雨森芳洲
江戸時代中期の儒者 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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雨森 芳洲(あめのもり ほうしゅう、寛文8年5月17日(1668年6月26日) - 宝暦5年1月6日(1755年2月16日)[1])は、江戸時代中期の儒者。諱は俊良、のち誠清(のぶきよ)、通称は藤五郎・東五郎、号は芳洲、字を伯陽、漢名として雨森東を名乗った。中国語、朝鮮語に通じ、対馬藩に仕えて李氏朝鮮との通好実務にも携わった[2]。新井白石・室鳩巣ともに木下門下の五先生や十哲の1人に数えられた。