1972年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ
メジャーリーグベースボールの第4回アメリカンリーグ優勝決定シリーズ / ウィキペディア フリーな encyclopedia
1972年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)のポストシーズンは10月7日に開幕した。アメリカンリーグの第4回リーグチャンピオンシップシリーズ(4th American League Championship Series、以下「リーグ優勝決定戦」と表記)は、同日から12日にかけて計5試合が開催された。その結果、オークランド・アスレチックス(西地区)がデトロイト・タイガース(東地区)を3勝2敗で下し、41年ぶり10回目のリーグ優勝および9回目のワールドシリーズ進出を果たした。アスレチックスは、1931年の前回リーグ優勝時はペンシルベニア州フィラデルフィアを本拠地としていたため、カリフォルニア州オークランドへ移転してからはこれが5年目での初優勝である[注 1][1]。
概要
1972年のアメリカンリーグ チャンピオンシップシリーズ | |||||||
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シリーズ情報 | |||||||
試合日程 | 10月7日–12日 | ||||||
観客動員 | 5試合合計:18万9681人 1試合平均:03万7936人 | ||||||
殿堂表彰者 | ディック・ウィリアムズ(OAK監督) ローリー・フィンガーズ(OAK投手) キャットフィッシュ・ハンター(OAK投手) レジー・ジャクソン(OAK外野手) アル・ケーライン(DET外野手) ネスター・チャイラク(審判員) | ||||||
チーム情報 | |||||||
オークランド・アスレチックス(OAK) | |||||||
シリーズ出場 | 2年連続2回目 | ||||||
GM | チャーリー・O・フィンリー | ||||||
監督 | ディック・ウィリアムズ | ||||||
シーズン成績 | 93勝62敗・勝率.600 西地区優勝 | ||||||
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デトロイト・タイガース(DET) | |||||||
シリーズ出場 | シリーズ開始4年目で初 | ||||||
GM | ジム・キャンベル | ||||||
監督 | ビリー・マーチン | ||||||
シーズン成績 | 86勝70敗・勝率.551 東地区優勝 | ||||||
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ワールドシリーズ |
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レギュラーシーズンでは両球団は12試合対戦し、アスレチックスが8勝4敗と勝ち越していた[2]。今シリーズの第2戦では、7回裏にアスレチックスの先頭打者バート・キャンパネリスがタイガースの救援投手レリン・ラグローから死球を受けて激昂、ラグローへ向けてバットを投げつける事件が発生した。両者は直ちに退場させられ、さらにキャンパネリスには今シリーズ残り試合と翌1973年シーズン開幕から7試合の出場停止、罰金500ドルの処分が下された[3]。このあとアスレチックスは、ワールドシリーズでもナショナルリーグ王者シンシナティ・レッズを4勝3敗で下し、42年ぶり6度目の優勝を成し遂げた。