言われた[4]。父が「警官はそんなに勉強しなくてもなれる」と言われた[4]。その時点は「警察官になろう」と思っていたが、「このままじゃちょっと、僕の才能が生きないかな」と思った[4]。中学高校時代、「お前はおもろい学生だ」「将来、吉本に行けばええんちゃうか」と言われ、それを思い出した[4]。
小学校時代から中学、高校と凄い吉本興業が好きで吉本新喜劇を見て、「これは行ける!!」、「吉本に行こう」と役者になろうと思ったという[4]。
当初はお笑い芸人志望であったが、この当時は芸人への道はベテラン芸人への弟子入りが一般的であったためにハードルが高く断念した。小野坂が入りたかった吉本興業の養成所であるNSCは、青二塾大阪校が開校する1年前に既に開校していたが、当時はNSCが既に開校していたことを知らなかった。小野坂本人はこのことを『集まれ昌鹿野編集部』が放送されていた時に番組に届いたリスナーからのメールで知り驚愕していた。
その後、18歳の時に俳優を目指すため、当時開校したばかりの青二塾大阪校に第1期生[5]として入塾。入塾時点では俳優養成所と勘違いをしていた。当時は前述の通り、小さい頃から吉本興業に入ろうと思っていたため、吉本興業以外にもできたぞという感じだったという[11]。青二塾卒業後、青二プロダクションに所属するために上京する。
OVA『ビー・バップ・ハイスクール』の加藤浩志役で初主役。その後1992年、『ツヨシしっかりしなさい』の井川ツヨシ役でテレビアニメ初主役を担当。
1990年代までは、CMやテレビナレーションなどの声優業と並行してNHK教育のおにいさんや『独占!!スポーツ情報』のキャスター、『笑っていいとも!』の愛のナレーターなどのテレビでの顔出しの仕事や、リングアナウンサーとしてUWFインターナショナル→キングダムで活動。PRIDE最初のメインイベント、PRIDE.1 高田延彦 vs ヒクソン・グレイシー戦でもコールを担当している。
ラジオパーソナリティとしても多くの番組を担当し、1990年代後半から現在まで一貫して自身の冠番組を持ち続けている。その甲斐もあり2010年3月にはラジオパーソナリティとしての功績が認められ、第4回声優アワードベストパーソナリティ賞を受賞した[12]。
2017年7月1日、Exys株式会社と自身が所属する事務所の共同プロデュースにより、そのプロジェクトの第1弾としてYouTubeにチャンネルを開設し、ユーチューバーとしてデビューする[13]。
役柄・特色
多数のアニメ、テレビ、ゲーム、ラジオ等に出演している[6]。
大阪府出身であることから関西弁を話すキャラクターを担当することがある。
「男相手に恋ができないから、気持ちが分からないので良い芝居ができない」「入り込むタイプなので、芝居であっても相手役の出演者のことを好きになってしまう」などの理由でボーイズラブはやらないと明言している。脇役または絡みのない準主役級の役としてはボーイズラブドラマCDなどに出演することはある。
役作りにおいては、青二塾大阪校で学んだスタイルに従い、声を担当するキャラクターの「台本に書かれてなくても家族構成などを勝手に考えて、生い立ちからの歴史を作っていく」。ただそのため、原作や脚本では別の設定がなされているキャラクターであっても「あれは伝記であって、台本には簡易なことしか書かれていない」として、自分の独自解釈で演じることがあり、脚本家や音響監督と衝突することも少なくない[14]。
愛河里花子と共に最後のゲスト声優として出演した、声優のアドリブが多用されたアニメ『超生命体トランスフォーマー ビーストウォーズリターンズ』では音響監督の岩浪美和に「出たいって言ってる人はいっぱいいたけど、最後のゲストだからちょっとやそっとの力量では入れない、技術とセンスと精神力の3拍子揃ってる役者さんじゃないと、この現場は入れない」と語られた[15]。
歌
『テニスの王子様』の桃城武のキャラクターソング「SAYONARA」でオリコンチャート28位にランクイン、『ヘタリア』で担当したキャラクターソング「トレビアンな俺に抱かれ」でオリコンウィークリーチャート3位にランクインした。
テニプリフェスタ2011 in 武道館ではイタリア語のトゥーランドットをアカペラでフルコーラス歌った。
小林ゆう、元AAAの後藤友香里らと、アニソンEDM(ADM)ユニット「EMERGENCY」を結成し「NEW YOUNG」の名で活動開始することを発表。2013年9月25日にアニソンEDMカバーアルバム『ADM -Anime Dance Music produced by tkrism-』をリリース。
特技
特技は水泳[6][11]。中学生時代は陸上部に所属していた。
ナレーターをしていた経緯で『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャーこれができたら100万円!!』の「リクエスト100m ぴったり走って100万円」に出場したことがある。
ゲーム好きであり、小西克幸・置鮎龍太郎・神谷浩史・竹本英史・安元洋貴など声優仲間とよくゲーム内で落ち合って一緒にプレイしていることをラジオで話している。『ファンタシースターオンライン』にのめり込み、以降のファンタシースターシリーズは必ずプレイしている[16]。
ゲーム以外にも時計、スポーツカー、自転車、木刀、サックス、酒、ガーデニング、洋服など多趣味である。中でも料理は特技でもあり、DVD、Twitterなどでその腕前を披露しており、時に本人の料理のレシピや調理光景がWebメディアの企画コーナーに掲載されている。
愛車はロータス・ヨーロッパとポルシェ。愛用のロードバイクはデローザ。
交友関係
子安武人とは『魔法使いTai!』で共演して以来交友があり、演技プランを練ったり芝居の話をするうちに親交が深くなった。年齢も芸歴も小野坂のほうが少し上だが、お互いに「小野ちゃん」「子安さん(こやっさん)」と呼び合う。
『テイルズ オブ シリーズ』での特典DVDでは「ビバ☆テイルズ オブ」の司会として、子安が演じる『テイルズ オブ ジ アビス』のジェイドと何度もコンビを組んでいる。『テイルズ オブ ファンダム Vol.2』の特典DVDのトークではノーカットで30分以上語り続けたこともある。小野坂発案のテイルズのタイトル『ゴールデンビクトリー』の企画が実現し2人が主役として実際にゲームにもなるなど、このコンビの人気は高く、テイルズキャラクター人気投票の「夢のコンビ部門」では堂々の3位を獲得している。なおこの2人はアニメ『ボボボーボ・ボーボボ』でそれぞれ主人公ボーボボ(子安)とその相方首領パッチ(小野坂)を演じた。
自らの発案で『VOICE ANIMAGE』の連載時に櫻井孝宏、小西克幸、保志総一朗らと共に、アイドル声優ユニット「ミュンヘン」を結成していたことがある。ラジオドラマの制作を目標に本人が書いた同名の小説も連載されていた。
1997年から、「ときめきメモリアル」シリーズなどで共演したうえだゆうじとのトークライブを主催している。東日本大震災後は、うえだゆうじと共にチャリティートークライブ全国ツアーも行っている。