少しは、恩返しができたかな
ウィキペディアから
ウィキペディアから
『少しは、恩返しができたかな』は、死去した主人公「北原和憲」の母「北原美貴子」原作のノンフィクション、およびそれを原作としたテレビドラマ。駒場東邦中学校・高等学校の学生だった主人公が難病と闘いながら、高校を卒業し東京大学に入学し、亡くなるまでのストーリー。
主人公の同級生の母である大橋照子が、命に対する想いを受けて執筆した。大橋照子が北原夫妻に数十回の取材を行い、半年をかけて執筆した。テレビドラマ版においても大橋照子の名が「原作協力」としてクレジットされている。
2006年3月22日にTBS系列でスペシャルテレビドラマとして放送された。視聴率14.6%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)北原和憲役二宮和也が第15回橋田賞を受賞した。また、作中では「上を向いて歩こう」(原曲は坂本九が歌唱した歌。)が頻繁に使われている。2006年8月25日にTCエンタテインメントよりDVDが発売されている。
1999年10月、高校生の北原和憲は卓球の試合に臨んでいたが、数日前に左脚に違和感を覚えて病院で診察を受診していた。試合中の和憲に代わり母・美貴子が結果を聞きに病院に訪れるが、担当医・阿川からユーイング肉腫(ガンの一種)との診断に愕然とする。試合後突然の難病を告知された和憲は、家族に支えられながら前向きに病魔と闘うことを決めて入院生活を始める。最初の抗がん剤治療から数ヶ月間は順調だったががん細胞の成長は速く、2000年7月阿川からの勧めで和憲は通院による放射線治療に切り替える。
そんな中親友・牧内拓巳から医大受験することを聞いた和憲は、帰宅すると突然「東大受験することに決めた」と家族に告げる。驚いた美貴子は、高校の卓球部顧問に闘病する息子の受験のことを相談すると逆に説得され[注釈 1]、“病気の治療を最優先”を条件に息子の挑戦を渋々認めることに。その後和憲は通院しながら拓巳たち卓球部仲間の協力で自宅で勉強を始めるが、秋頃阿川からガンの肺への転移を宣告されてしまう。
以前より体力が落ち歩行にも症状が現れるが和憲はめげずに受験勉強を頑張り、翌年のセンター試験や東大の前期試験を受ける。3月和憲の高校卒業が危ぶまれたが拓巳たちが教師を説得により許可が下り、その後和憲は東大に見事合格し家族と喜び合う。しかし4月に和憲が大学で初めて講義を受けた直後、病院の検査でガンの小脳への転移が見つかり再び入院してしまう。数日後美貴子は、見舞いに来た拓巳から和憲が「家族に無理を言ったけど頑張って東大に入れたし、少しは恩返しできたかな」と言っていたことを打ち明けられる。
7月下旬19歳の誕生日を迎えた和憲は、病院のベッドで美貴子の手料理をわずかに食べて「美味しい」と言った翌日、天国へと旅立つ。4年後の春北原家が和憲の死からようやく立ち直った頃、美貴子は拓巳たち卓球部仲間から大学卒業の記念写真に誘われ東大へと足を運ぶ。大学の敷地でたたずむ美貴子はふと、スーツ姿で卒業証書を手にする誇らしげな和憲を見たような気がして、目を潤ませながら「卒業おめでとう」とつぶやく。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.