1981年のテレビ(1981ねんのテレビ)では、1981年(昭和56年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。
- 4月1日 - テレビ新潟放送網(サービス放送及び音声多重放送開始は3月25日)
- 10月1日 - 福島放送(同時に、音声多重放送も開始。)
番組
- 放送開始25周年
- 放送開始20周年
- 放送開始15周年
- 放送開始10周年
- 放送開始5周年
(※関東地区、ビデオリサーチ調べ)
ニュース・報道
- ニュース(NHK総合、12月31日 20:55-21:00)42.5%
- JNNフラッシュニュース(TBS、2月28日 20:55-21:00)40.2%
- ニュース(NHK総合、1月10日 8:30-8:40)36.4%
テレビドラマ
TBS系
- スペシャルドラマ
- TBS開局30周年記念特別企画 関ヶ原 - 1月2日、3日、4日
宇津井健、夏目雅子、関口宏、三浦浩一、木内みどり、小野みゆき、有吉真知子、あき竹城、阪上和子、えりかわ恵子、山田邦子、大畑ゆかり、速水陽子、津賀有子、新井瑞、梶芽衣子、柄本明、山田辰夫、蟹江敬三、紀比呂子、伴淳三郎、川崎麻世、甲斐智枝美、津川雅彦、山岡久乃
スポーツ番組
- 辰徳スペシャル(日本テレビ) - 『おてんば宇宙人』打ち切りによる編成。
既存番組の音声多重化
2音声多重放送化
- NNN昼のニュース(日本テレビ)- 1月23日から。副音声は、放送中のニュースの解説を放送。[1]
- NNN JUST NEWS(日本テレビ)- 1月23日から。副音声は、放送中のニュースの解説を放送。[1][2]
- 東京証券取引所の第一部市況(東京12チャンネル)- 2月から。副音声は、同取引所の第二部市況を放送。[2]
- 夕やけロンちゃん(TBS)- 2月16日から。副音声は、番組冒頭の天気予報の詳しいデータを5分間にまとめ、それを3回繰り返して放送。[2]
- プロ野球中継
- 日本テレビ - 3月26日放送から一部のゲームにて実施。副音声は別実況。[6]
- フジテレビ系列 - この年から多くのゲーム中継にて、副音声で「やじうま応援合戦」等を放送。
- 演歌の花道(東京12チャンネル → テレビ東京)- 副音声は歌なしのカラオケを放送。[2]
- 「テレビカルサマー8チャンネル」(フジテレビ、7月)- 夏のキャンペーン
- 「楽しくなければテレビじゃない」(フジテレビ、10月)- 秋のキャンペーン。以後、フジテレビの代名詞として有名となる。
- 日本放送協会総合放送文化研究所 放送史編修部 編『NHK年鑑'81』日本放送出版協会、1981年9月25日。
- 日本放送協会総合放送文化研究所 放送史編修部 編『NHK年鑑'82』日本放送出版協会、1982年9月25日。
- 日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑'81』コーケン出版、1981年11月。
- 日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑'82』コーケン出版、1982年11月。
- テレビドラマデータベース
- ビデオリサーチホームページ
など
注釈
主音声は従来のまま、副音声は主音声で伝えているニュースに関連した内容を伝える解説放送。
主音声は従来の実況で、副音声は阪神ファン向けの実況及び解説となっており、この日の副音声は、解説が村山実、実況は読売テレビのアナウンサーが担当している。
小林は司会の土居まさるから「おっかさん」と呼ばれ、視聴者からも「おっかさん」の愛称で親しまれた。
オープニングクイズ:「テクニカル・著名人顔当てクイズ」、出題パート1:「2分割クイズ」、出題パート2:「4分割クイズ」、出題パート3:「テクニカル・動画当てクイズ」、出題パート4:「テクニカル・物当てクイズ」、出題パート5:「16分割クイズ」[9]。
最終回は1981年6月25日に収録された試合であった。
これにより、それまでこの枠で東西同時ネットだったテレビアニメ『新竹取物語 1000年女王』(フジテレビ制作)は、関西テレビでは月曜19:00に移動した(フジテレビで月曜19:00放送の『釣りキチ三平』は別枠で放送)が、『阪急ドラマ』の同時ネット復活により、次作『パタリロ!』(フジテレビ制作)は再び木曜19:00の同時ネットに戻った。
2016年2月8日放送分で、11代目くいしん坊・松岡修造(プロテニスプレーヤー、タレント)に抜かれる[13] まで約34年間歴代1位だった。
2音声多重放送の副音声放送の条件は、放送中のテレビ番組と同時性があり、内容も関連していることである。又、災害に関する情報は、同時性・関連性が無くても認めている。
1973年に当時の「東京12チャンネルプロダクション」が財団の放送事業などを承継し「株式会社東京12チャンネル」(現在のテレビ東京)となり改めて「開局」した(つまり免許に関してはコールサインは同一でも厳密には継承されていない。政府郵政省による京浜地区の民放教育局(10チャンネルと12チャンネル)を廃止し、一般総合局(チャンネルは同じ)とするチャンネルプランの方針により、財団側が科学技術教育局としての免許を取り下げ「廃局」という形を取り、事業継承を受けた12チャンネルプロダクション側が一般局として申請し免許を獲得したため)
出典
読売新聞 1981年1月24日 朝刊 P.3 「「音声多重」の拡大利用を許可 テレビ番組一層多彩に」(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
朝日新聞 1981年2月20日 夕刊P.8「TVあらかると『音声多重放送 広がった利用わく』」(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
読売新聞 1981年3月1日 朝刊 P.24 テレビ・ラジオ欄(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部『NHK年鑑'81』日本放送出版協会、1981年、215頁。
日本民間放送連盟(編)「放送日誌(56年3月)」『月刊民放』第11巻第6号、日本民間放送連盟、1981年6月1日、50頁、NDLJP:3470946/26。
読売新聞 1981年3月26日 朝刊 P.24 テレビ・ラジオ欄 及び 記事「中継車『野球放送で音声多重 きょうから日本テレビ』」(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
読売新聞 1981年3月26日 朝刊 P.24 テレビ・ラジオ欄(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
「徹子の部屋 40th Anniversary Book」(ぴあ、2015年)
「デジタルTVガイド」2012年10月号、240頁
日本民間放送連盟(編)「民放界この1年―1981 放送行政 ラジオ番組 テレビ番組 視聴者の動向」『月刊民放』第11巻第12号、日本民間放送連盟、1981年12月1日、41 - 43頁、NDLJP:3470952/21。
日本民間放送連盟(編)「放送日誌(56年4月)」『月刊民放』第1巻第7号、日本民間放送連盟、1981年7月1日、52頁、NDLJP:3470947/27。
日本民間放送連盟(編)「放送日誌(56年10月)"」『月刊民放』第12巻第1号、日本民間放送連盟、1982年1月1日、52頁、NDLJP:3470953/27。
新潟日報 1981年7月1日朝刊 P.24 テレビ欄(新潟日報マイクロフィルム版で閲覧)
日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部『NHK年鑑'82』日本放送出版協会、1982年、28頁。
読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1981年3月8日付朝刊ラ・テ欄)より。
朝日新聞 1981年1月4日 朝刊 P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
朝日新聞 1981年3月1日 朝刊 P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
朝日新聞 1981年4月12日 朝刊 P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
朝日新聞 1981年4月4日 朝刊 P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
朝日新聞 1981年5月9日 朝刊 P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)