片桐且元
日本の安土桃山~江戸時代の武将、大名、初代大和竜田藩藩主 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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片桐 且元(かたぎり かつもと)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。賤ヶ岳の七本槍の一人。
概要 凡例片桐 且元, 時代 ...
片桐且元像(模写、大徳寺玉林院所蔵) | |
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
生誕 | 弘治2年(1556年) |
死没 | 慶長20年5月28日(1615年6月24日) |
改名 | 片桐直盛(直倫)→且盛→且元 |
別名 | 直盛、直倫、且盛、通称:助佐または助作 |
戒名 | 顕孝院殿東市令三英元居士 |
墓所 |
京都府京都市の大徳寺玉林院 静岡県静岡市の誓願寺 |
官位 | 従五位下・東市正 |
幕府 | 国奉行 |
主君 | 浅井長政→豊臣秀吉→秀頼→徳川家康 |
藩 | 大和竜田藩主 |
氏族 | 片桐氏(豊臣贈姓) |
父母 | 父:片桐直貞 |
兄弟 | 且元、貞隆 |
妻 | 正室:片桐半右衛門娘 |
子 |
采女、孝利、為元、 成瀬之成継室、小出某室、畠山政信正室 |
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豊臣家の直参家臣で、豊臣姓を許される。関ヶ原の戦い以降は家老として豊臣秀頼に仕え、秀頼の命で、滅失していた方広寺大仏(京の大仏)および大仏殿の再建にあたった。しかし同寺院に納める梵鐘の鐘銘をめぐり方広寺鐘銘事件(京都大仏鐘銘事件[注釈 1])が生じ、大坂城を退出して徳川方に転じた。且元系片桐家初代で、大和国竜田藩初代藩主となる。弟に同国小泉藩主となった片桐貞隆がいる。