日本の夜と霧
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『日本の夜と霧』(にほんのよるときり)は、1960年制作の日本映画。大島渚監督。
概要 日本の夜と霧, 監督 ...
日本の夜と霧 | |
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Night and Fog in Japan | |
監督 | 大島渚 |
脚本 |
大島渚 石堂淑朗 |
製作 | 池田富雄 |
出演者 |
渡辺文雄 桑野みゆき 津川雅彦 佐藤慶 |
音楽 | 真鍋理一郎 |
撮影 | 川又昻 |
編集 | 浦岡敬一 |
製作会社 | 松竹大船 |
配給 | 松竹 |
公開 | 1960年10月9日 |
上映時間 | 107分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
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日米安全保障条約に反対する安保闘争をテーマにした作品だが、公開からわずか4日後、松竹が大島に無断で上映を打ち切った。これに対し大島は猛抗議し、翌1961年に松竹を退社した。契約期間が残っていたため、違約金を払った[1]。
また、封切り3週間後の10月30日に神田学士会館で開かれた大島と小山明子との結婚式では最初に大庭秀雄監督が「映画はヌーベルバーグで、家庭は大船調で」という挨拶があったが、その後、出席者から上映中止に対する抗議が相次ぎ、さながら総決起集会と化した。最後には大島が松竹と正面から戦うと宣言した[2][3]。
この映画は異例のスピードで制作されたが、佐藤忠男によれば、大島が松竹による制作中止を恐れていたためで、実際撮影中に松竹社長から異議が出ていたという。大島は撮影を短くすませるため、カット割りのない長回しの手法を多用し、俳優が少々セリフを間違えても中断せず撮影を続けたが、そのことが独特の緊張感を生んだ[3]。