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高橋伴明

日本の映画監督、脚本家 (1949-) ウィキペディアから

高橋伴明
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高橋 伴明(たかはし ばんめい、1949年昭和24年〉5月10日 - )は、日本映画監督実業家。ブロウアップ代表取締役脚本家として剣山象、高橋伴の名義で活動したこともある。

概要 たかはし ばんめい 高橋 伴明, 本名 ...
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来歴・人物

要約
視点

奈良県奈良市出身[1]華道の家に生まれ、本名は"ともあき"と読む[2]東大寺学園高校卒業後、早稲田大学第二文学部に入学。映画研究会に入り[2]渡辺護監督らのピンク映画の現場でアルバイト生活を送る。同時に学生運動にも身を入れ、第二次早稲田大学闘争に参加したことで、大学を除籍されて中退した[2]

1972年、『婦女暴行脱走犯』で監督デビューするが[1]プロデューサーと対立、一時は映画界を離れた[2]

1973年小林悟とともに東活に入り製作業務に携わる。

1976年若松孝二プロデュースによる『非行記録・少女売春』で監督に復帰した[2]

1979年、高橋プロを設立[2]。50数本のピンク映画を発表し、中村幻児とともにピンク映画界のニューウェーブとして注目される[2]

1982年大阪市で1979年に発生した三菱銀行人質事件をモデルにした『TATTOO<刺青>あり』で初となる一般映画を監督[2]キネマ旬報ベストテンの6位[2]ヨコハマ映画祭監督賞を受賞。同年には、長谷川和彦の呼びかけに応じ、ディレクターズ・カンパニー(ディレカン)にも参加。以後、ディレカンを拠点に記録映画『ザ・力道山』など新たなジャンルに挑んでいった[2]

1984年公開の『逆噴射家族』(原案・脚本:小林よしのり、監督:石井聰亙)にてプロデューサーを務めた。

1988年ストーカーにつきまとわれる女性を高橋惠子が演じた『DOOR』を監督した。ディレカン公募脚本による自身唯一のホラー映画である。社内における話し合いの際「誰が撮る?」という問いかけに挙手がなく、「愛社精神のある僕に回ってきた(笑)」という[3]

1990年東映Vシネマで発表した『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜』では、東映上層部の反対を押し切り、のちに「Vシネの帝王」と呼ばれる、まだ無名だった哀川翔を主演に抜擢[4][5]。同作品は高く評価され、オリジナルビデオ市場拡大の起爆剤となった[6]

2007年4月、映画学科を新設した京都造形芸術大学に招かれ[7]、教授・映画学科長を務めた(2016年3月末に退く[8])。

2015年、『赤い玉、』が第39回モントリオール世界映画祭(8月27日から9月7日まで開催)のワールド・グレイツ部門に出品される[9]

2020年在宅医療を題材にした『痛くない死に方』を発表し、同年度の山路ふみ子福祉賞を受賞。

2022年渋谷ホームレス殺人事件をモチーフとした『夜明けまでバス停で』が、同年度キネマ旬報ベスト・テンにおいて日本映画第3位および、日本映画監督賞受賞。第77回毎日映画コンクールにおいて日本映画優秀賞を受賞。

高橋は、1960年代のピンク映画黎明期に台頭した若松孝二に続き、1970年代のピンク発展期を支えた監督のひとりである[2]。膨大な数のピンク映画を量産しつつアナーキーな映画作りを身につけ、1980年代に入ると井筒和幸と並んで一般映画進出の先陣を切った[2]。これにより滝田洋二郎などピンク系の後身に、撮影所を経ずに一般映画を撮る道を示した[2]周防正行磯村一路米田彰水谷俊之福岡芳穂瀧本智行青島武などは、高橋組門下である。

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親族

『TATTOO<刺青>あり』でヒロインを演じた関根恵子と結婚[2]大島渚小山明子夫妻が仲人を務めた[10]秋山佑奈は娘。

作品

テレビアニメ

映画

テレビドラマ

オリジナルビデオ

ビデオ作品

  • 1985年ANDREE MARLRAU LIVE/萩原健一』(Laser Disc/VHS。のちにDVD)

出演

脚注

参考文献

外部リンク

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