色彩調和論
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色彩調和論(しきさいちょうわろん)とは、心理学的な感覚である色彩調和の仕組みを科学的に体系づけようとする色彩研究の分野の1つ[1]。
古代ギリシアでは「美は調和であり、調和は秩序である」「美は変化の中に統一を表現することである」という考えが存在しており、西欧における美学の古典的な考え方となっていた[2][3]。古くはレオナルド・ダ・ヴィンチやアルブレヒト・デューラーによる色彩調和の記述もあり、ダ・ヴィンチの文章を集めた『絵画論』の中には「白・黄・緑・青・赤・黒を6つの単色」と定め「白と黒・赤と緑・黄と青は互いを引き立てる」と書かれている[3]。
1666年にアイザック・ニュートンがスペクトルを発見し、著書『光学』(1704年)で光を7色の成分に分けて発表すると色彩が科学的にとらえられるようになり、表色系に基づいた色彩調和に関する議論が盛んに行われるようになる[1][3][4][5]。一方でヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは科学的な色の分析を批判し、著書『色彩論』(1810年)の中で色をあくまで心理学的な要素だとした[4]。
19世紀後半には本格的な研究が行われるようになり、ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールをはじめ様々な色彩調和論が誕生した[3]。1955年には物理学者のディーン・B・ジャッドが著書『4つの色彩調和論』の中で、色彩調和論は学問として不十分な部分があるとした上で、以下の4つの要素に集約した[2][3][4][6][7]。これらは「ジャッドの四原理」などとも呼ばれる[2]。