筒美京平
日本の作曲家、編曲家、音楽プロデューサー (1940-2020) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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筒美 京平(つつみ きょうへい、本名:渡辺 栄吉(わたなべ えいきち)[1]、1940年〈昭和15年〉5月28日[1] - 2020年〈令和2年〉10月7日)は、日本の作曲家、編曲家。東京府東京市牛込区(現:東京都新宿区)出身[2]。青山学院大学経済学部卒業[3]。2003年に紫綬褒章を受章[4]。弟は音楽プロデューサーの渡辺忠孝。既婚。
筒美 京平 | |
---|---|
出生名 | 渡辺 栄吉 |
別名 |
JACK DIAMOND Dr.DRAGON |
生誕 | (1940-05-28) 1940年5月28日 |
出身地 | 日本・東京府東京市牛込区(現:東京都新宿区) |
死没 | (2020-10-07) 2020年10月7日(80歳没) |
学歴 | 青山学院大学経済学部 |
ジャンル |
歌謡曲 J-POP ニューソウル |
職業 | 作曲家・編曲家 |
担当楽器 | ピアノ |
活動期間 | 1963年 - 2020年 |
事務所 | 筒美音楽事務所 |
1960年代後半のグループ・サウンズ、その後は歌謡曲、アイドル歌謡曲、J-POP、アニメ主題歌等の作曲と、非常に幅広いジャンルにわたる多数のヒット曲を世に送り出した、昭和後期から平成期の日本を代表する作曲家[5][6][7][8]。
1971年の『また逢う日まで』、1979年の『魅せられて』で日本レコード大賞を受賞している。日本の作曲家別レコード売り上げ年間1位を10回(1971年から1973年、1975年、1976年、1981年から1983年、1985年、1987年)記録。また作曲作品が、1960・1970・1980・1990・2000年代と、5年代連続でチャート1位を獲得。1960・1970・1980・1990・2000・2010年代と、6年代連続でTOP10にチャートインしている。
幼稚園からピアノを始める[2]。青山学院初等部・青山学院中等部・高等部、青山学院大学経済学部卒業[2]。大学在学時はジャズに打ち込み、大野雄二とも面識があった[2]。
大学卒業後の1963年に日本グラモフォン(後のポリドールK.K.→ポリグラムK.K.→ユニバーサル ミュージック ジャパン)に入社[1]。洋楽担当ディレクターとして勤務する傍ら、大学の先輩である作詞家の橋本淳に勧められ、すぎやまこういちに師事し作編曲を学ぶ[1][2]。
1966年8月、「黄色いレモン」(藤浩一ほか、競作)で作曲家デビュー[1]。1967年から専業作家となる。ペンネームは鼓(つづみ)が平らに響くという意味から「鼓響平」を考えていたが、「真ん中で折った時に左右対称の名前は縁起がいい」という意見があり、文字を左右対称にするために「筒美京平」とした[9]。
1968年12月に発売されたいしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」が、筒美の作曲では自身初のオリコン週間1位を獲得。自身が作曲・編曲で日本レコード大賞を受賞した曲は、1971年、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」第13回日本レコード大賞と、1979年、ジュディ・オングの「魅せられて」第21回日本レコード大賞である。
1970年代の吉田拓郎ら、シンガー・ソングライターの出現には脅威を感じたが[7][8][10][11]、物ともせず、ヒット曲を世に出した[7]。松本隆とのコンビで中原理恵「東京ららばい」、桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」、近藤真彦「スニーカーぶる〜す」など、合計約380作品を手掛ける一方、1980年代より松本がはっぴいえんど時代の仲間たちを歌謡界に呼び寄せ、ヒットメーカーとしての快進撃が始まる。松田聖子の24曲連続オリコン1位中17曲を手掛けるなど、阿久悠に代わり歌謡界で一時代を築き上げた。松田聖子についてはプロデューサーの若松宗雄、編曲の大村雅朗とともに「聖子プロジェクト」の主要メンバーとして聖子を支え、松本の人脈を活かして作曲家を起用するなどした。歌謡曲における“松本・筒美”コンビの名は後に伝説と化す。
1997年に筒美作品で構成されたCD-BOX『筒美京平:HITSTORY』が発売された。自身が手がけた楽曲では、「また逢う日まで」「さらば恋人」「木綿のハンカチーフ」が気に入っていることを、2002年のインタビューで語っている[2]。2006年4月5日に筒美作品で構成されたCD-BOX『THE HIT MAKER -筒美京平の世界-』が、2007年7月11日に『the popular music 〜筒美京平トリビュート〜』が発売された。作曲家のトリビュート・アルバムとしては、日本初となる。
2013年には声優・竹達彩奈のシングル「時空ツアーズ」や、2015年には野口五郎のシングル「再会タイムマシン」、2016年には飯田里穂のシングル「青い炎シンドローム」を手がけるなど、作曲活動は晩年も盛んだった。
晩年で病気療養していたが、2020年10月7日、誤嚥性肺炎のため東京都内の病院で死去。80歳没。晩年はパーキンソン病を患い[12]、自宅で病気療養していたという。葬儀は本人の希望により近親者のみにより執り行われた[13]。
訃報は12日に、筒美の音楽出版事務所の代行を行う(TBSホールディングスグループの音楽出版社の)日音が発表。メディアで伝えられるとネット上では大きな反応があり、スマホなどでの週間検索数は154万722回で、17日放送のTBS系『新・情報7DAYS ニュースキャスター』内、「週間ニュースワードランキング」で2位となった[14]。またNHK・民放の各テレビ局でも長時間にわたり報道。朝のワイドショーとニュース番組での放送時間を集計した「週間TVニュース放送時間ランキング(芸能)」では1位に[15]。『NHKスペシャル』(NHK総合)や『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)などの番組でも追悼特集が組まれた。ラジオ局では訃報が伝えられてから筒美作品のオンエアが急増。10月21日発表の週間ラジオ・オンエアチャートでは、「また逢う日まで」(24位)、「強い気持ち・強い愛」(25位)、「木綿のハンカチーフ」(38位)など15曲が、圏外からTOP200入りした[16]。
2021年4月17日・18日、『〜筒美京平 オフィシャル・トリビュート・プロジェクト〜 ザ・ヒット・ソング・メーカー 筒美京平の世界 in コンサート』が東京国際フォーラム(ホールA)にて開催された。全編、筒美が手掛けたヒットナンバーで構成され、29組の歌手・アーティストが歌い上げた。この日のために日本を代表する実力派ミュージシャンによって結成されたバンド「船山基紀とザ・ヒット・ソング・メーカーズ」が演奏を担い、指揮と音楽監督を船山基紀が務めた[17][18]。なお、本コンサートの模様は、2021年10月3日にWOWOWライブで放送、及び、WOWOWオンデマンドで同時配信された[19]。
メディア
匿名性が強い作曲家であり、マスメディアに登場することはあまりなく、プロの職人として裏方に徹するというスタンスを貫いた[7]。また性格的にもあまり人前に出ることを好まず、テレビ番組への出演も滅多になかった。ただし、新人・若手時代はどうしても断りきれなかったため、数回テレビに出演している。レコード大賞の作曲賞が決まった際は、TBSの強い要望で、半ば強引に帝国劇場へ連れ出されたこともあった[20]。
1997年12月に作曲家デビュー30周年を記念して『HITSTORY 筒美京平 ULTIMATE COLLECTION 1967 - 97』が発売。さらには翌98年にレコード会社5社共同企画によるコンピレーションシリーズ『筒美京平ウルトラ・ベスト・トラックス』が発売。これを機会にテレビやラジオは筒美京平作品の特集を放送。この頃から新聞や雑誌の取材も少しではあるが受けるようになる。
永らくテレビ出演を敬遠してきたが、2005年、BSフジの音楽ドキュメンタリー番組 『HIT SONG MAKERS 〜栄光のJ-POP伝説〜』で数十年ぶりのテレビ出演をした。番組は日本の大衆音楽史に大きく貢献した筒美の歩みの全体像が理解できる優れたエンターテインメント作品であると評価され、その年の日本民間放送連盟賞・テレビエンターテインメント番組部門の最優秀賞を受賞する[21]。2011年5月にはNHK BSプレミアムの『希代のヒットメーカー 作曲家 筒美京平』に出演した。また、この番組でのコメント部分のVTR一部が2017年9月のNHK「うたコン」筒美京平特集の中で使用された。
ゲーム関係で曲を提供したケースは極めて少なく、没後までに、公式にクレジットされているものでは『いただきストリート2 〜ネオンサインはバラ色に〜』『ゆみみみっくす』がある。
シングル売上TOP10
順 位 | 曲名 | アーティスト名 | 作詞家 | 発売日 |
---|---|---|---|---|
1 | 魅せられて | ジュディ・オング | 阿木燿子 | 1979/02/25 |
2 | スニーカーぶる〜す | 近藤真彦 | 松本隆 | 1980/12/12 |
3 | ブルー・ライト・ヨコハマ | いしだあゆみ | 橋本淳 | 1968/12/25 |
4 | また逢う日まで | 尾崎紀世彦 | 阿久悠 | 1971/03/05 |
5 | ロマンス | 岩崎宏美 | 阿久悠 | 1975/07/25 |
6 | 木綿のハンカチーフ | 太田裕美 | 松本隆 | 1975/12/21 |
7 | ギンギラギンにさりげなく | 近藤真彦 | 伊達歩 | 1981/09/30 |
8 | 人魚 | NOKKO | NOKKO | 1994/03/09 |
9 | やめないで,PURE | KinKi Kids | 伊達歩 | 1999/02/24 |
10 | ブルージーンズ メモリー | 近藤真彦 | 松本隆 | 1981/06/12 |
2019年現在
年代別シングル売上TOP3
年代 | 順 位 |
曲名 | アーティスト名 | 作詞家 | 発売日 |
---|---|---|---|---|---|
1960年代 | 1 | ブルー・ライト・ヨコハマ | いしだあゆみ | 橋本淳 | 1968/12/25 |
2 | さよならのあとで | ジャッキー吉川とブルーコメッツ | 橋本淳 | 1968/10/15 | |
3 | ガールフレンド | オックス | 橋本淳 | 1968/05/05 | |
1970年代 | 1 | 魅せられて | ジュディ・オング | 阿木燿子 | 1979/02/25 |
2 | また逢う日まで | 尾崎紀世彦 | 阿久悠 | 1971/03/05 | |
3 | ロマンス | 岩崎宏美 | 阿久悠 | 1975/07/25 | |
1980年代 | 1 | スニーカーぶる〜す | 近藤真彦 | 松本隆 | 1980/12/12 |
2 | ギンギラギンにさりげなく | 近藤真彦 | 伊達歩 | 1981/09/30 | |
3 | ブルージーンズ メモリー | 近藤真彦 | 松本隆 | 1981/06/12 | |
1990年代 | 1 | 人魚 | NOKKO | NOKKO | 1994/03/09 |
2 | やめないで,PURE | KinKi Kids | 伊達歩 | 1999/02/24 | |
3 | TENCAを取ろう! -内田の野望- | 内田有紀 | 広瀬香美・川咲そら | 1994/10/21 | |
2000年代 | 1 | AMBITIOUS JAPAN! | TOKIO | なかにし礼 | 2003/10/01 |
2 | 理由 | 安倍麻美 | 326 | 2003/03/26 | |
3 | 恋のダウンロード | 仲間由紀恵 with ダウンローズ | 松尾潔 | 2006/03/15 | |
2010年代 | 1 | センチメンタル・ジャーニー | 前島亜美 from SUPER☆GiRLS | 湯川れい子 | 2013/12/04 |
2 | 時空ツアーズ | 竹達彩奈 | いしわたり淳治 | 2013/01/09 | |
3 | 齧りかけの林檎 | 竹達彩奈 | 藤林聖子 | 2014/10/15 |
2020年10月12日付現在
作曲家総売上
作曲作品の総売上枚数[注釈 1]は7,560.2万枚(オリコン)で、作曲家歴代1位である[22]。別名義での作曲作品の売上枚数を加算すると7,600万枚を超える[注釈 2]。オリコンが集計を開始した1968年から約50年にわたり、ほとんどの年で作曲作品がチャートインしており(作曲作品リスト参照)、ヒットチャートランクインは500曲以上、そのうちチャート1位獲得は39曲、TOP3以内が約100曲、TOP10入りした作品は200曲を超えている[23]。日本音楽界で最も多くのヒット曲を生み出した作曲家である。
歴代作曲家総売上ランキングTOP5[22][24] | |||||
---|---|---|---|---|---|
順 位 | 売上枚数 (万枚) | 作曲家 | 最高セールス曲 | ||
曲名 | アーティスト名 | 発売日 | |||
1 | 7560.2 | 筒美京平 | 魅せられて | ジュディ・オング | 1979/02/25 |
2 | 7184.6 | 小室哲哉 | CAN YOU CELEBRATE? | 安室奈美恵 | 1997/02/19 |
3 | 4180.5 | 織田哲郎 | 世界中の誰よりきっと | 中山美穂&WANDS | 1992/10/28 |
4 | 3901.8 | 桑田佳祐 | TSUNAMI | サザンオールスターズ | 2000/01/26 |
5 | 3825.1 | つんく | LOVEマシーン | モーニング娘。 | 1999/09/09 |
2020年10月12日付現在
編曲家総売上
編曲作品の総売上枚数[注釈 1]は3,747.1万枚(オリコン)で、編曲家歴代4位である[22]。ほとんどが自作曲作品の編曲だが、野口五郎の「私鉄沿線」など他者作品の編曲も手掛けている。売上枚数の大部分は1960年代、1970年代に記録したもので、1980年代以降は萩田光雄、船山基紀、鷺巣詩郎、大村雅朗、大谷和夫、武部聡志といった当時の中堅・若手アレンジャーに編曲を依頼したため[25]、自らの編曲は一部の作品のみとなっている(作曲作品リスト参照)。
歴代編曲家総売上ランキングTOP5[22][24] | |||||
---|---|---|---|---|---|
順 位 | 売上枚数 (万枚) | 編曲家 | 最高セールス曲 | ||
曲名 | アーティスト名 | 発売日 | |||
1 | 6128.7 | 小室哲哉 | CAN YOU CELEBRATE? | 安室奈美恵 | 1997/02/19 |
2 | 4230.8 | 船山基紀 | 大都会 | クリスタルキング | 1979/11/21 |
3 | 3992.1 | 萩田光雄 | 異邦人 -シルクロードのテーマ- | 久保田早紀 | 1979/10/01 |
4 | 3747.1 | 筒美京平 | 魅せられて | ジュディ・オング | 1979/02/25 |
5 | 3594.5 | 葉山たけし | 世界中の誰よりきっと | 中山美穂&WANDS | 1992/10/28 |
2020年10月12日付現在
作曲家年間売上
1968年から1989年まで、22年連続で作曲家年間売上TOP10にランクイン。最も売上枚数が多かった年は1972年で約650万枚の売上を記録した[26]。
年代 | 年 | 1位 | 2位 | 3位 | |
---|---|---|---|---|---|
1960年代 | 1968年 | 遠藤実 | 平尾昌晃 | いずみたく[注釈 4] | 7位/筒美京平 |
1969年 | いずみたく | 筒美京平 | 三木たかし | ||
1970年代 | 1970年 | 猪俣公章 | 筒美京平 | 川口真 | |
1971年 | 筒美京平 | 平尾昌晃 | 中村泰士 | ||
1972年 | 筒美京平 | 平尾昌晃 | 鈴木邦彦 | ||
1973年 | 筒美京平 | 並木ひろし | 平尾昌晃 | ||
1974年 | 平尾昌晃 | 筒美京平 | 都倉俊一 | ||
1975年 | 筒美京平 | 平尾昌晃 | 森田公一 | ||
1976年 | 筒美京平 | 佐瀬寿一 | 三木たかし | ||
1977年 | 都倉俊一 | 宇崎竜童 | 筒美京平 | ||
1978年 | 都倉俊一 | 筒美京平 | 大野克夫 | ||
1979年 | 遠藤実 | 筒美京平 | タケカワユキヒデ | ||
1980年代 | 1980年 | 山下三智夫 | もんたよしのり | 堀内孝雄 | 10位/筒美京平 |
1981年 | 筒美京平 | 寺尾聰 | 財津和夫 | ||
1982年 | 筒美京平 | 来生たかお | Johnny | ||
1983年 | 筒美京平 | 井上大輔 | 細野晴臣 | ||
1984年 | 林哲司 | 芹澤廣明 | 筒美京平 | ||
1985年 | 筒美京平 | 芹澤廣明 | 林哲司 | ||
1986年 | 後藤次利 | 筒美京平 | 林哲司 | ||
1987年 | 筒美京平 | 後藤次利 | 高見沢俊彦 | ||
1988年 | 飛鳥涼 | 後藤次利 | 馬飼野康二 | 4位/筒美京平 | |
1989年 | 後藤次利 | 小室哲哉 | 奥居香 | 8位/筒美京平 |
日本レコード大賞 作曲賞
日本レコード大賞で、大賞同様に第1回(1959年)に制定され50年以上の歴史を持つ作曲賞。筒美は過去5回受賞しており、これは全作曲家でトップの記録である。
NHK紅白歌合戦 登場曲数
第1回(1951年)- 第60回(2009年)NHK紅白歌合戦で歌われた楽曲は延べ2900曲。その中で筒美京平作品は全作曲家でトップの69曲歌唱される[27]。内訳は紅組が42曲、白組が27曲。初登場曲は、1967年放送の『第18回NHK紅白歌合戦』で歌われた、弘田三枝子の「渚のうわさ」。最も作品が多かった年は1972年(第23回NHK紅白歌合戦)で、紅白合わせて7曲が歌われた[27]。なお、現在は弦哲也に次いで2位となっている(2010年12月31日現在)。
作曲賞
年 | 作曲賞 | 曲名 | アーティスト名 |
---|---|---|---|
1969年 | 第11回日本レコード大賞・作曲賞 | ブルー・ライト・ヨコハマ | いしだあゆみ |
1971年 | 第13回日本レコード大賞・作曲賞 | 雨がやんだら | 朝丘雪路 |
真夏の出来事 | 平山三紀 | ||
1973年 | 第2回東京音楽祭 国内大会・作曲賞 | かがやける愛の日に | 尾崎紀世彦 |
1974年 | 第16回日本レコード大賞・作曲賞 | 甘い生活 | 野口五郎 |
1974年 | 第3回東京音楽祭 国内大会・作曲賞 | バラのかげり | 南沙織 |
1975年 | FNS歌謡祭'75(下期)・最優秀作曲賞 | ||
1978年 | 第20回日本レコード大賞・作曲賞[注釈 5] | 飛んでイスタンブール | 庄野真代 |
東京ららばい | 中原理恵 | ||
1979年 | 第21回日本レコード大賞・作曲賞[注釈 5] | 魅せられて | ジュディ・オング |
1979年 | FNS歌謡祭'79・最優秀作曲賞 | ||
1981年 | FNS歌謡祭'81・最優秀作曲賞 | ||
1981年 | 第1回日本作曲大賞・金賞 | ブルージーンズ メモリー | 近藤真彦 |
1985年 | 第5回日本作曲大賞・優秀作曲者賞 | Romanticが止まらない | C-C-B |
1987年 | 第7回日本作曲大賞・優秀作曲者賞 | 君だけに | 少年隊 |
日本レコード大賞
- TBS制作
※作曲賞以外の各賞
年 | 賞 | 曲名 | アーティスト名 |
---|---|---|---|
1971年 | 大賞 | また逢う日まで | 尾崎紀世彦 |
歌唱賞 | また逢う日まで | 尾崎紀世彦 | |
さいはて慕情 | 渚ゆう子 | ||
大衆賞 | さらば恋人 | 堺正章 | |
新人賞 | 17才 | 南沙織 | |
1972年 | 最優秀新人賞 | 芽ばえ | 麻丘めぐみ |
新人賞 | 男の子女の子 | 郷ひろみ | |
1973年 | 大衆賞 | わたしの彼は左きき | 麻丘めぐみ |
新人賞 | 赤い風船 | 浅田美代子 | |
1975年 | 新人賞 | ロマンス | 岩崎宏美 |
雨だれ | 太田裕美 | ||
1976年 | 歌唱賞 | 針葉樹 | 野口五郎 |
大衆賞 | あなたがいたから僕がいた | 郷ひろみ | |
1978年 | 金賞 | たそがれマイ・ラブ | 大橋純子 |
グッド・ラック | 野口五郎 | ||
シンデレラ・ハネムーン | 岩崎宏美 | ||
新人賞 | 東京ららばい | 中原理恵 | |
1979年 | 大賞 | 魅せられて | ジュディ・オング |
金賞 | 魅せられて | ジュディ・オング | |
勇気があれば | 西城秀樹 | ||
1981年 | 最優秀新人賞 | ギンギラギンにさりげなく | 近藤真彦 |
新人賞 | ギンギラギンにさりげなく | 近藤真彦 | |
はみだしチャンピオン | 沖田浩之 | ||
1982年 | 新人賞 | センチメンタル・ジャーニー | 松本伊代 |
ゴールデン・アイドル賞 | ホレたぜ!乾杯 | 近藤真彦 | |
1983年 | 金賞 | ミッド・ナイト・ステーション | 近藤真彦 |
エスカレーション | 河合奈保子 | ||
1984年 | 金賞 | 唇のプライバシー | 河合奈保子 |
1985年 | 最優秀新人賞 | 「C」 | 中山美穂 |
金賞 | Romanticが止まらない | C-C-B | |
新人賞 | 「C」 | 中山美穂 | |
Temptation(誘惑) | 本田美奈子 | ||
1986年 | 最優秀新人賞 | 仮面舞踏会 | 少年隊 |
金賞 | ツイてるねノッてるね | 中山美穂 | |
新人賞 | 仮面舞踏会 | 少年隊 | |
夢飛行 | 真璃子 | ||
乙女日和 | 水谷麻里 | ||
1987年 | 金賞 | 君だけに | 少年隊 |
ベストアーチスト賞 | 君だけに | 少年隊 | |
1989年 | 新人賞 | 真剣(ほんき) | 田村英里子 |
※作家個人に贈呈される賞
各局音楽賞
※作曲賞以外の各賞
- 1971年(第2回)大賞「また逢う日まで」尾崎紀世彦
- 1971年(第2回)放送音楽賞「さらば恋人」堺正章
- 1971年(第2回)放送音楽賞「雨の日のブルース」渚ゆう子
- 1971年(第2回)放送音楽新人賞「17才」南沙織
- 1972年(第3回)放送音楽賞「雨のエア・ポート」欧陽菲菲
- 1973年(第4回)放送音楽賞「裸のビーナス」郷ひろみ
- 1973年(第4回)放送音楽賞「わたしの彼は左きき」麻丘めぐみ
- 1975年(第6回)放送音楽新人賞「ロマンス」岩崎宏美
- 1976年(第7回)放送音楽賞「針葉樹」野口五郎
- 1977年(第8回)放送音楽賞「風の駅」野口五郎
- 1978年(第9回)放送音楽賞「グッド・ラック」野口五郎
- 1982年(第13回)放送音楽新人賞「センチメンタル・ジャーニー」松本伊代
- 1982年(第13回)放送音楽賞「ホレたぜ!乾杯」近藤真彦
- 1984年(第15回)放送音楽プロデューサー連盟賞「唇のプライバシー」河合奈保子
- 1985年(第16回)優秀放送音楽新人賞「Temptation(誘惑)」本田美奈子
- 1986年(第17回)優秀放送音楽新人賞「仮面舞踏会」少年隊
- 1986年(第17回)優秀放送音楽新人賞「夢飛行」真璃子
- 1986年(第17回)放送音楽新人賞「乙女日和」水谷麻里
- 1987年(第18回)大賞「泣いてみりゃいいじゃん」近藤真彦
- 1987年(第18回)放送音楽プロデューサー連盟賞「北風のキャロル」荻野目洋子
- 1989年(第20回)優秀放送音楽新人賞「真剣(ほんき)」田村英里子
- 1975年(第1回)敢闘賞「夕立ちのあとで」野口五郎
- 1975年(第1回)新人賞「ロマンス」岩崎宏美
- 1975年(第1回)トップ・アイドル賞「誘われてフラメンコ」郷ひろみ
- 1976年(第2回)グランプリ「きらめき」野口五郎
- 1976年(第2回)金の鳩賞「未来」岩崎宏美
- 1976年(第2回)トップ・アイドル賞「20才の微熱」郷ひろみ
- 1981年(第7回)新人賞「ブルージーンズ メモリー」近藤真彦
- 1983年(第9回)敢闘賞「ためいきロ・カ・ビ・リー」近藤真彦
- 1984年(第10回)日本テレビアイドル賞「ヤマトナデシコ七変化」小泉今日子
- 1984年(第10回)日本テレビ特別賞「唇のプライバシー」河合奈保子
- 1985年(第11回)新人奨励賞「好きと言いなさい」本田美奈子
- 1986年(第12回)金の鳩賞「Help」本田美奈子
- 1986年(第12回)新人賞「仮面舞踏会」少年隊
- 1989年(第15回)新人賞「真剣(ほんき)」田村英里子
- 1975年('75上期)最優秀歌唱賞「哀しみの終わるとき」野口五郎
- 1975年('75下期)最優秀新人賞「ロマンス」岩崎宏美
- 1977年('77)優秀歌謡音楽賞「九月の雨」太田裕美
- 1977年('77)優秀歌唱賞「風の駅」野口五郎
- 1978年('78)優秀歌謡音楽賞「グッド・ラック」野口五郎
- 1978年('78)優秀新人賞「ディスコ・レディー」中原理恵
- 1979年('79)最優秀歌唱賞「魅せられて」ジュディ・オング
- 1979年('79)優秀歌謡音楽賞「魅せられて」ジュディ・オング
- 1981年('81)最優秀新人賞「ギンギラギンにさりげなく」近藤真彦
- 1981年('81)優秀新人賞「はみだしチャンピオン」沖田浩之
- 1982年('82)優秀歌謡音楽賞「ホレたぜ!乾杯」近藤真彦
- 1982年('82)優秀新人賞「センチメンタル・ジャーニー」松本伊代
- 1983年('83)優秀歌謡音楽賞「ためいきロ・カ・ビ・リー」近藤真彦
- 1983年('83)優秀歌謡音楽賞「UNバランス」河合奈保子
- 1984年('84)優秀歌謡音楽賞「唇のプライバシー」河合奈保子
- 1985年('85)最優秀新人賞「Temptation(誘惑)」本田美奈子
- 1986年('86)優秀歌謡音楽賞「1986年のマリリン」本田美奈子
- 1986年('86)最優秀新人賞「仮面舞踏会」少年隊
- 1986年('86)優秀新人賞「夢飛行」真璃子
- 1986年('86)優秀新人賞「乙女日和」水谷麻里
- 1987年('87)優秀歌謡音楽賞「北風のキャロル」荻野目洋子
- 1989年('89)優秀新人賞「真剣(ほんき)」田村英里子
- 1975年(第1回)優秀新人賞「ロマンス」岩崎宏美
- 1979年(第5回)ゴールデングランプリ「勇気があれば」西城秀樹
- 1981年(第7回)最優秀新人賞「ギンギラギンにさりげなく」近藤真彦
- 1982年(第8回)優秀新人賞「オトナじゃないの」松本伊代
- 1984年(第10回)最優秀歌唱賞「唇のプライバシー」河合奈保子
- 1985年(第11回)銀賞「Temptation(誘惑)」本田美奈子
- 1986年(第12回)最優秀新人賞「仮面舞踏会」少年隊
- 1987年(第13回)ゴールデングランプリ「泣いてみりゃいいじゃん」近藤真彦
- 1989年(第15回)優秀新人賞「真剣(ほんき)」田村英里子
- 1982年(第1回)演歌大賞「愛しつづけるボレロ」五木ひろし
- 1982年(第1回)ポップスグランプリ「ふられてBANZAI」近藤真彦
- 1982年(第1回)優秀新人エメラルド賞「TVの国からキラキラ」松本伊代
- 1983年(第2回)ポップスグランプリ「シャワーな気分」田原俊彦
- 1984年(第3回)優秀新人エメラルド賞「H-i-r-o-s-h-i」渡辺桂子
- 1985年(第4回)最優秀新人ダイヤモンド賞「殺意のバカンス」本田美奈子
- 1986年(第5回)最優秀新人ダイヤモンド賞「21世紀まで愛して」水谷麻里
- 1986年(第5回)最優秀新人ダイヤモンド賞「恋、みーつけた」真璃子
- 1989年(第8回)優秀新人賞「好きよ」田村英里子
※年間での受賞作品
- 1975年(第8回)新人賞「ロマンス」岩崎宏美
- 1976年(第9回)優秀スター賞「センチメンタル」岩崎宏美
- 1976年(第9回)優秀スター賞「木綿のハンカチーフ」太田裕美
- 1978年(第11回)優秀スター賞「たそがれマイ・ラブ」大橋純子
- 1978年(第11回)新人賞「東京ららばい」中原理恵
- 1978年(第11回)功労賞「さようならの彼方へ」内山田洋とクール・ファイブ
- 1979年(第12回)優秀スター賞「魅せられて」ジュディ・オング
- 1981年(第14回)最優秀新人賞「ギンギラギンにさりげなく」近藤真彦
- 1982年(第15回)優秀スター賞「ふられてBANZAI」近藤真彦
- 1985年(第18回)新人賞「Temptation(誘惑)」本田美奈子
- 1986年(第19回)新人賞「仮面舞踏会」少年隊
- 1969年(第2回)努力賞「ブルー・ライト・ヨコハマ」いしだあゆみ
- 1971年(第4回)スター賞「さいはて慕情」渚ゆう子
- 1971年(第4回)特別賞「雨がやんだら」朝丘雪路
- 1971年(第4回)ホープ賞「17才」南沙織
- 1971年(第4回)大衆賞「さらば恋人」堺正章
- 1972年(第5回)大賞「雨のエア・ポート」欧陽菲菲
- 1972年(第5回)優秀賞「恋の追跡(ラヴ・チェイス)」欧陽菲菲
- 1972年(第5回)新人賞「芽ばえ」麻丘めぐみ
- 1973年(第6回)優秀賞「恋の十字路」欧陽菲菲
- 1973年(第6回)大衆賞「小さな体験」郷ひろみ
- 1975年(第8回)優秀新人賞「ロマンス」岩崎宏美
- 1975年(第8回)優秀新人賞「雨だれ」太田裕美
- 1976年(第9回)有線スター賞「ドリーム」岩崎宏美
- 1976年(第9回)有線ヒット賞「しあわせ未満」太田裕美
- 1976年(第9回)企画賞「ムーンライト・タクシー」浅野ゆう子
- 1978年(第11回)新人賞「ディスコ・レディー」中原理恵
- 1979年(第12回)有線音楽賞「魅せられて」ジュディ・オング
- 1979年(第12回)有線音楽賞「セクシャルバイオレットNo.1」桑名正博
- 1981年(第14回)最優秀新人賞「ギンギラギンにさりげなく」近藤真彦
- 1982年(第15回)有線音楽賞「ホレたぜ!乾杯」近藤真彦
- 1982年(第15回)新人賞「センチメンタル・ジャーニー」松本伊代
- 1985年(第18回)新人賞「Temptation(誘惑)」本田美奈子
- 1986年(第19回)有線音楽賞「Sosotte」本田美奈子
- 1986年(第19回)新人賞「仮面舞踏会」少年隊
- 1988年(第21回)ベストヒット賞「抱きしめてTONIGHT」田原俊彦
- 1989年(第22回)有線音楽賞「17才」森高千里
- 1973年(第2回)ゴールデン・カナリー賞「かがやける愛の日に」尾崎紀世彦
- 1974年(第3回)優秀新人賞「恋のインディアン人形」リンリン・ランラン
- 1975年(第4回)ゴールデン・スター賞「哀しみの終わるとき」野口五郎
- 1975年(第4回)最優秀新人賞「たんぽぽ」太田裕美
- 1976年(第5回)ゴールデン・スター賞「きらめき」野口五郎
- 1977年(第6回)ゴールデン・スター賞「沈黙」野口五郎
- 1978年(第7回)ゴールデン・スター賞「飛んでイスタンブール」庄野真代
- 1978年(第7回)最優秀歌唱賞「銀河特急」松崎しげる
- 1978年(第7回)優秀新人賞「東京ららばい」中原理恵
- 1979年(第8回)ゴールデン・カナリー賞「魅せられて」ジュディ・オング
- 1979年(第8回)優秀新人賞「ラスト・ワルツ・イン・ブルー」金井夕子
- 1980年(第9回)大賞「来夢来人」小柳ルミ子
- 1980年(第9回)大賞「ラスト・トレイン」宮本典子
- 1985年(第14回)大賞「灰とダイヤモンド」MIE
- 1969年(第2回)銅賞「ミッドナイト東京」川辺妙子
- 1971年(第4回)金賞「17才」南沙織
- 1971年(第4回)銀賞「真夏の出来事」平山三紀
- 1971年(第4回)銅賞「青いリンゴ」野口五郎
- 1972年(第5回)金賞「芽ばえ」麻丘めぐみ
- 1973年(第6回)銅賞「かんじる10代」葵テルヨシ
- 1974年(第7回)銅賞「処女航海」優雅
- 1974年(第7回)敢闘賞「陽気な恋のキューピッド」リンリン・ランラン
- 1975年(第8回)金賞「ロマンス」岩崎宏美
- 1975年(第8回)銀賞「雨だれ」太田裕美
- 1976年(第9回)銅賞「グッバイ物語」横本メイ
- 1977年(第10回)銅賞「私が選んだあなたです」五十嵐夕紀
- 1977年(第10回)銅賞「ラブ・ショック」川崎麻世
- 1978年(第11回)銀賞「ディスコ・レディー」中原理恵
- 1981年(第14回)金賞「ギンギラギンにさりげなく」近藤真彦
- 1981年(第14回)銀賞「はみだしチャンピオン」沖田浩之
- 1982年(第15回)銀賞「オトナじゃないの」松本伊代
- 1982年(第15回)銅賞「色づく街」三田寛子
- 1982年(第15回)銅賞「哀愁のオリエント急行」つちやかおり
- 1984年(第17回)銀賞「第Ⅱ少女期」渡辺桂子
- 1985年(第18回)金賞「Temptation(誘惑)」本田美奈子
- 1986年(第19回)金賞「仮面舞踏会」少年隊
- 1986年(第19回)金賞「夢飛行」真璃子
- 1986年(第19回)審査員特別奨励賞「乙女日和」水谷麻里
- 1986年(第19回)敢闘賞「チェック・ポイント」藤井一子
- 1975年上期(第4回)グランプリ「雨だれ」太田裕美
- 1975年下期(第5回)グランプリ「ロマンス」岩崎宏美
- 1978年(第8回)専門審査員奨励賞「ディスコ・レディー」中原理恵
- 1981年(第11回)グランプリ「ギンギラギンにさりげなく」近藤真彦
- 1981年(第11回)大衆賞「はみだしチャンピオン」沖田浩之
- 1982年(第12回)銀賞「オトナじゃないの」松本伊代
- 1984年(第14回)審査員特別賞「第Ⅱ少女期」渡辺桂子
- 1985年(第15回)金賞「Temptation(誘惑)」本田美奈子
- 1986年(第16回)金賞「仮面舞踏会」少年隊
- 1986年(第16回)銀賞「乙女日和」水谷麻里
- 1986年(第16回)奨励賞「夢飛行」真璃子
- 1989年(第19回)最優秀新人賞「真剣(ほんき)」田村英里子
※新人賞関連
- 1975年(第2回)新人賞「ロマンス」岩崎宏美
- 1978年(第5回)新人賞「ディスコ・レディー」中原理恵
- 1981年(第8回)最優秀新人賞「ギンギラギンにさりげなく」近藤真彦
- 1981年(第8回)新人賞「はみだしチャンピオン」沖田浩之
- 1982年(第9回)新人奨励賞「色づく街」三田寛子
- 1982年(第9回)新人奨励賞「芽ばえ」水谷絵津子
- 1982年(第9回)新人奨励賞「デンジャラス・ゾーン」三井比佐子
- 1984年(第11回)新人賞「第Ⅱ少女期」渡辺桂子
- 1985年(第12回)最優秀新人賞「好きと言いなさい」本田美奈子
- 1986年(第13回)最優秀新人賞「仮面舞踏会」少年隊
- 1986年(第13回)新人特別賞「乙女日和」水谷麻里
- 1986年(第13回)新人特別賞「夢飛行」真璃子
- 1989年(第16回)新人賞「真剣(ほんき)」田村英里子
地方局主催・制作の音楽祭受賞作品は省略。
最も多くコンビを組んだ作詞家は、学生時代からの盟友で初期のゴールデンコンビの相手である橋本淳。コンビでの作品数はシングルやアルバム曲などトータルで550曲を超える。第2位は1980年代以降のゴールデンコンビの相手、松本隆で作品数は約380曲。第3位が阿久悠で約120曲となっている[28]。
作詞家 | 作品数 (概数)[28] | 最高セールス曲 | |
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曲名 | アーティスト名 | ||
橋本淳 | 550 | ブルー・ライト・ヨコハマ | いしだあゆみ |
松本隆 | 380 | スニーカーぶる〜す | 近藤真彦 |
阿久悠 | 120 | また逢う日まで | 尾崎紀世彦 |
有馬三恵子 | 100 | 17才 | 南沙織 |
売野雅勇 | 100 | エスカレーション | 河合奈保子 |
秋元康 | 100 | ドラマティック・レイン | 稲垣潤一 |
なかにし礼 | 90 | あなたならどうする | いしだあゆみ |
阿木燿子 | 80 | 魅せられて | ジュディ・オング |
岩谷時子 | 60 | 愛への出発 | 郷ひろみ |
山上路夫 | 60 | 甘い生活 | 野口五郎 |
林春生 | 60 | ひまわりの小径 | チェリッシュ |
ちあき哲也 | 60 | 仮面舞踏会 | 少年隊 |
安井かずみ | 50 | よろしく哀愁 | 郷ひろみ |
千家和也 | 50 | わたしの彼は左きき | 麻丘めぐみ |
三浦徳子 | 50 | 君に薔薇薔薇…という感じ | 田原俊彦 |
康珍化 | 20 | ヤマトナデシコ七変化 | 小泉今日子 |
1960年代 | 1970年代 | 1980年代 | 1990年代 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||||||||||||||||||||||||||||||
橋本淳 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
松本隆 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
阿久悠 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
有馬三恵子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
売野雅勇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
秋元康 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
なかにし礼 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
阿木燿子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
岩谷時子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
山上路夫 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
林春生 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ちあき哲也 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
安井かずみ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
千家和也 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三浦徳子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
康珍化 |