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以下は、メジャーリーグベースボール(MLB)における1938年のできごとを記す。
1938年4月18日に開幕し10月9日に全日程を終え、ナショナルリーグはシカゴ・カブスが3年ぶり15度目のリーグ優勝で、アメリカンリーグはニューヨーク・ヤンキースが3年連続10度目のリーグ優勝を飾った。
ワールドシリーズはニューヨーク・ヤンキースがシカゴ・カブスを4勝0敗で破り7度目のシリーズ制覇となった。
1937年のメジャーリーグベースボール - 1938年のメジャーリーグベースボール - 1939年のメジャーリーグベースボール
アメリカンリーグのヤンキースは、ルー・ゲーリッグ一塁手はレギュラー入りした1925年に打率.295で翌1926年から1937年まで12年連続3割を打っていたのがこの年に打率.295・本塁打29本・安打170本と不調であったが、ジョー・ディマジオ外野手が打率.324で主軸打者として活躍し、これにフランキー・クロセッティ遊撃手、レッド・ロルフ三塁手、ジョージ・セルカーク外野手、トミー・ヘンリック外野手、ビル・ディッキー捕手とともに新人ジョー・ゴードン二塁手が加わり、ゴードンが本塁打25本・打点97、ヘンリックが本塁打22本を打って、ゲーリッグの不調をカバーした。投手陣はレフティ・ゴメス(18勝)、レッド・ラフィング(21勝)の左右のエースが好調で、これにモンテ・ピアソンがいてヤンキースがリーグ3連覇した。
ナショナルリーグはピッツバーグ・パイレーツと競り合っていたシカゴ・カブスが、終盤の直接対決で同点でこの年の途中から選手兼任で監督を務めていたギャビー・ハートネットが9回裏2死から夕闇迫るレフトスタンドに後に「黄昏のホームラン」と呼ばれるサヨナラホームランを打ち、カブスが優勝した。投手陣にビル・リー(20勝で最多勝、最優秀防御率2.66) 、クレイ・ブライアント (最多奪三振135)がいて、打者はスタン・ハックとレイノルズがいた。
しかしワールドシリーズはヤンキースの一方的な展開でレッド・ラフィングが2試合登板で完投勝利(2勝)し、ピアソンも完投で1勝し4連勝であっさりと勝ち上がった。
この年6月11日、 シンシナティ・レッズの左腕ジョニー・ヴァンダー・ミーア投手は、地元クロスリー・フィールドでのボストン・ビーズ(後のブレーブス)戦でノーヒットノーランで3-0で勝利を収めた。4日後の6月15日にブルックリンのエベッツ・フィールドでのブルックリン・ドジャース戦で再びノーヒットノーランで6-0で勝利投手となった。この日はブルックリンの本拠地エベッツ・フィールドの初ナイターの日であった。11日のボストン・ビーズ戦は与四球3・奪三振4で、15日のブルックリン・ドジャース戦は与四球8・奪三振7で、二試合目の9回裏2アウトから打席に立ったのは、後に監督になったレオ・ドローチャーでセンターフライに終わった。この二試合連続ノーヒッターは史上初であるとともに現在では達成が不可能とされている。
アメリカンリーグ
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ナショナルリーグ
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10/5 – | ヤンキース | 3 | - | 1 | カブス | |
10/6 – | ヤンキース | 6 | - | 3 | カブス | |
10/8 – | カブス | 2 | - | 5 | ヤンキース | |
10/9 – | カブス | 3 | - | 8 | ヤンキース |
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