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江戸時代前期の大名。備後三次藩初代藩主。従五位下・因幡守。浅野長晟の庶長子。母は家女 ウィキペディアから
浅野 長治(あさの ながはる)は、江戸時代前期の大名。通称は又六郎(またろくろう)。備後国三次藩の初代藩主。官位は従五位下・因幡守。
広島藩の初代藩主・浅野長晟の庶長子として山城国にて誕生。元和5年(1619年)に2代将軍徳川秀忠に御目見する。寛永7年(1630年)に従五位下・因幡守に叙任された。
寛永9年(1632年)11月2日に父の遺領のうち備後国三次郡と恵蘇郡に5万石を分けられ、三次藩を立藩してその初代藩主となる。11月6日に領地三次に入った。三次藩の基礎を築いた名君であった。寛永10年(1633年)、高家・畠山義真より『上杉流之軍配免許』「九重巻号令幕之巻」を相伝する[1]。
男子がなかったため、本家を継いだ弟・光晟の次男長尚を明暦3年(1657年)に養子に迎え入れたが、まもなく死去したため、3男の長照を新たに養子に迎えて家督を継がせた。また、娘に赤穂事件で有名な播磨赤穂藩主浅野長矩の正室・阿久里がいる。
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