1980年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ
メジャーリーグベースボールの第12回ナショナルリーグ優勝決定シリーズ / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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1980年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)のポストシーズンは10月7日に開幕した。ナショナルリーグの第12回リーグチャンピオンシップシリーズ(12th National League Championship Series、以下「リーグ優勝決定戦」と表記)は、同日から12日にかけて計5試合が開催された。その結果、フィラデルフィア・フィリーズ(東地区)がヒューストン・アストロズ(西地区)を3勝2敗で下し、30年ぶり3回目のリーグ優勝およびワールドシリーズ進出を果たした。
1980年のナショナルリーグ チャンピオンシップシリーズ | |||||||
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シリーズ情報 | |||||||
試合日程 | 10月7日–12日 | ||||||
観客動員 | 5試合合計:26万4950人 1試合平均:05万2990人 | ||||||
MVP | マニー・トリーヨ(PHI) | ||||||
殿堂表彰者 | スティーブ・カールトン(PHI投手) マイク・シュミット(PHI内野手) ジョー・モーガン(HOU内野手) ノーラン・ライアン(HOU投手) ダグ・ハーヴェイ(審判員) | ||||||
チーム情報 | |||||||
フィラデルフィア・フィリーズ(PHI) | |||||||
シリーズ出場 | 2年ぶり4回目 | ||||||
GM | ポール・オーウェンズ | ||||||
監督 | ダラス・グリーン | ||||||
シーズン成績 | 91勝71敗・勝率.562 東地区優勝 | ||||||
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ヒューストン・アストロズ(HOU) | |||||||
シリーズ出場 | シリーズ開始12年目で初 | ||||||
GM | タル・スミス | ||||||
監督 | ビル・バードン | ||||||
シーズン成績 | 93勝70敗・勝率.571 西地区優勝 | ||||||
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ワールドシリーズ |
この年のレギュラーシーズンでは両球団は12試合対戦し、フィリーズが9勝3敗と勝ち越していた[1]。アストロズにとって今シリーズは、球団創設19年目で初めて出場したポストシーズンのシリーズである[2]。今シリーズは、ビハインドのチームが同点に追いつくか逆転した回数(10)と延長戦の数(4)でポストシーズン史上最多を記録した[注 1][3]。アストロズは第4戦・第5戦ともに初のリーグ優勝まであとアウト6つに迫ったが、フィリーズはいずれの試合でも延長戦の末に勝利して逆転でリーグ優勝を果たした[4]。1勝2敗と追い詰められたあとに敵地で連勝して逆転でシリーズを制するのは、1977年アメリカンリーグのニューヨーク・ヤンキースに次いで、フィリーズがリーグ優勝決定戦史上2球団目である[5]。シリーズMVPには、最終第5戦の8回表に一時勝ち越しの2点三塁打を放つなど、5試合で打率.381・4打点・OPS.935という成績を残したフィリーズのマニー・トリーヨが選出された。このあとフィリーズは、ワールドシリーズでもアメリカンリーグ王者カンザスシティ・ロイヤルズを4勝2敗で下し、球団創設98年目で初の優勝を成し遂げた。