Loading AI tools
日本の国文学者 ウィキペディアから
芳賀 矢一(はが やいち、慶応3年5月14日(1867年6月16日) - 昭和2年(1927年)2月6日)は、日本の国文学者[1]。東京帝国大学名誉教授、國學院大學学長、帝国学士院会員。
1867年、越前国福井生まれ。父は国学者の芳賀真咲。第一高等中学校を経て、帝国大学文科大学(のちの東京帝国大学文学部)卒業。小中村清矩に学ぶ。
1898年に東京帝国大学助教授、翌年(1899年)よりドイツに留学し、文献学を学ぶ。1901年に帰国し、東京帝国大学教授となる。1903年、文学博士を取得。大正4年(1915年)帝国学士院会員。また1918年から逝去まで國學院大學学長を務め、同大学の大学令による大学昇格や渋谷移転にも尽力した。また、東宮職御用掛を拝命。大正天皇崩御の際には、奉悼歌の歌詞を命じられた。
上田萬年に続く東京帝国大学国語国文学教授で、国学とドイツ文献学をあわせた日本国文学の基礎を作り、近代国文学の父と称された。また国語教育に携わり国定教科書を編纂した。「尋常小学読本」編集・校閲との関連で、文部省著作の「尋常小学唱歌」を湯原元一らと編纂、歌詞校閲には深く関わっており、一部の韻文歌詞を作詞した可能性も高い。一部では山口県立下関南高等学校校歌などの作詞もしている。
数多くの古典文学を校訂したが、『源氏物語』を論じて、このような乱倫の書物が日本の大古典であることは情けないと述べている。夏目漱石と同年で、漱石が講師だった時に教授をしていた。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.