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日本の音楽評論家 (1956 - 2012) ウィキペディアから
川勝 正幸(かわかつ まさゆき、1956年11月21日 - 2012年1月31日)は、音楽や映画などポップカルチャーを守備範囲とする日本のライター、編集者。
自称「ポップ中毒者」。かつては、「ウディ川勝」「ウッディ川勝」という名義(ウディ・アレンに由来)を使用していた。
福岡県福岡市出身。福岡県立修猷館高等学校、中央大学法学部卒業後、1982年に広告代理店「モス・アドバタイジング」にコピーライターとして入社。ワインのPR誌の編集などを担当する。また、勤務のかたわら音楽シーンにもかかわり、加藤賢崇、中嶋勇二、岸野雄一らのバンド「東京タワーズ」を支援。ケラ等の「ナゴムレコード」の創立を援助。
1985年退社しフリーランスに。1987年に、加藤芳一、渡辺祐、佐川秀文と事務所「トーテムポール」を結成(のち、有限会社「ドゥ・ザ・モンキー」に発展)。ライター・編集者として活動する一方、ラジオやテレビの番組の構成も担当し、しばしば自らも出演した。
1989年、スチャダラパーを初めてメディアで紹介。
1993年ごろから多数の映画パンフレットの編集を行うようになる。CDのライナーノーツも多数執筆。
また、永瀧達治、サエキけんぞうらと、セルジュ・ゲンズブールを愛する「ゲンスブール委員会」を結成。1995年より「ゲンスブール・ナイト」等のイベントを行う。
2000年、2001年には東京大学教養学部にて非常勤講師を務めた。
2002年に、ライター辛島いづみと「川勝プロダクション」を設立。代表取締役を務める。
2005年には、ライター下井草秀とユニット「文化デリック」を結成。高円寺のレコードショップ「円盤」にて、定期的にトークショウ「文化デリックのPOP寄席」を行っていたが、2008年12月をもって「第1期終了」を宣言。
2012年1月31日午前2時頃、自宅マンションから出火。救出されたがまもなく死亡した[1][2]。55歳没。
2012年2月3日、TBSラジオでは、20時からの『菊地成孔の粋な夜電波』で「川勝正幸さん追悼特集」[3][4][5]、22時からの『ニュース探究ラジオ Dig』で「サブカル界の巨星墜つ!川勝正幸ってどんな人?〜とにかくパーティーを続けよう!!〜」(金曜パーソナリティ:大根仁、江藤愛 ゲスト:菊地成孔(オープニングのみ)、辛島いづみ、宮沢章夫、BOSE、ANI、SHINCO(スチャダラパー)、堀雅人、吉田豪、五箇公貴(テレビ東京)、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(「大根仁の言い逃げ番長」のみ)、町山智浩(電話出演))[6]と、連続して追悼番組が放送された。
2012年3月4日・11日・18日、NHK-FM放送で『サウンドクリエイターズファイル 〜川勝正幸トリビュート〜』を放送(4日・DJ:横山剣(クレイジーケンバンド)コメントゲスト:カヒミ・カリィ、細野晴臣、女王蜂。11日・DJ:スチャダラパー コメントゲスト:小山田圭吾、安斎肇、信藤三雄ほか。18日・DJ:谷中敦、川上つよし(東京スカパラダイスオーケストラ) コメントゲスト:清水ミチコ、高橋幸宏、緒川たまきほか)[7]。
2012年12月25日、第15回みうらじゅん賞を受賞。受賞の約1年前に、みうらじゅん氏の事務所を直接訪問し「みうらじゅん賞が欲しい」と自ら申し出たための受賞となった。
(2012年2月複製Webサイトとして公開される−2018年1月管理者の都合により一時閉鎖。)
他
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