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五輪真弓の楽曲 ウィキペディアから
表題曲は、五輪が木田高介(五輪がデビューした当時のプロデューサーで、1980年5月18日に交通事故死した)の葬儀に参列した際に、木田の妻が慟哭する姿を見て書き上げた[3]。二度と再会が叶うことのない”別れ”を綴った歌詞は、葬儀からの帰り道で思いついたのだという[4]。
当初は「枯葉」というタイトルだったが、途中で変更された[5]。
当初、B面に収録されている「ジョーカー」がA面の予定だったが、レコーディングの際に「恋人よ」の方が受けが良かったため、変更となった。
1980年代の韓国[注釈 1]においてもよく歌われた日本の歌である[6]。同曲は韓国以外にも、その後中国、香港、マレーシア、シンガポール、インドネシア[注釈 2]などアジアの国と地域に広がった[注釈 3]。ベトナムでは日本のポップスがほとんど知られていない中で日本の現代音楽の代名詞といえるほど[11]異例のヒットをした[12]。
CBSソニーのディレクター中曽根皓二から「B面のアレンジはお任せする」と言われたアレンジャーの船山基紀が、スケールの大きいバラードだったので、48秒もあるイントロをつけていたが、A面に変わってからこの長いイントロをどうするか思案して、テレビ用に多少短くしたり、イントロのバイオリンのメロディをサックスに変えたりしている[3]。
五輪は自ら作詞作曲にした「恋人よ」をアレンジャーに編曲してもらった後、スタジオで初めてその音を聴き、当時について後に以下のように回想している[10]。「まるで映画音楽のようなストリングスの壮大かつ表現力豊かな音色が聴こえてきて、それまで聴いたことがない、魂が震えるような感覚を覚えました」[10]。
レコーディングの時の仮歌の出来が良かったので、そのバージョンのものがそのままリリースされた[13]。
本作は、五輪のシングルでは唯一オリコンチャート週間1位を獲得し、100位内には35週間ランクインした。累計売上はミリオンセラーを記録した[14]。
TBSテレビ『ザ・ベストテン』には、1978年6月に「さよならだけは言わないで」で「今週のスポットライト」コーナーとして出演以来、2年ぶりとなった。1980年11月6日に第10位で登場。同年12月18日でついに首位獲得、12月25日、翌1981年1月8日と3週連続で第1位。同年2月5日の第9位まで合計13週間ランクされるロングセラーとなった[注釈 4]。
第22回日本レコード大賞で金賞ではあったものの、大賞は受賞していない[注釈 5]。
この曲のヒットにより、1980年の『第31回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしている[15]。
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