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日本のタレント、俳優 (1947-) ウィキペディアから
湯原 昌幸(ゆはら まさゆき、1947年3月5日 - )は、日本の歌手、俳優、レポーター、司会者、パネラーなどをこなすマルチタレント。本名は桜井 昌幸。茨城県牛久市出身。日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業、日本大学芸術学部放送学科中退。血液型B型。 妻は、タレント・女優・歌手の荒木由美子。所属事務所はハブ・マーシー。
# | 発売日 | A/B面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格品番 |
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1 | 1970年 4月1日 | A面 | 見知らぬ世界 | こうじはるか | 植田嘉靖 | 馬飼野俊一 | US-682 |
B面 | 二人で歩こう | ||||||
2 | 1971年 4月1日 | A面 | 雨のバラード | 玉木宏樹 | US-706 | ||
B面 | 今にわかるわ | 佐藤由紀 | 加藤秀男 | ||||
3 | 1971年 11月1日 | A面 | 愛があれば | 麻生たかし | 筒美京平 | 高田弘 | US-724 |
B面 | ある雨の日の想い出 | こうじはるか | 植田嘉靖 | 広瀬雅一 | |||
4 | 1972年 3月 | A面 | 愛の影 | 小谷充 | US-736 | ||
B面 | 霧の街角 | 玉木宏樹 | |||||
5 | 1972年 7月 | A面 | 裏窓 | 山口あかり | 平尾昌晃 | 竜崎孝路 | US-749 |
B面 | あなたに捧げる詩 | ||||||
6 | 1972年 12月 | A面 | 君はいない | 伊丹恵 | 鈴木邦彦 | US-765 | |
B面 | ふたりの教会 | 重松敏夫 | |||||
7 | 1973年 5月 | A面 | 阿久悠 | 都倉俊一 | US-785 | ||
B面 | ある夜の出来事 | ||||||
8 | 1973年 11月 | A面 | 北の盛り場 | 井上忠夫 | 竜崎孝路 | A-196 | |
B面 | 女の部屋 | ||||||
9 | 1974年 3月 | A面 | 街はずれの酒場で | 馬飼野康二 | A-207 | ||
B面 | 涙の最終便 | ||||||
10 | 1974年 8月 | A面 | エアポート | 竜崎孝路 | A-226 | ||
B面 | 悲恋ホテル | ||||||
11 | 1975年 2月 | A面 | 昨日の女 | 五十嵐悟 | 神保正明 | A-249 | |
B面 | 私の意地 | ||||||
12 | 1975年 6月 | A面 | がんばれ長嶋ジャイアンツ | 寺山修司 | 小林亜星 | 小杉仁三 | A-267 |
B面 | 男長嶋ジャイアンツ | ||||||
13 | 1975年 11月 | A面 | 旅占い | 喜多条忠 | 司啓介 | A-288 | |
B面 | 本気にならないで | ||||||
14 | 1976年 8月 | A面 | 横浜・こぬか雨 | 湯原昌幸 | 若草恵 | C-11 | |
B面 | 決意 | 湯原昌幸 | |||||
15 | 1977年 10月 | A面 | あなたセ・ラ・ヴィ | 池田友彦 | 森雪之丞 | 土持城夫 | C-71 |
B面 | ステップ・バイ・ステップ | 穂波唯 | |||||
16 | 1981年 8月 | A面 | 黒い花びら | 永六輔 | 中村八大 | 3B-713 | |
B面 | 酒場の女 | いずみゆたか | 穂波唯 | ||||
17 | 1983年 4月 | A面 | 笑ってくれるな | 村山せいじ | 小林亜星 | 京建輔 | 3B-753 |
B面 | 鯉太郎華の旅 | 原すすむ | 穂波唯 | ||||
18 | 1997年 10月25日 | 01 | 時間を止めて | ゆうき詩子 | 四方章人 | 今泉敏郎 | PSDF-5031 |
02 | 主役 | ||||||
19 | 1999年 10月21日 | 01 | 嘘でもいいの | 船山基紀 | EPDE-1057 | ||
02 | あなたに薔薇よりくちびるを | もりちよこ | 湯原昌幸 | ||||
20 | 2001年 1月24日 | 01 | 人生半分 | たきのえいじ | 杉本真人 | 高橋諭一 | EPDE-1086 |
02 | ラーメンどんぶり流れ唄[注釈 1] | もりちよこ | 湯原昌幸 | 前嶋康明 | |||
21 | 2002年 7月17日 | 01 | 夢なかば | たきのえいじ | 杉本真人 | 今泉敏郎 | EPDE-1101 |
02 | 雨のバラード | こうじはるか | 植田嘉靖 | 川村栄二 | |||
22 | 2003年 10月1日 | 01 | 冬桜 | たきのえいじ | 杉本真人 | 今泉敏郎 | EPCE-5228 |
02 | ナツメロBOYS | もりちよこ | 湯原昌幸 | ||||
23 | 2006年 1月25日 | 01 | 都忘れ | たきのえいじ | 杉本眞人 | 矢野立美 | PKCP-2017 |
02 | 一途人〜いちずびと〜 | もりちよこ | 湯原昌幸 | 信田かずお | |||
24 | 2007年 10月31日 | 01 | 柚子 | ちあき哲也 | 杉本眞人 | 佐藤準 | PKCP-2031 |
02 | 道 | たきのえいじ | 湯原昌幸 | ||||
25 | 2009年 8月26日 | 01 | 蝉しぐれ | 三木たかし 藤竜之介 |
若草恵 | PKCP-2047 | |
02 | 途中下車 | 荒木とよひさ | 羽場仁志 | ||||
03 | 千年の旅人[注釈 2] | もりちよこ | 安岡洋一郎 | 鈴木豪 | |||
26 | 2010年 8月25日 | 01 | Love comedy ららばい[注釈 3] | 荒木とよひさ | 羽場仁志 | 佐藤準 | PKCP-2063 |
02 | 黄昏の天使たち[注釈 2] | 堀内孝雄 | |||||
27 | 2011年 9月14日 | 01 | 幸せの回数 | もりちよこ | 田尾将実 | 塩入俊哉 | PKCP-2072 |
02 | 夕焼けのあなた | 湯原昌幸 | |||||
28 | 2012年 4月25日 | 01 | すいかずら〜金銀花〜 | 石原信一 | 田尾将実 | PKCP-2079 | |
02 | 幸せの回数 | もりちよこ | |||||
03 | 道 | たきのえいじ | 湯原昌幸 | 佐藤準 | |||
29 | 2013年 9月18日 | 01 | ないものねだり | 田久保真見 | 田尾将実 | 矢野立美 | TECA-12476 |
02 | 引き潮 | ||||||
30 | 2014年 6月18日 | 01 | 俺でよかったのか | 竜崎孝路 | TECA-12528 | ||
02 | Hasta La Vista[注釈 4] | ものみまむ | テレンス・ ニコラ・梅木 | ||||
31 | 2015年 3月18日 | 01 | 菜の花 | 田久保真見 | 田尾将実 | 矢野立美 | TECA-12589 |
02 | 青春の坂道 | 井上輝彦 | 湯原昌幸 | ||||
32 | 2015年 11月18日 | 01 | 再会酒 | 夜美まこと | 徳久広司 | 石倉重信 | TECA-13645 |
02 | ぜんまいじかけ | 西村道夫 | 湯原昌幸 | ||||
33 | 2016年 8月24日 | 01 | マッチ | 宮田純花 | 高島政晴 鈴木豪 |
TECA-13698 | |
02 | 笑い飛ばせばいい | 伊藤薫 | 高島政晴 | ||||
34 | 2017年 4月19日 | 01 | 北街・辛口・恋酒場 | 宮田純花 | 石倉重信 | TECA-13756 | |
02 | 雨の夜だから | 伊藤薫 | |||||
35 | 2018年 4月18日 | 01 | 風のララバイ | 田久保真見 | 若草恵 | TECA-13837 | |
02 | Si・Si・Si[注釈 4] | ものみまむ | いずみゆたか | 山口正美 | |||
36 | 2019年 2月20日 | 01 | 星になるまで | 田久保真見 | 杉本眞人 | 猪股義周 | TECA-13898 |
02 | 風は旅びと | 喜多條忠 | 湯原昌幸 | 鈴木豪 | |||
37 | 2022年 7月20日 | 01 | 何もない手のひらは | 田久保真見 | 田尾将実 | 田代修二 | TECA-22040 |
02 | おやじの勲章 | 荒木とよひさ | 湯原昌幸 | 鈴木豪 | |||
湯原は、母・吉の(よしの)と母子で生活していたため、荒木由美子は湯原との結婚と同時に芸能界から引退し専業主婦になり(1990年代まで主婦タレントとしてCMなどに出演することはあった)、母と同居することになる。結婚して2週間後、母が糖尿病からくる足にできた血栓のため入院。退院後は荒木による食事療法が始まったが、5年後の1988年、幼稚園児になっていた長男が、母の奇行を荒木に告げ、湯原の耳にも入る。病院での検査の結果、母は認知症であることが判明。ここから湯原・荒木夫妻のすさまじい介護生活が始まる。
母の介護は主に荒木が担当するも、症状が日に日に悪くなっていく毎日であるため、湯原も仕事場では笑顔であるが心労が隠し切れない日々が続く。帰宅すれば「生き地獄」「壮絶」という言葉しか当てはまらないほど、母の認知症は悪化していた。あまりの症状の悪化で、精神的に滅入っていた湯原が母の首に手をかけるところまでいくが、荒木の悲痛な叫びによって最悪の事態を免れる(荒木談)。自宅での介護を諦めて、荒木が母を連れて紹介された介護施設を訪れるが、そこは精神科の施設で、窓に鉄格子が取り付けられている施設だったため、さすがの荒木も「あまりに可哀想…」と、母を連れて自宅へ戻る。
その後、母は病院に入院することになるが、転院のたびに病状は悪化。認知症との壮絶な闘いは14年間続くも、その間、湯原は荒木に対し常に「由美ちゃん、ありがとう」「悪いね」といった感謝の言葉を欠かさなかった。そして2003年1月、母は急性白血病で死去。母が意識をなくす3日前には認知症であるとは思えないほど、嫁である荒木に感謝の言葉をかけ、長男にも「昌幸にそっくり」などと、まもなく訪れる最期を知らせるかのように、夫妻と長男の3人にやさしい言葉を残した。
母が死去したことで、結婚して2週間後から始まった夫妻の壮絶な20年間の介護生活は幕を閉じる。荒木は母の死去で生きる気力を一時失うが、2004年、母の20年間に渡る壮絶な介護生活を執筆した『覚悟の介護―介護20年 愛と感動の家族物語』[6]の発売を機に、20年ぶりに芸能界へ本格復帰。湯原も「冬桜」のヒットで各方面からの出演依頼があり、結婚20年目にして、歌手として初めて荒木と夫婦揃っての共演を果たす。
芸能界のおしどり夫婦として、旅番組やテレビショッピングなどに多数出演している。先述の荒木の著書が話題になり、荒木が介護体験を語る福祉番組に出演する際にはゲスト出演することもある。2008年11月公開の『GSワンダーランド』で、久々に映画にも出演。
本業の歌手としても、2006年2月、約3年ぶりの新曲『都忘れ』をリリースした。翌2007年5月30日には、ミニアルバム『途中駅〜Never Ending Life〜』を発表、その収録曲である『千年の旅人』は、芸能界デビュー時はアイドル歌手だった荒木との初のデュエットソングである。また6月10日には『いつみても波瀾万丈』(日本テレビ系列)に夫婦で出演。20年にわたる実母の介護生活などの想い出を、2人は涙ながらに語っていた。
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