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河内敏光(かわち としみつ、1954年5月7日 - )は、東京都足立区出身のバスケットボール選手・指導者・解説者。
1973年に京北高等学校から明治大学に進み、同期の北原憲彦らとともにインカレなどのタイトルを獲得。
卒業後は、1977年に三井生命保険バスケットボール部入部。日本リーグの主力選手の一人としてリーグ戦はもとより1977年から1970年まで全日本チームでも活躍し、1986年の現役引退後は、1988年に三井生命の監督に就任し、実業団選手権大会優勝、天皇杯準優勝、日本リーグ3位にチームを導いた。
1993年には全日本男子監督に就任し、アトランタオリンピック予選アジア選手権3位、ユニバーシアード福岡大会優勝、広島アジア大会で優勝している。またNHK衛星第1テレビのNBA中継解説者としても活動していた。
その後2000年3月に大和證券バスケットボール部を継承して設立されたクラブチーム「新潟アルビレックスBB」の運営母体企業である「株式会社新潟スポーツプロモーション」の社長に就任し、企業から市民資本を重視したバスケットボールクラブ作りに奔走した。
2005年、bjリーグのコミッショナーに就任し、リーグの中心に立って活動する。設立の際にはリーグ運営会社の社長も務めていたが、2007年に社長職から退きコミッショナーに専念している。2014年6月、日本バスケットボール協会理事に就任。
三遠ネオフェニックスのアソシエイトヘッドコーチを務めた河内修斗は河内の子息である。
2016年7月1日、B.LEAGUEテクニカルアドバイザー就任[1]。
2018年9月7日 横浜ビー・コルセアーズのスーパーバイザー兼ゼネラルマネージャーに就任[2]。2020-21シーズンよりエグゼクティブアドバイザーに職務変更。2021年6月30日に横浜ビー・コルセアーズを退団した。
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