横山エンタツ
日本の漫才師 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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横山 エンタツ(よこやま エンタツ、本名:石田 正見(いしだ まさみ)[1]、1896年〈明治29年〉4月22日 - 1971年〈昭和46年〉3月21日[1])は、大正・昭和期の漫才師・俳優。
概要 横山 エンタツ, 本名 ...
横山 エンタツ | |
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本名 | 石田 正見[1] |
生年月日 | 1896年4月22日[1] |
没年月日 | (1971-03-21) 1971年3月21日(74歳没)[1] |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県有馬郡三田町横山 |
言語 | 日本語 |
最終学歴 | 兵庫県立伊丹中学校中途退学 |
コンビ名 | 横山エンタツ・花菱アチャコ |
相方 | 花菱アチャコ |
芸風 | 漫才 |
立ち位置 | 左 |
事務所 | 吉本興業 |
親族 |
花紀京(次男) 中山美保(長男の嫁) |
弟子 |
横山ノック 青芝フック など |
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花菱アチャコとのコンビ(横山エンタツ・花菱アチャコ)によって、それまでの「萬歳」に代わる現在の(全国的に流布した)「しゃべくり漫才」のスタイルを発明し、今につながる漫才の形式の基礎を作った。漫才作家秋田實のよき相談者として上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献した。
「横山」の亭号を名乗る漫才師一門はエンタツを始祖とする。横山ノックらは弟子にあたる(一門については下記)。吉本新喜劇初期の出演者でもある。