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日本の俳優 (1960-) ウィキペディアから
橋爪 淳(はしづめ じゅん[1]、1960年〈昭和35年〉[1][2]10月13日[3] - )は、日本の俳優。東京都出身[出典 1]。東宝芸能所属[4][3]。日本大学藝術学部映画学科卒業[3][2]。
1982年、劇場映画『海峡』で俳優デビュー[出典 2]。1983年、美空ひばり舞台20周年記念ミュージカル『水仙の詩』の相手役新人オーディションで抜擢される[4][2]。
1987年、『若大将天下ご免!』(テレビ朝日)の結城小太郎役にて初主演を果たす[2]。同作品の主題歌も担当した。以降、ドラマ・映画・舞台を中心に活動。
2017年12月より「非・演技塾」を開塾し、塾長として俳優などに演技指導をしている[1][3]。
2024年4月3日、自身のX(旧Twitter)を更新し、大腸がんと診断され入院していたことを明らかにした。無事に治療を終え、リハビリ中であるという[出典 3]。
幼少期から怪獣映画を愛好しており、友人の親が館主として営んでいた近所の東映系の映画館でスクリーン裏から作品を無料で鑑賞するなどしていた[4][2]。幼少期にはリアルタイムで公開されていたゴジラ映画はほとんど観ていたといい、『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』や『ゴジラ対ヘドラ』を好きな作品に挙げている[8]。東宝芸能に所属した際は、ゴジラシリーズへの出演を希望し、特撮セットの見学もしていた[4]。『ゴジラ』(1984年版)の公開時には、ファンクラブのスペシャル会員となっていた[8]。その後、『ゴジラvsスペースゴジラ』で主演を務めるに至る[4]。
大学は俳優コースであったが、監督コースや編集コースに遊びに行くことも多く、同コースの技術的な面も良く見学していたという[2]。大学在学中には、船越英一郎が主宰する劇団「MAGAZINE」の舞台に1本出演し、それ以降は映画や舞台、CMのオーディションを受けていたという[2]。
『ゴジラ FINAL WARS』への出演も、橋爪がどんな役でもいいから出演したいと要望していたことによる[4][2]。元々は幕張で逃げ惑う人々の役の予定であったが、悪天候で撮影が中止になったため別の役へ変更となった[4][2]。
演技においては、多くのことをやろうとせず、1つの想いを込めることが重要だと述べている[3]。一時期は、俳優業に対して興味を失ったため引退することも考えていたが、東日本大震災の惨状を目の当たりにしたことで小さなことで悩んでいた自分を恥じ、一念発起して演技について再勉強したという[3]。その後は、自身が積み重ねたものを自己完結させるのではなく、若者たちに伝えていくことで自分自身の人生も面白くしていくという考えであることを語っている[3]。
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