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日本の領有下の樺太に存在した市、樺太庁所在地 ウィキペディアから
豊原市(とよはらし)は、日本の領有下において樺太(南樺太)に存在した唯一の市である。樺太庁及び豊原支庁が置かれ、日本領有下における政治・経済・文化の中心であった。市内には運動場を併設した公園や競馬場(一度、移転)も有していた。
人口の増加に伴い、空港の建設等を含む更に大規模な都市整備が計画されていたが、太平洋戦争の勃発により実現しなかった。1937年の市制施行により豊原市は旭川市に代わって日本最北の市となり、樺太が内地に編入された1943年以後を含めて、日本最北端の行政中核都市として機能していた。
市街地は、前身自治体「旧ウラジミロフカ村」中心市街地(北豊原地区)より南方9km先に(札幌市と同様)「碁盤の目」状の都市計画によって建設され、住居表示は東西が「条」、南北が「丁目」となっていた。ほぼ東西に走る真岡通り(現サハリーンスカヤ通り)とほぼ南北に走る豊原大通り(現レーニナ通り)との交点が座標平面の原点に当たる。
旧ソ連およびロシアによる武力侵攻および実効支配以降、東西南北に配置されている各通りの名称は、下記の通りに変遷している。
ユジノサハリンスク市執行委員会により、1954年1月に13箇所、1956年10月に30箇所、1957年5月に約70箇所以上、その他、顕彰対象者の出現により随時、通りの名称が改称されている[1]。
亜寒帯湿潤気候(湿潤大陸性気候)(Dfb)。夏は日最高平均20.3℃で比較的涼しく、霧が多発する。年間降水量は比較的多く、冬は日最高平均-5.2℃、日最低平均-15.8℃と厳寒。
豊原(参考:ユジノサハリンスク (1991-2020))の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 4.3 (39.7) |
7.1 (44.8) |
13.0 (55.4) |
22.9 (73.2) |
29.6 (85.3) |
30.8 (87.4) |
34.4 (93.9) |
34.7 (94.5) |
29.0 (84.2) |
23.5 (74.3) |
18.1 (64.6) |
8.4 (47.1) |
34.7 (94.5) |
平均最高気温 °C (°F) | −6.0 (21.2) |
−4.8 (23.4) |
0.2 (32.4) |
6.9 (44.4) |
13.8 (56.8) |
17.7 (63.9) |
21.0 (69.8) |
22.3 (72.1) |
19.4 (66.9) |
12.5 (54.5) |
3.5 (38.3) |
−3.5 (25.7) |
8.58 (47.45) |
日平均気温 °C (°F) | −11.5 (11.3) |
−11.2 (11.8) |
−5.2 (22.6) |
1.7 (35.1) |
7.5 (45.5) |
11.9 (53.4) |
15.9 (60.6) |
17.3 (63.1) |
13.5 (56.3) |
6.7 (44.1) |
−1.2 (29.8) |
−8.5 (16.7) |
3.08 (37.53) |
平均最低気温 °C (°F) | −16.6 (2.1) |
−17.2 (1) |
−10.4 (13.3) |
−2.6 (27.3) |
2.7 (36.9) |
7.7 (45.9) |
12.3 (54.1) |
13.5 (56.3) |
8.7 (47.7) |
1.8 (35.2) |
−5.2 (22.6) |
−13.2 (8.2) |
−1.54 (29.22) |
最低気温記録 °C (°F) | −36.2 (−33.2) |
−34.8 (−30.6) |
−30.5 (−22.9) |
−25.2 (−13.4) |
−6.2 (20.8) |
−2.1 (28.2) |
1.3 (34.3) |
3.6 (38.5) |
−4.2 (24.4) |
−11.8 (10.8) |
−25.7 (−14.3) |
−33.5 (−28.3) |
−36.2 (−33.2) |
降水量 mm (inch) | 56 (2.2) |
38 (1.5) |
52 (2.05) |
57 (2.24) |
66 (2.6) |
64 (2.52) |
92 (3.62) |
107 (4.21) |
102 (4.02) |
102 (4.02) |
75 (2.95) |
71 (2.8) |
882 (34.73) |
平均降雨日数 | 0.3 | 0.4 | 2 | 10 | 17 | 17 | 20 | 19 | 19 | 19 | 9 | 2 | 134.7 |
平均降雪日数 | 25 | 24 | 24 | 13 | 3 | 0.1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 20 | 27 | 140.1 |
% 湿度 | 83 | 81 | 78 | 76 | 77 | 83 | 86 | 87 | 83 | 80 | 81 | 83 | 81.5 |
平均月間日照時間 | 129 | 153 | 181 | 191 | 197 | 198 | 165 | 149 | 187 | 160 | 116 | 102 | 1,928 |
出典1:Погода и климат[6] | |||||||||||||
出典2:NOAA (sun only, 1961-1990)[7] |
樺太が日本領に編入されて以降、樺太には府県に相当する広域の自治体が設置されず、日本政府が中央省庁の一として樺太庁を設置して樺太の地方政治と地方行政を実施してきた。府県の範囲では国の直轄であったものの、市町村としては民選の豊原市長(豊原町長)が首長を務める法人格を有する自治体が設置された。豊原は自治体として豊原町から豊原市に至る変遷を経ている。
樺太全域としては日本政府が直接に「樺太庁」を設置したため、議会は設置されなかった。豊原市および前身となる豊原町では地方議会である「豊原市会」(豊原町会)が設置されていた。
裁判所の管轄は樺太地方裁判所と豊原区裁判所に属していた。
後継自治体「ユジノサハリンスク市」の「孤児院および孤児支援機関」については、「ユジノサハリンスク#孤児院および孤児支援機関」を参照の事。
以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[20]。
後述の「スモレンスク聖堂」を小学校の臨時校舎として使用していた時期も存在していた。
「解説HP」も参照の事。
1947年(昭和22年)、ソ連科学アカデミーサハリン科学研究基地に所属する複数の研究者により、景徳寺および樺太神社を「日本の宗教の重要な歴史的記念物」として同科学研究基地で保全管理出来る様、サハリン州ソビエト執行委員会に対し移管要請したが取り合ってもらえず、その後、これら二施設は破壊された[40]。
1948年(昭和23年)、樺太護国神社の本殿など境内の全建物が解体撤去される[41]。
1960年代(昭和30年代後半~昭和40年代前半)、フルシチョフカ様式アパート群および駐車場の建設に伴い、北辰神社境内環境の撤去および境内を流れていた鈴谷川(現ススヤ川)支流が埋め立てられ、消失する[42]。
2000年代半ば(平成17年頃)前後および2010年代半ば(平成27年頃)前後に、神奈川大学が、現地で現況を調査し、論文をまとめている[43][44]。
2004年、北海道大学による「北海道大学グローバルCOEプログラム」の一環として、旧南樺太地域の神社跡地における現地調査を実施。戦前・戦後の関連資料収集・整理および2100枚におよぶスライド撮影画像を26枚の調査シートにまとめデータベース化している[45]。
その他、下記研究論文が作成されている。
豊原市には、日本国籍に帰化した在日ロシア人やロシア革命・共産主義を嫌って無国籍のまま政治亡命・滞在中の白系ロシア人など残留ロシア人も在住していた。その他、「ヌツァ・アイヌ(「ロシア・アイヌ」のアイヌ語訳)」とアイヌ系日本人全般から侮蔑され少数派だったロシア正教信奉アイヌ系日本人や仏教から改宗した日本人などが僅かに存在していたとされる。
日本が日露戦争に勝利して南樺太を領有する以前から、流刑犯として強制移住させられていたポーランド系ロシア人(主にポーランド独立運動参加者。「ポーランド独立運動」の詳細については「ポーランド立憲王国#ウィーン体制の動揺とロシアの専制政治」および「ポーランド#独立運動の時代」および「在日ポーランド人#歴史」参照の事)および(ポーランド以外の)カトリック圏から諸般の事情でロシア帝国に移住の後に政治犯扱いされ流刑された諸外国人など。
後身自治体「ユジノサハリンスク市」と所縁のある人物については、「ユジノサハリンスク#ユジノサハリンスク市と所縁のある人物」を参照の事。
後身自治体「ユジノサハリンスク市」の名産品については、「ユジノサハリンスク#名産・特産」を参照の事。
後身自治体「ユジノサハリンスク市」を扱った作品・番組については、「ユジノサハリンスク#ユジノサハリンスク市を扱った作品・番組」を参照の事。
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