SHOCK
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『SHOCK』(ショック)は、KinKi Kidsの堂本光一が主演を務めるミュージカル作品シリーズ。2000年11月、『MILLENNIUM SHOCK』というタイトルで帝国劇場にて初演[1]。以後同劇場で毎年公演が行われ、2005年からは『Endless SHOCK』として名前と内容を一新し、2012年以降は博多座[2]、2013年以降は梅田芸術劇場でも上演されている[3]。
作・構成・演出はジャニー喜多川[1]。ただし2005年以降は光一自身が脚本・演出・音楽すべてを手掛けている[1]。少年隊主演のミュージカル『PLAYZONE'91 SHOCK』(1991年)を原型にしている[4]。
チケットは初演から21年間、全日程即日完売[5]。「もっともチケット入手が困難な舞台」とも言われる[2][6]。2020年公演終了時で319万7368人を動員[7]。
「Show must go on (ショー・マスト・ゴー・オン=何があってもshowを続けなければいけない)」をテーマに、ニューヨークのオフ・ブロードウェイで[8]ショーに出演する若者たちが、ブロードウェイでの成功を夢見て[9]挫折を乗り越え羽ばたく姿を描いた作品[10]。
堂本光一演じる主人公・コウイチは、常に頂点を目指し続ける若きエンターテイナー[3]。カンパニー(エンターテインメント集団)の中心となってショー作りに邁進し[9]、仲間と衝突や和解を繰り返しながら、最終的に心を一つにしていく。「自分自身と“コウイチ”は全く違う人間」と光一は語っているが、多少の怪我やアクシデントをものともせず、ステージや仕事に対して妥協をしない姿勢は共通している。本人は、この作品の上演を続けることで、自分自身にもそのような精神が培われたとも話している[要出典]。
「言葉が分からなくても、“すごいね!”と思ってもらえるものを作る」というジャニー喜多川の演出で始まったため[11]、歌やダンスはもちろん、パーカッション、日本やスペインの風物を織り込んだ劇中劇、イリュージョン[8]、帝国劇場で初めて導入されたフライング[2]、4.8メートル22段の高さからの階段落ち[12]など、当初は派手な演出を重視していた[9]。しかし俳優側からはもっと伝えたいことがあると考えた光一は、ストーリーを含め全てを変更したい旨を伝える[11]。そしてジャニー喜多川から「YOUの好きにやりなさい。」という言葉をもらい[11]、2005年からは実質的に光一が脚本・演出・音楽を手掛けるようになる[1]。それまでの派手な演出はストーリーの中に組み込まれ、登場人物の生き様として表現されるようになった[9]。ポスター等の表面上はその後もあえて「作・構成・演出 ジャニー喜多川」と記載しているが、そのことがさらに「ジャニーさんの名前を傷つけちゃいけない」「ジャニーさんにNOと言われるものは作ってはいけない」という意識を高めているという[11]。しかしクライマックスで披露される「夜の海」という曲についてだけは、ジャニー喜多川に「こんな暗い曲をラストに使用するなんて、信じられない!」と言われながらも「ここでぶつかっておかなければいつまでもジャニーさんを越えられない」と考え、「絶対良いシーンになると思うからやらせて」と意見を曲げず取り入れ[11]、以降のSHOCKでも外せないシーンとなった[1]。
「SHOCK」のロゴはジャニー喜多川によって書かれたものである[13]。
2006年の『Endless SHOCK』で終了し、2007年からは光一が演出・構成・主演を務める新作舞台を上演する予定だったが、チケット14万枚に約208万件の応募が殺到した状況を受け、翌2007年の再演が決定した[14]。
2008年1月6日、通算500回公演を迎える[8]。2000年11月の初演から7年2か月での500回到達は、単独主演では97年の帝国劇場史上最速[15]。
2008年4月、『Endless SHOCK』の高い舞台成果に対して、スタッフ・出演者一同が第33回(2007年度)『菊田一夫演劇大賞』を受賞した[16]。
2009年3月12日の公演で通算上演回数が626回に達し、『屋根の上のバイオリン弾き』で森繁久彌が19年かけて樹立した帝国劇場での単独主演公演回数を8年5か月で23年ぶりに塗り替えた[17]。
2014年10月26日で通算上演回数が1208回に達し、松本幸四郎が『ラ・マンチャの男』でもつ1207回を抜いて単独主演ミュージカル上演回数で歴代1位となる[18]。同一演目単独主演舞台としても森光子の『放浪記』の2017回に次いで2位となった[18]。
2017年3月31日、上演1500回を達成する[19]。
2020年3月22日、スタッフやキャストの意向で公式Instagramによる一部演目のライブ配信が[20]2時間以上にわたって帝国劇場で行われた[21]。帝国劇場でのライブ配信は1911年の開業以来史上初めてで、視聴者は6万人を超えて注目を集めた[21]。
同年、初演の2000年から20年間『SHOCK』シリーズをけん引してきた功績が認められ、光一が第45回菊田一夫演劇賞大賞を受賞[22]。
同年9月15日から10月12日に、スピンオフ公演として『Endless SHOCK-Eternal-』が大阪・梅田芸術劇場で上演された[23]。このスピンオフ版は当初、シリーズの通算上演回数には含まないとされていたが[23]、紛れもなく「SHOCK」シリーズであるとの声もあり、2021年2月・3月の帝国劇場公演製作発表時に、2020年の大阪公演もさかのぼって通算公演回数に加算されること[24]、今後も通算回数としてカウントしていくことが発表された[25]。
2021年、『Endless SHOCK』が映画化された[25]。
2024年の公演をもって光一主演の「SHOCK」シリーズの上演を終了することが発表された。帝国劇場が2025年2月をもって建て替えのために休館すること、光一が25歳ごろに作り、年齢設定も同じぐらいであったため、45歳となる2024年が良いタイミングであると考えたことなどを理由としている[26]。
事件・事故
2008年1月23日昼公演で、開始直後に舞台装置のコンピューター制御に不具合が生じ[27]、暗転幕とオーケストラピットが上がらなくなり、公演が中断[10]。復旧を目指したが、30分後に劇場側が公演継続を断念し、初めての中止が決定した[10]。中止決定後は劇場支配人がまずその旨を伝え、光一が登壇して直接謝罪[10]。その後共演者8人で舞台上から観客の最後の1人が会場を出るまで見送った[10]。なお、中止となった昼公演は2月17日に振り替えられ、夜公演は予定通り行われた[10]。
2011年3月11日昼公演の幕間に東北地方太平洋沖地震が発生。観客は皇居前広場へ避難する事態となり、そのまま11日の公演は中止された[28]。上演されていれば800回の記念公演となるはずだった[29]。翌12日の公演も中止[30]。13日朝の時点では13日の2公演は行うと発表され、開場して観客も入れていたが[29]、開演30分前になって急きょ2公演共に中止が決定[31]。ジャニーズ事務所の関係者が登壇し、安全面に配慮しての中止を説明した後[29]、光一本人も登壇して観客へ謝罪しお見送りを行った[31]。東宝関係者は、セットなどをつるす「バトン」と呼ばれる装置が損傷していたことを明かしている[31]。その後14日の公演も中止となり[32]、15日になって16日から千秋楽までの全公演(28公演[5])の中止を発表した[33]。フライングシーンの多い本作を、余震の続く中で上演し続けるのは安全でないとの判断からであった[33]。
2015年3月19日の13時公演上演中、重さが約650kgある舞台セットのLEDパネルが倒れ、ジャニーズJr.の岸孝良[34]、ダンサー2人とアクロバット俳優2人、スタッフ1名の計6名が負傷する事故が発生[35][注 1]。事故は15時50分頃の堂本が袖に退いた後のダンスシーンで起こり、LEDパネル6枚中上手の2枚がスタッフが手動で動かしている最中に舞台中央に向かってゆっくり倒れた[38][39]。その後、緞帳が下りて中断の後、緞帳前に光一が舞台衣装のまま登場し、セットの不具合があり舞台を続行できない旨の謝罪の挨拶をもってそのまま中止となり[38]、その後の18時公演も中止となった[40]。公演は翌日20日の18時公演からLEDパネルの使用中止及び演目の一部変更を行った上で再開された。冒頭5分、舞台に立った光一は「絶対にあってはならないこと」と謝罪し、改めて安全確認をしながらリハーサルを行ったことを説明[41]。事故翌日から幕を開けることには賛否両論あり悩んだものの、休演することになった4人に背中を押されたことや[42]、劇中で"Show must go on"の精神を伝えているのと同様に、起こってしまったことを受け止めつつも前に進むことの大切さを伝えたいと考え、公演を続けるという決断を下したことを観客に伝えた[43]。同年5月20日、東宝は事故の原因が舞台床面の一部不具合による傾きであったことや、これについては補強工事を予定していること、念のため今後も移動式LEDパネルは使用しない旨の公式コメントを発表した[44]。
同年9月17日、オーナー役で出演中の前田美波里が宿泊中のホテルから徒歩で梅田芸術劇場へ向かう最中に転倒し、左肩を骨折[45]。その日の昼と夜の部は出演したものの[45]、翌18日夜公演からの大阪公演と10月に博多座で行われる福岡公演の降板を発表した[46]。前田は17日夜公演後に入院し、全治1か月半の診断を受けた[47]。代役には2009年から2012年までオーナー役を演じていた植草克秀が急遽抜擢された[47]。17日の夕方にジャニー喜多川や光一から直接出演依頼があり[48]、18日正午頃に大阪入り[47]。その後キャスト全員で約4時間ほどの稽古の後に本番を迎え[48]、3年のブランクを感じさせない演技を披露した[49]。
2020年、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、政府の感染症対策本部の方針に鑑み、2月28日夜公演より、3月10日公演までの休演が発表された[50]。3月11日より公演が再開される予定だったが、15日までの延長[51]、さらに、政府の新たな自粛要請を鑑み、16日から19日までの休演が発表された[52]。20日よりサーモグラフィーの設置、劇場内の換気強化等の対策を講じ再開するとしていたが[53]、20日の公演は当日に急遽中止が発表され[54]、さらに政府の対策本部会合後の午後8時に21日から31日までの全公演(計41公演[55])の休演が発表された[56]。休演により3月31日(千秋楽)に予定されていた1800回記念公演は持ち越しとなった[57]。なお、3月21日にフジテレビ系列にて放送した『緊急生放送! FNS音楽特別番組 春は必ず来る[注 2]』にて、19日にショーを事前収録した上で披露した[59][60]。
読みは「ミレニアム・ショック」[61]。「お客さまに2分に一度のショックを与えたい」と、世界的に活躍するフランツ・ハーラレイ(英語版)が演出協力を行い、製作費は10億を超える[61]。帝劇史上初の抽選発売が行われたが、計38公演の入場券7万枚に対して80万通の応募があり、競争率は11.4倍となった[62]。
公演時間は2時間45分[63]。最後のショータイムでは光一の「夏の王様」、今井の「踊り子」、赤坂の「スキヤキ」、メインキャスト4人で「アンダルシアに憧れて」などが披露された[63]。
ストーリーは少年隊主演の舞台『PLAYZONE'90 MASK』、『PLAYZONE'91 SHOCK』と光一自身の主演舞台『SHOW劇'99 MASK』のオリジナルストーリーから抜粋したものとなっている[64]。
- 公演期間
- ストーリー
- この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。
- 旅から旅へと公演を続けるカンパニーのリーダー・コウイチは、メンバー・ツバサの怪我を顧みず公演を行ったことで、ツバサ、アキラをはじめとするメンバー達との間に軋轢を生じてしまう。そんな時、3年前に亡くなったコウイチの兄の因縁の地であるブロードウェイの、とあるシアターから公演の誘いがかかる。周囲の反対を押してブロードウェイに渡ったコウイチの前に、亡き兄の友人だという謎の人物が現れて…。
- 出演
- コウイチ[13] - 堂本光一:亡くなった兄に代わり夢の実現を目指す青年[63]
- 東山紀之:ブロードウェーで命を絶った兄[63]
- ツバサ[13] - 今井翼:事故で舞台への夢を失い、心を閉ざす義理の弟[63]
- 赤坂晃:ライバル[63]
- 鈴木ほのか[65]:コウイチの義姉(東山の妻)[13]
- 篠井英介[65]
- Musical Academy[66][64]
- Musical Academy Osaka[MAO][64]
- Musical Academy Dancing[MAD][64]
- Johnny's Jr.(交互出演)[64]
読みは「ショーゲキ・ショック」。「衝撃」とかけている。「ショー・劇『SHOCK』」や[65]「SHOW・劇『SHOCK』」[74]と表記されることもある。
6月公演では7万枚のチケットに24倍の申し込みが殺到し、帝劇では過去最高の人気公演の記録を更新した[75]。
年を跨いでの公演だったが、12月公演は劇中劇で『忠臣蔵』を上演していたものの、ジャニー喜多川が12月のKinKi Kidsのコンサート期間中に「1月に“忠臣蔵”やるのはおかしいよ」と言い始めたため、急きょ集まって稽古し、1月公演は『新撰組』を上演した[76]。
- 公演期間
- ストーリー
- この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。
- 亡き兄の遺志を継ぎ、日々「Show must go on」を胸にショーを続けているコウイチ。公演が好評を博して、ブロードウェイの大劇場『インペリアル・ガーデン・シアター』から誘われる。そこが兄の亡くなった地であること、興行中の不慮の事故でダンサーとしての将来を断たれたツバサを置いて行くことに対して周囲から猛反対を受けるが、コウイチは兄の元妻のサキホ、サキホの現夫のタク、失意のツバサを置いてニューヨークへ渡る。そこには様々なトラブルが待っていて…。
- 出演
- 12月公演
- コウイチ[74] - 堂本光一[13]:兄に代わり、夢を叶えようとする青年[74]
- ツバサ[78] - 今井翼[13][79] :コウイチの義弟[77]。バイク事故にあってしまう[77]。
- サキホ[78] - 樹里咲穂[13]:ツバサの姉でコウイチの兄の元妻[78]。タクと再婚している[78]。
- 錦戸亮[66][13][79]:サキホの息子[78]
- 今拓哉[13]:サキホの今の夫[78]で、カンパニーのマネージャー[13]。
- Musical Academy[66]
- KAT-TUN[66][13][注 5]
- 風間俊介[13][79]
- Jr.Special[66]
- 五関晃一[66][83][13]
- 戸塚祥太[83]、河合郁人[83]、塚田僚一[83]
- J-Support[66]
- 島田直樹[79]、萩原幸人[79]、宮城俊太[79]、福田悠太[注 7]、草野博紀[79]、横尾渉[79]、飯田恭平[79]、武内幸太朗[79]
- 6月公演[85]
読みは「ショック・イズ・リアル・ショック」[94]。2か月48公演(14万144席)に172万件の応募があり、1席あたり12.27倍の競争率となった[94]。
2幕・ブロードウェイで上演する演目がよりショーアップされた「World Adventure」に変更された[95]。
- 公演期間
- 2003年1月8日 - 2月25日、帝国劇場(全76公演)、14万144人動員。[7]
- ストーリー
- 『SHOW劇・SHOCK』とほぼ同じだが、キャスト変更に伴う登場人物名の変更(基本的に登場人物は演者の名前であるため)や黒幕の人物の変更などがある。
- 出演
読みは「ショッキング・ショック」。光一は公演直前の稽古中にフライングの着地に失敗し、頭を打って入院したため、開幕後の約1週間は病院から劇場に通ったことを2011年の公演中の舞台挨拶で初めて明かした[100]。