Loading AI tools
日本の評論家、タレント、コラムニスト (1958-) ウィキペディアから
山田 五郎(やまだ ごろう、1958年〈昭和33年〉12月5日[2] - )は、日本の評論家で、編集者[注 1]、タレント、コラムニスト、YouTuberでもある。
山田五郎・YouTubeチャンネル | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
YouTube | ||||||||
チャンネル | ||||||||
活動期間 | 2021年1月8日[8] - 現在 | |||||||
ジャンル | 美術 | |||||||
登録者数 | 約52.7万人 | |||||||
総再生回数 | 7,638万4,844回 | |||||||
事務所(MCN) | 株式会社東阪企画[9] | |||||||
挨拶 | 評論家・編集者の山田五郎が、YouTubeをはじめました! 山田五郎の得意分野、美術、ファッション、時計、街、グルメなどについて、オトナの生活がちょっと潤う教養をお届けします。社会人になったばかりの20代から、老後の学び直しまで、全てのオトナに送る「オトナの教養講座」です![7] | |||||||
| ||||||||
チャンネル登録者数・総再生回数は 2023年10月15日時点。 |
本名は 武田 正彦(たけだ まさひこ)[1]。愛称として「教授」「五郎さん」がある。
東京国立博物館評議員[10][11]。イギリス古時計協会 (AHS) アカデミー会員[10][11]。ジュネーブ時計グランプリ財団 (GPHG) 元アカデミー会員[10][11]。
静岡市出身[12]の両親のもと、東京都[3][5]渋谷区[4]で、武田家の第1子・長男[1]として生まれた。父親は旭化成株式会社勤務[5]のサラリーマンである。海外勤務もあったという。父親の実家は木材商であった[13]。妹と弟がいる[1]。
小学校は東京都の世田谷区立若林小学校に入学したが、低学年のころ、一家は父親の仕事の都合で兵庫県西宮市へ転居した。しかし西宮市での生活は短期間で終わり、小学校3年の時、一家で大阪府豊中市へ転居し、豊中市立原田小学校に転校した。中学校進学は地元の豊中市立第一中学校へ進学した[1]。高校は大阪府立北野高等学校(第89期生[1]、1977年〈昭和52年〉3月卒業生)へ進学。高校時代は美術の才能が際立っていたと、同窓生仲間が振り返っている[1]。クラブ活動は文芸部や美術部に所属しており、懸賞小説に入選したりもしていた[1]。高額な奨学金を含む手厚い学業支援を受けていたが、これは、彼自身の学業成績が優秀であったのに加えて、当時の彼の一家は、母親がイギリス駐在中の父親の後を追って渡英したために、家には祖父母と子供3人が残され、妹と弟の食事を作るなどしていた[1]。
大学受験では東京大学を目指したが失敗し[14]、上智大学文学部[5]新聞学科に進学[14]。1977年(昭和52年)4月、進学に伴い上京。指導教官には何初彦がいた。もともと映画が好きで、映画の授業があったことが新聞学科を選ぶ動機だったが、1年生の時、バロック時代の美術に魅了され、美術史を勉強したいと思うようになる[14]。大学に美術史専門の学科がなく、ザルツブルク大学への西洋美術史専攻での留学を勧められた[14]。このとき相談に乗ってもらった教授の一人に、客員教授として同大学で教鞭を執っていた、ロックバンド「BARBEE BOYS」のメンバーいまみちともたかの父親(今道友信)がいる[14]。留学したのは3年生の9月から4年生の9月までの1年間であった[6][5]。ただ、蓋を開けてみれば、留学先での授業内容は日本で受けられるものとさほど変わらず、得るものは少なかった[14]。田舎すぎてやることも無く、退屈な日々であったという[14]。
帰国後、大学院へ進んで留学し直すことを検討していたが、相談した先輩たちの意見や父親の帰国と祖父の他界、兄弟の年齢等の生活環境の変化で、今までのような奨学金は受け取れなくなるなどがあり、進学を諦め就職活動に目標を切り替えた[6]。美術系の就職口を狙っていたが、不景気で軒並み採用が無った[6]。講談社への就職が決まる。卒業論文は「戦後野球漫画の様式的発展」であった。
1981年(昭和56年)4月、同社入社[5]。内田勝が同社での最初の上司であった。講談社ほどの大手であれば素晴らしい美術書を作らせてもらえるのではないかと期待しての入社であったが、配属されたのは美術とは縁もゆかりも無い情報雑誌の編集部であった[6]。ファッションに特別興味が無かったが、最初は若者ファッションの情報雑誌『ホットドッグ・プレス』の編集を担当することになった[6]。そこで、好きでもない者が記事を作ってはいけないと考え、ファッション好きの自分を改めて造っていった[6]。その後、『ソフィア』『チェックメイト』『TOKYO1週間』などといった情報雑誌を担当していった。『ホットドッグ―』では編集長を務めている。いとうせいこうは講談社での後輩であり、数年間は共に『ホットドッグ―』の編集部員であった。
テレビ出演のきっかけは、1991年(平成3年)[15]、『タモリ倶楽部』のコーナー「今週の五つ星り」に出演していた赤井英和が降板することになり、同番組の構成作家で知り合いの高橋洋二から代役としての出演を急遽依頼されたことにある[注 2]。当時の肩書は「お尻評論家」であった[15]。同番組は音楽に合わせて女性が入れ替わり立ち替わり画面の前でお尻を振りまくるのが定番オープニングであり、そのお尻タレントのオーディション審査員としての、お尻評論家というわけである[注 3]。このゲスト出演を皮切りに、バラエティ番組に多数出演するようになっていった。2004年(平成16年)6月に講談社を退社して独立する[5]。当時45歳。その後は、フリーランスの編集者、評論家、タレント、コラムニストとして活動するようになった。
2011年(平成23年)9月8日、TBSラジオの情報バラエティ番組『荒川強啓 デイ・キャッチ!』の出演を取材名目で休む[17]。翌週15日に復帰し、前週休んだ理由が初期の食道癌の治療(手術)であったことを明かした[17]。当時52歳。
2021年(令和3年)1月7日、山田は62歳にしてYouTubeチャンネル『山田五郎 オトナの教養講座』と、これに対応したTwitterアカウント『【公式】山田五郎 オトナの教養講座』[18]を開設し、明くる1月8日付で、YouTubeチャンネルにて美術を主なテーマとした動画配信を開始する[8]。同年4月30日には早くもYouTubeチャンネルの登録者数10万人突破記念のライブ配信を行っている[19]。詳しくは下記「YouTubeチャンネル」節を参照のこと。
2021年(令和3年)1月7日、放送業界も美術業界もコロナ禍による事業縮小に喘ぐ最中、山田五郎(当時62歳)は、美術を主なテーマにした番組形式のYouTubeチャンネル『山田五郎 オトナの教養講座』と、これに対応したTwitterアカウント『【公式】山田五郎 オトナの教養講座』[18]とともに開設し、明くる1月8日、初めて動画配信を行った[8]。チャンネルは次第に好評を博し、山田はYouTuberとして存在感を高めていった。
撮影から配信まで山田の文京区音羽に所在する事務所、Cabinotierの一室で行っている[29][9]。山田は事務所内にある書斎にて、仕事に加え後述するこのチャンネルのための下調べをしており、近辺に山田の自宅もある。スタッフは、山田が2010年(平成22年)から出演しているBS日テレの番組『ぶらぶら美術・博物館』を担当する制作プロダクションである株式会社東阪企画の社員であり[9]、当初は常勤2名[注 4]で制作していた[9][注 5]。当チャンネルでは、美術に興味があるもののほとんどあるいは断片的にしか知らない緩い雰囲気の20代前半の女性AD[9]「ワダ」の疑問に山田が応えて解説し始める形を、当初から執っている。実際の制作過程も、ワダの疑問をベースにしてスタッフが山田への質問内容を決め、それを受けた山田が解説に広がりを持たせられるとなれば準備に入る、そうでなければ却下するという形になっている[9]。なお、ワダは当チャンネルのおおもとの企画発案者である[注 6]。また、チャンネルのロゴタイプである山田の似顔絵や動画内に登場するさまざまな緩い絵はワダの手になるペン画であり、これもまた極めて緩い空気を醸し出しているBGMともども、当チャンネルのイメージを決定づける重要な要素になっている。右のテンプレートで示したとおり、取り扱うジャンルは山田の得意分野である「美術、ファッション、時計、街、グルメなど」[注 7]ということで始まったチャンネルであったが、はやばやと美術に特化した。また、当初の予定では、動画視聴時間は10分前後から長くて20分程度、配信頻度は1か月に4回といったところであった[注 8]。しかし、回を重ねるごとに視聴時間は長くなり、30分超えが珍しくないチャンネルになっていった。また、配信頻度も1か月に6回が普通という、情報の量と質に比してかなりのボリュームになっていった。動画の制作にあたって念入りな下調べを欠かさない山田としては、デジタルデータ化が進捗しない日本社会の前時代性を痛感すると言う。1つの動画を作るのに段ボール箱1個分の書籍を資料として集めるのが普通とのことで、重いし嵩張ってしようがないとぼやき、また、美術書が絶版になるのが早すぎることにも嘆く。
美術をテーマにしている当チャンネルは、美術系の著作権使用料(印税)の支払いが常に課題となっており、ピカソ、ダリ、藤田嗣治など、現代に近い時代の著作権者に関する良質な画像資料を配信動画に録り込むのには、視聴者からのカンパに頼って実現するという形を執っている[30]。具体的には、YouTubeのスーパーチャット・システムを利用してネット投銭を貯蓄し、各著作権者から1年ごとに請求される総計十数万円ないし数十万円の使用料(更新料)に充てている(※例えばピカソは10万3,000円)[30]。この方法を採用した結果、資金は潤沢となり、数十万単位の繰越金が生まれてきた(※出典に使った動画の時点で56万3,796円也[30])のを受け、どのアーティストの画像に資金を使ってほしいかについて視聴者から意見を募るようになった[30]。
同2021年の4月30日には早くもチャンネル登録者数10万人突破記念のライブ配信を行っている[19]。6月22日、チャンネル登録者数10万人達成者に授与される「シルバー クリエイターアワード(通称:銀の盾)」の獲得記念動画が配信される[31]。7月2日、チャンネル登録者数20万人突破記念ライブ配信が行われた[32]。
2022年(令和4年)1月7日、チャンネル開設1周年記念のライブ配信を行う[33]。このライブ配信中に行われた視聴者投票で当チャンネルのファンダムネームが「ゴロワーズ (Goroises)」に決定する[33][注 9]。4月1日、当チャンネルの「切り抜き動画」(編集した二次制作動画)の制作・配信の承認申請が増えてきたのに伴い、ガイドラインを更新する[34]。5月27日、40万人突破記念のライブ配信を行う[35]。同年、7月9日にチャンネル登録者数が50万人を超える。「ゴロワーズ」初のグッズ展開もこの時のライブ配信の中で発表された[36]。8月31日には、当チャンネルを基にした書籍『「山田五郎 オトナの教養講座」世界一やばい西洋絵画の見方入門』[37]を宝島社から刊行した[38]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.