第三次奴隷戦争
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第三次奴隷戦争(だいさんじどれいせんそう、ラテン語: Tertium Bellum Servile)は、紀元前73年から紀元前71年にかけて共和政ローマ期にイタリア半島で起きたローマ軍と剣闘士・奴隷による戦争である。3度の奴隷戦争の中で最後にして最大規模のものであった。剣闘士らの指導者スパルタクスの名にちなんでスパルタクスの反乱、スパルタクスの乱、スパルタクスの蜂起やグラディアトルの反乱とも呼ばれる[1]。
第三次奴隷戦争 | |
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『スパルタクスの最期』(ヘルマン・フォーゲル画、1882年) | |
戦争:第三次奴隷戦争 | |
年月日:紀元前73年 - 紀元前71年 | |
場所:イタリア | |
結果:ローマ軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
ローマ | 逃亡奴隷、剣闘士他 |
指導者・指揮官 | |
レントゥルス ゲッリウス マルクス・リキニウス・クラッスス グナエウス・ポンペイウス ルクッルス |
スパルタクス, † クリクスス, † オエノマウス(英語版), † ガンニクス カストゥス |
戦力 | |
ローマ8個軍団(40,000 - 50,000人)他 | 約120,000人 |
損害 | |
- | 殆どが戦死、残りは磔刑 |
紀元前73年から71年にかけて、カプアの養成所を脱走したおよそ70人の剣闘士奴隷の集団は、最終的にはスパルタクスを指導者とする男性・女性そして子どもを含む約12万人[2]の軍に膨れ上がり、イタリア各地を放浪し、襲撃した。この奴隷集団は驚くべき戦闘力を発揮し、差し向けられた地方の討伐隊、ローマ軍の民兵そして執政官の率いる軍団をことごとく撃退した。歴史家プルタルコスは逃亡奴隷たちは主人の手から逃れてガリア・キサルピナ(現在の北イタリア地方)からアルプス山脈を越えて故郷へ帰ることを望んでいたとし、これに対してアッピアノスやフロルス(英語版)は剣闘士や奴隷の目標はローマ進軍であったとしている。
ローマの元老院は奴隷集団に対する連戦連敗と略奪行為に危機感を持ち、最終的には8個軍団をも動員し、その指揮権を厳格かつ有能なマルクス・リキニウス・クラッススに委ねた。紀元前71年、スパルタクスの奴隷軍はクラッススの軍団によってイタリア半島最南端のカラブリアに封じ込められた。元老院が増援としてポンペイウスとルクッルスの軍団を送り込んだことを知ったスパルタクスは残る全兵力を結集してクラッススに決戦を挑み、敗れて全滅した。
この反乱を包括的に記した古典史料にはプルタルコスの『対比列伝』とアッピアノスの『ローマの歴史』(Historia Romana)があり、フロルス、フロンティヌス、リウィウスそしてサッルスティウスの著作にもこの戦争に関する記述がある。
第三次奴隷戦争は近世以降にヴォルテールやカール・マルクスそしてウラジーミル・レーニンといった思想家・革命家から「正しい戦争」と評価され[1]、指導者のスパルタクスは抑圧から解放を求める労働者階級の英雄と見なされるようになった[3]。