英賀合戦
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英賀合戦(あが かっせん)/英賀の戦い(あがのたたかい)は、天正5年(1577年)[1]5月に、小早川隆景の水軍の将である浦宗勝(乃美宗勝)の軍勢が、姫路を目指すため、毛利と同盟する播磨国(現・兵庫県)の三木通秋の所領である英賀の地に上陸し、小寺政職[2]との間で行われた合戦である。
概要 英賀合戦 / 英賀の戦い, 交戦勢力 ...
英賀合戦 / 英賀の戦い | |
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戦争:戦国時代 中国攻めの前哨戦の1つ 毛利氏による小寺氏攻め | |
年月日:天正5年(1577年)[1]5月 | |
場所:播磨国英賀(現・兵庫県姫路市飾磨区) | |
結果:小寺軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
毛利軍 (小早川水軍) |
小寺軍 (親織田派) |
指導者・指揮官 | |
浦宗勝 三木通秋 |
小寺政職 小寺孝隆 ほか |
戦力 | |
浦・三木軍5,000 | 小寺軍500 |
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この当時の播磨国は、東から織田氏(織田信長)、西から毛利氏(毛利輝元)と大勢力が迫り、いずれにつくかという緊迫した状況にあった。親織田派であった小寺氏に対し、毛利氏はその10倍の数となる5,000の兵を送り込んだが、対する小寺側は、家臣・小寺孝隆(官兵衛、のちの黒田孝高)の奇策により毛利軍を撃退した。