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日本の俳優 ウィキペディアから
菅田 俊(すがた しゅん、1955年2月17日[5][1][2][3][4] - )は、日本の俳優。山梨県富士吉田市出身[2](出生は山形県[6])。ティー・アーティスト所属。身長187センチメートル。
すがた しゅん 菅田 俊 | |||||
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本名 | 渋谷 昌道(しぶや まさみち)[1][2][3][4] | ||||
生年月日 | 1955年2月17日(69歳) | ||||
出生地 | 日本・山形県 | ||||
出身地 | 日本・山梨県富士吉田市 | ||||
身長 | 187 cm[5][1] | ||||
血液型 | O型[5][1] | ||||
職業 | 俳優、声優 | ||||
ジャンル | 映画、テレビ、OV、舞台 | ||||
活動期間 | 1980年 - | ||||
活動内容 | |||||
配偶者 | 既婚 | ||||
事務所 | ティー・アーティスト | ||||
主な作品 | |||||
テレビドラマ
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山形県に生まれるが、発電所勤務の父の都合で山中湖畔で育つ[6]。山梨県立吉田高等学校[2]、東京経済大学卒業[1][2][3][4]。高校時代はサッカーに熱中する一方で、高倉健の映画に心酔[6]。大学時代は、コロナ2000GTで土曜夜に走り屋として過ごした。並行して18歳から21歳にかけては、当時流行のヤクザ映画の世界に憧れて的屋の一員としても働いた[7][8]。
大学卒業後は不動産会社に就職し、ゴルフ場で働く会社員になるが[8]、勝新太郎や菅原文太に憧れ、高校時代より師事していた詩人の竹内てるよの口添えで東映プロデューサーの俊藤浩滋を紹介してもらい、東映へ出入りするようになる[7]。当初は本名のまま『電子戦隊デンジマン』[9]『特捜最前線』などのテレビドラマに端役として出演。
やがて、菅原の付き人となり、菅原文太の「菅」、鶴田浩二の「田」、俊藤浩滋の「俊」を貰い、芸名を「菅田 俊」とする[3][7]。
ボディビルダーと腕相撲した際に相手の腕をへし折った強さを誇り、菅原の付き人は用心棒を兼任したものではとの声もあったが[10]、3年目に撮影現場で高倉健に呼ばれて「付き人は一生付き人のままだぞ」と言われ、「菅原のオヤジとケンカして」破門となる[8](その後、破門は解かれ、菅原が山梨県で農業を始めると菅田も手伝いに行った)。
1980年から放映の『仮面ライダースーパー1』のスーパー1 / 沖一也役のオーディションでは最終選考まで残っていた[11]ことが縁で、1982年に村雨良 / 仮面ライダーZX役に抜擢され、児童誌のグラビアとイベントショーの展開に参加することとなる[12][13]。児童誌での展開が終了した後の1984年正月、テレビ特番として映像化された『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』で、テレビドラマとしては初の主役を演じる[7][13]。
その後、飲み屋で松田優作らが語っていたアクターズ・スタジオを見るために渡米し、帰国後は東映を離れて27歳で唐十郎率いる劇団・状況劇場に入団し、活動の中心を舞台に移す。演劇時代には唐十郎についていくために大量の読書で演劇理論を学び、読書で得た知識で理論的に役を解釈する。30歳のときに唐とふたりで劇団「唐組」を結成して、下町唐座の舞台に立った後、東京乾電池に所属を移し、ふたたび映像の仕事を始めることとなる[2]。1987年、長谷部安春監督の映画『あぶない刑事』において屈強な傭兵・豹藤幸次郎役で出演し、この悪役を好演したことで以後、テレビや映画では主に悪役を演じるようになった[8][7][13]。
先輩の片桐竜次の誘いで1989年には東映Vシネマに出演するようになり、以後40本以上に出演[13]。ヤクザを多く演じたが、かつて的屋で働いていたときに知り合った人たちを参考にしたという。オリジナルビデオの世界で、黒沢清や室賀厚、福岡芳穂といった監督との出会いを得る。1992年には『事件屋稼業』で映画初主演を果たす[7][13][14]。この間、テレビドラマでは、『追いかけたいの!』『愛してるよ!先生』『鞍馬天狗』『ニュースなあいつ』『家なき子2』などにレギュラー出演した[1]。
1993年、東映のメタルヒーローシリーズ『特捜ロボ ジャンパーソン』に敵役であるビルゴルディこと帯刀龍三郎役で準レギュラー出演[13]。他の作品も掛け持ちしていたため、その合間に出られるならとのことでオファーを承諾したという[13]。
2001年に役者仲間らを集めて「劇団東京倶楽部」を結成し[8]、年1回の舞台を行っている。
2003年、ハリウッド映画『キル・ビル Vol.1』『ラスト サムライ』に出演し、以後海外作品での活躍の場が増える[15]。
太田プロを経て[1][4]、2007年よりティー・アーティストに所属し、コワモテのヤクザや刑事からコミカルな役柄まで幅広くこなせる個性派俳優として活躍する。長年、脇役を中心に演じてきたが、2009年には『ポチの告白』『TOCHKA』の2本の主演映画が公開された[16]。特に、『ポチの告白』の主人公の警官は菅田を当て書きしたものである[7]。
特技は、殺陣、サッカー[4]。大杉漣とはサッカー仲間で「イワシクラブ」というサッカーチームを一緒に結成している[17]。
『特捜ロボ ジャンパーソン』では、変身後のビルゴルディをマスク無しの状態で演じることもあったが、ジャンパーソンのスーツアクターを務めた横山一敏はすごく動けると評価していた[18]。
2005年12月にひったくり犯の逮捕に協力したとして、翌年の2月に警視庁目白署から表彰を受けた[17]。本人によると自転車での帰宅途中であり、池袋で「ひったくりだ」との声を聞いて巻き込まれないようにしようと思ったが、路地に走る影が見えたので自転車を置いて回り込み、鉢合わせた犯人を取り押さえたという。
俳優を目指して東映本社を訪れた当時、関係者から東映のスターが載ったカレンダーに載ることを目標に頑張れと言葉をかけられ、そのカレンダーに仮面ライダーも載っていたことから、仮面ライダーには特別な想いを抱いていた[19]。
『ZX』の前作品『仮面ライダースーパー1』の最終オーディションまで残り[12][20]、実際に仮面ライダースーパー1 / 沖一也 役を演じた高杉俊价がレンジャー部隊出身でその経験を生かした特技を披露したことに驚き、彼に勝つためには自分も屋上から飛び降りるぐらいのことはしなくちゃいけないだろうという意気込みで挑んだ[21]。当時の東映のプロデューサーだった平山亨から、後年にオーディションで高杉にほぼ決まっていたとのエピソードを聞いたことを明かしている[19]。
その後、平山に見込まれて『ZX』の主人公の村雨良 / 仮面ライダーZX 役に選ばれた[3]。しかし、テレビ放送が予定されていない企画のために低予算で、衣裳もバイクも自前だった[3][22]。そのうえ、直前には映画『制覇』に出演していたため、髪型がパンチパーマであった[19]。また、映画での役作りのために太っていたことから、毎日8キロメートルを走ったり、JACの友人と立ち回り練習を行うなどして、15キログラムの減量を行った[12]。
ステージ『仮面ライダーZXショー』への出演時、敵役の人たちが手弁当で出演していたのを見て「自分も頑張らねば」と演じていたという[3]。それを見に来ていた平山が、財布から「少ないけど」と3万円を渡してくれた[3][19]。それがうれしかったと後に懐古しており、その小遣いはとても申し訳なく今でもそのままにしているという[19]。
インタビューでは「またZXをやりたい」と答えており[13]、2010年には『仮面ライダーバトル ガンバライド』でZXの声を担当している[23]。2012年1月に行われたトークショーでは、裏話や変身ポーズを披露した[24][25]。
2014年3月公開の『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』で約30年ぶりに村雨 / ZX 役を演じた[26]後、2023年配信の『ギーツエクストラ 仮面ライダータイクーン meets 仮面ライダーシノビ』でも同役を演じた際には、亡き平山への思いなどを述べた[27]。
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