矢野 徹(やの てつ、1923年〈大正12年〉10月5日[1] - 2004年〈平成16年〉10月13日[1])は、日本のSF作家、翻訳家。坂田 治名義による作品もある。
概要 矢野 徹(やの てつ), ペンネーム ...
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愛媛県松山市生まれ。兵庫県立第二神戸中学校を経て、中央大学法学部卒。第二次世界大戦中は学徒出陣で陸軍第11師団騎兵第11連隊に所属。階級は軍曹[2]。
日本に本格的なSF出版が芽生える前の、海外SFのファン1号といわれ、SFに興味があった晩年の江戸川乱歩に面識を得る[3]。そのまま、SF翻訳家、SF作家となり、幅広く活躍した。
冒険小説『カムイの剣』は角川書店によりアニメ映画化された。また、代表作『折紙宇宙船の伝説』は日本国外でも出版され、高い評価を受けた。翻訳家としては、ハインラインの諸作をはじめ、多数の海外SFを翻訳し、日本に紹介した。これらの作品はSFのみならず、日本の文学界全体に大きな影響を与えた。
翻訳家としては、後輩のSF翻訳家をとりまとめて、ネイティヴ・スピーカー等と会合をもつ「翻訳勉強会」を長年、主催していた。
60歳を過ぎてから、黎明期のパソコンゲームに注目してPC-88を購入した。原稿執筆などの目的ではなく完全にホビーユース=ゲームを遊ぶために購入したことや、『ウィザードリィ』他のゲームに熱中した顛末を軽妙なテンポと語り口で描いたエッセイ『ウィザードリィ日記』を上梓した。RPGの普及に貢献するなど、その業績は多岐にわたる。『ウィザードリィ日記』では、自分と同じ高齢の知人に「ボケの防止に最適」としてファミコンのゲームを薦めたことも明かしている。
アマチュアのSFファン活動を大事にする人物としても有名で、年1回開かれる日本SF大会や、その他各地で開催された地方コンではほぼ毎回「狂乱酒場」を主催し、ファンと親しく語り合う姿が見られた。また、荒巻義雄が要塞シリーズで読者を作内に登場させる企画を募集した際に応募し、これに応じた荒巻は矢野を酒好きの将軍として作内に登場させた。
- 1946年か1947年[4]:進駐軍兵士が燃やそうとしていたペーパーバックや古雑誌を譲り受けたことがきっかけでSFに目覚める。
- 1953年:米SF雑誌への投書がきっかけで文通をしていた、アメリカの編集者にして高名なSFファン、フォレスト・J・アッカーマンらの働きかけ[5]で渡米。5月末にロサンゼルスで開催された西海岸ローカルコンのWestercon6に参加。そのままアッカーマン宅に滞在後、9月にフィラデルフィアで開催された第11回ワールドコンPhilcon2[6]に参加。合計6ヶ月間の滞米中、アッカーマン宅に尋ねてきたレイ・ブラッドベリやヴァン・ヴォークトの知遇を得る[7]。
- 1954年:日本初のSF商業誌『星雲』を創刊。1号のみで廃刊になる。
- 1956年ごろ[8]:渡辺啓助、今日泊亜蘭らとSF同人「おめがクラブ」を設立。のちに同人誌『科学小説』を発行。
- 1957年:日本最初のSF同人誌『宇宙塵』に筆頭同人として設立当初より参加。
- 1963年:日本SF作家クラブの設立に参加。
- 1978年:日本SF作家クラブ2代目会長就任(1979年まで)
- 1984年:SFファン活動における功績について柴野拓美賞を受賞。
- 1985年:翻訳者としての功績が評価され、WSFよりチャペック賞(カレル賞)を受賞。第3回日本冒険小説協会大賞特別賞受賞[9]。
- 1988年:『ウィザードリィ日記』で星雲賞ノンフィクション部門受賞[9]。
- 2004年:大腸がんのため死去(享年81)。同年、生前の功績を称え、第25回日本SF大賞特別賞に選ばれる[9]。
- 2005年:星雲賞特別賞受賞[9]。
小説
- 甘美な謎 エロチック・サイエンス(あまとりあ社 1958年)
- 順とフライデイ(『孤島ひとりぼっち』原作、光文社 1966年)(原稿用紙28枚)
- 原子力潜水艦ノーチラス号 (岩崎書店〈おはなしノンフィクション〉 1968年)
- 黄金まぼろし丸(朝日ソノラマ 1969年)
- 孤島ひとりぼっち(国土社 1969年 のち角川文庫)
- 地球0年 日本自衛隊アメリカを占領す(立風書房 1969年 のちハヤカワ文庫、角川文庫)
- コブテン船長の冒険(毎日新聞社 1970年 のち角川文庫)
- カムイの剣(立風書房 1970年 のち角川文庫)
- ももいろの川は流れる(フレーベル館 1971年 『桃色の川は流れる』角川文庫)
- 新世界遊撃隊(鶴書房盛光社 1972年 のち角川文庫)
- 昇天する箱舟の伝説(ハヤカワ文庫 1974年)
- 王女の宝物蔵 SF傑作短編集(文化出版局 1975年)
- カラスの海(角川文庫 1977年)
- 盗まれた東京(SF傑作短編集)(三省堂 1977年)
- 幽霊ロボット(SF傑作短編集)(三省堂 1977年)
- 海鷲(角川文庫 1978年)
- 折紙宇宙船の伝説(早川書房 1978年 のちハヤカワ文庫、角川文庫)
- 442連隊戦闘団 進め!日系二世部隊(角川文庫 1979年/新版 柏艪舎 2005年)
- 第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で勇名を馳せた日系二世部隊第442連隊戦闘団の悲劇と栄光を扱う文芸ノンフィクション。
- さまよえる騎士団の伝説(角川文庫 1980年)
- 裁くのはだれか ゴンドー・ゴロー・シリーズ(角川文庫 1980年)
- 異次元鉄十字団(角川文庫 1980年)
- 自殺潜水艦突撃せよ(角川文庫 1980年)
- 最後の忍者(角川文庫 1981年)
- フロリダ超能力集落(角川文庫 1981年)
- 悪夢の戦場(ハヤカワ文庫 1982年)
- 皇帝陛下の戦場 異次元戦場シリーズ 1(角川文庫 1983年)
- カムイの剣 3-5(角川文庫 1984年-1985年)
- ロボット(角川文庫 1986年)
- 多元宇宙バトル・フィールド(高橋敏也との共著 ハヤカワ文庫 1990年)
- ネットワーク・ソルジャー 連邦宇宙軍シリーズ 1(高橋敏也との共著 ハヤカワ文庫 1990年)
- エリミネーター 連邦宇宙軍シリーズ 2(高橋敏也との共著 ハヤカワ文庫 1991年)
- マーズ・ドラゴン 連邦宇宙軍シリーズ 3(高橋敏也との共著 ハヤカワ文庫 1991年)
- 忍者惑星テラ2 連邦宇宙軍シリーズ4(ハヤカワ文庫 1992年)
- テレパス狩りの惑星 連邦宇宙軍シリーズ5(ハヤカワ文庫 1992年)
- 草原をゆく帆船 連邦宇宙軍シリーズ6(ハヤカワ文庫 1993年)
- 砂漠のタイムマシン 連邦宇宙軍シリーズ7(ハヤカワ文庫 1993年)
エッセイほか
- 雷からテレビまで(新潮社〈少国民の科学〉 1958年)
- 矢野徹・SFの翻訳(奇想天外社 1981年)
- ウィザードリィ日記 パソコン文化の冒険(エム・アイ・エー 1987年)
- ウィザードリィ日記 熟年世代のパソコン・アドヴェンチャー(角川文庫 1989年)
- 矢野徹の狂乱酒場1988(編著 角川文庫 1990年)
- 矢野徹の電脳酒場(I/O連載)
- 怒りのパソコン日記(河出書房新社 1990年)
- 続・ウィザードリィ日記 未来はバラ色(ビジネス・アスキー 1991年)
- ウィザードリィ幻想曲(マイクロデザイン出版局 1992年)
- ドラえもん 小学館コロコロ文庫版 4巻(1994年) - 解説を執筆。
- 矢野徹の電脳通信日記(アスキー 1996年)
"矢野徹". 講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」. コトバンクより2022年1月3日閲覧。 1988年5月、NASAが主催しワシントンD.Cで開催されたハインライン追悼の会でスペシャルゲストとしてスピーチした矢野は、ハインラインが『宇宙の戦士』を世界中の軍曹に捧げたことに触れ、自らの軍歴を誇りに思うと述べた。(『Requiem: New Collected Works by Robert A. Heinlein and Tributes to the Grand Master』Tor Books 1993 Yoji Kondo(Edit))
『宝石』昭和28年8月号「科学小説の鬼」に、矢野が渡米の直前に乱歩を訪れたとある。『続・幻影城』に収録。 『FORRY:The Life of Forrest J Ackerman』Mcfarland & Co Inc Pub 2010 Deborah Painter によると、アッカーマンは矢野にWestercon6のゲストオブオナーにすると手紙を出した。しかし、Westercon公式ページには矢野の名は残っていない。 この大会でヒューゴー賞が創設され、アッカーマンは#1 Fan Personarity部門を受賞した。