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日本のオフコースの楽曲 ウィキペディアから
「生まれ来る子供たちのために」(うまれくるこどもたちのために)は、1980年3月5日に発売されたオフコース通算18枚目のシングル。
「生まれ来る子供たちのために」 | |||||||
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オフコース の シングル | |||||||
初出アルバム『Three and Two』 | |||||||
B面 | この海に誓って | ||||||
リリース | |||||||
規格 | 7"シングルレコード | ||||||
ジャンル |
ポップス ロック | ||||||
時間 | |||||||
レーベル |
EXPRESS ⁄ TOSHIBA EMI ETP-10707 | ||||||
作詞・作曲 |
小田和正(生まれ来る子供たちのために) 小田和正 / 松尾一彦(この海に誓って) | ||||||
プロデュース | オフコース | ||||||
チャート最高順位 | |||||||
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オフコース シングル 年表 | |||||||
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「生まれ来る子供たちのために」は、アルバム『Three and Two』[注 1] からのシングルカット曲で、アルバム収録曲と同内容。後にベスト・アルバム『SELECTION 1978-81』[注 2] にビル・シュネーによるミキシングで収録されたほか、ライヴ・ヴァージョンがライヴ・アルバム『LIVE』[注 3] に収録された。
この曲は後に小田がシングル「たしかなこと」[注 4] のカップリング曲としてセルフカヴァーした。ヒットした「さよなら」[注 5] の次のシングルとして、この曲を発表した経緯を小田は「こういう曲をシングルにするっていうのはやっぱり、盛り上がったときにしかできないでしょ?普通のときに出していたら、良い曲だけど地味だ、っていわれるだけ。そう何回も何回もラジオなんかでかかるっていう曲じゃないしね。で、この時期にそういう曲を出して、次の活動につなげていきたいんだよね。これはオフコースのテーマ、というか、僕自身のテーマなんだよね。日本はどうなっちゃうんだろう、という危機感て前々からあるでしょ?でも結局、公害どうのこうのっていっても、そんな騒ぎはすぐ下火になっちゃう。それで公害が実際に下火になってるか、というと逆にエスカレートしてるわけだよね。日本人って、そういう部分で飽きちゃうんだ。それを自分自身でも意識しているべきだと思うんだ。そんな意味で出しかったのね。みんなが、これを言葉でどういうふうに理解するかわかんないけどね」[1] と、リリース当時のインタビューで答えていた[注 6]。1979年秋のコンサート・ツアー“Three and Two”では、この曲の演奏中、ヨットのイメージ・フィルムがバックに映写され、その一コマが『SELECTION 1978-81』[注 2]封入のブックレットに掲載された。
B面「この海に誓って」は、1978年8月にレコーディングされていた松尾一彦のリード・ヴォーカル曲[注 7]。この曲が、彼にとってオフコースへの初提供曲となり、ライブではそれ以前から松尾や清水仁のリード・ヴォーカル曲は披露されていたが、小田和正と鈴木康博以外のメンバーのリード・ヴォーカル曲が音源化されるのは初めての事だった。
ジャケットはハードケース仕様で、裏面には上半分に「生まれ来る子供たちのために」の歌詞、下半分にメンバーの集合写真がそれぞれ掲載され、「この海に誓って」の歌詞は掲載されていない。
アーティスト | 収録作品(初出のみ) | 発売日 | 生産番号 |
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佐藤竹善 | 生まれ来る子供たちのために | 2002年11月20日 | CD:UPCH-5136 |
小田和正 | たしかなこと | 2005年5月25日 | CD:FHCL-7002 |
Bank Band | to U | 2006年7月19日 | CD:TFCC-89180 |
AIDS チャリティ Project | RED RIBBON Spiritual Song 〜生まれ来る子供たちのために〜 | 2007年11月28日 | CD:WPCL-10447 |
チェン・ミン | affection | 2010年7月7日 | CD:PCCR-00494 |
辛島美登里 | Love Letter | 2012年9月19日 | CD:TECG-30066 |
篠原美也子・榊いずみ・加藤いづみ | MAMA DON'T CRY | 2013年5月4日 | CD:SMDR-1305 |
「生まれ来る子供たちのために」は、2002年11月20日に発売された佐藤竹善通算5作目のシングル。後にコラボレート・カヴァー・アルバム『CORNERSTONES 2』[注 8] にも収録された。
2002年8月にリリースされたSKOOPとのカヴァー・コラボレート・シングル「amanogawa」に続いてリリースされたカヴァー・コラボレート・シングル第2弾。
本作では作者である小田和正をプロデューサーに迎え、1996年のPLUS ONE以来の本格的なコラボレートとなった。この曲ではセリフパートに松たか子、ハーモニカにトゥーツ・シールマンスがそれぞれ参加した。
1979年当時、高校2年生だった佐藤は、友達の家に集まっては夜中まで「生まれ来る子供たちのために」をよく聴いていたという。この曲について佐藤は「当時の僕は洋楽を聴きつつ、邦楽はオフコース一色でした。いわゆる恋愛の歌が多いオフコースの中で、ここまで直接的なメッセージソングというのは初めてだったんで、すごくハマってしまったんです。オフコースで好きな曲はたくさんあるけど、これは、その中でもベストに入る曲ですね」と、この曲への思いをインタビューで語っている。
この曲をカヴァーするきっかけは前年2001年の全米同時多発テロで、そのとき真っ先に思い浮かんだ曲が、スティーヴィー・ワンダーの「ある愛の伝説 (Love's in Need of Love Today)」と「生まれ来る子供たちのために」だったからだという。「小田さんがこの曲で歌ったことは、日本でも世界でもいまだに実現されているとは言えないじゃないですか。だから、より一層力を持った曲にもなっていると思うし、いつかカヴァーしたいと思っていたんですよね」。そして、この想いを直接小田に伝えたところ、プロデュースも引き受けてくれることになったという。
ヴォーカルダビングに際し、マイクの前では「子供たちに向けて、ひたすら唄っていた」と言い、「テロの問題でも、僕の中では子供対大人みたいなところがあって、最終的に犠牲になっているのは子供たちだと思うんです。精神的にも子供たちがジワジワと犠牲になっていく。『世の中はこういうものなんだ!』と無意識に植え付けていく大人の意識で、子供たちが踏みにじられていくのを最近強く感じるんです。この歌を唄ったことで、今の自分の憤りだったり、逆に子供たちに対する想いが非常に強くなりましたね。そこの部分を、この歌で伝えたいというのはありました」と、この曲に託した思いについて語っていた。
「生まれ来る子供たちのために」(うまれくるこどもたちのために)は、日本のバンド・Bank Bandの1作目の配信限定シングル。2005年11月1日から同年11月30日までiTunes Store限定で発売された。
収益金の一部はap bankの環境プロジェクト支援のために使用される[2]。
曲名 | 作品名 |
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生まれ来る子供たちのために | BGM Vol.2 〜沿志奏逢 |
ap bank fes '06[注 9] |
「RED RIBBON Spiritual Song 〜生まれ来る子供たちのために〜」(レッド・リボン・スピリチュアル・ソング うまれくるこどもたちのために)は、日本のチャリティーユニット・AIDS チャリティ Projectのシングル。2007年11月28日にワーナーミュージック・ジャパンより発売された[7]。
通常盤のみの1形態で発売。2008年5月までの期間限定生産。ラジオDJの山本シュウの呼びかけに賛同したミュージシャンによって制作されたチャリティーソング。12月1日の世界エイズデーに先駆けて制作され、売上利益は日本エイズストップ基金に寄付された[7]。アートディレクターは中島康雄が担当。
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