エラリー・クイーン
アメリカの推理小説作家 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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この項目では、推理作家について説明しています。この作家の推理小説に登場する同名の名探偵については「エラリー・クイーン (架空の探偵)」をご覧ください。 |
エラリー・クイーン (Ellery Queen) は、アメリカの推理作家、編集者である。早川書房では「エラリイ・クイーン」と表記する。
概要 エラリー・クイーンEllery Queen, ペンネーム ...
エラリー・クイーン Ellery Queen | |
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フレデリック・ダネイ(左)とミステリー作家ジェイムズ・ヤッフェ(1943年) | |
ペンネーム |
エラリー・クイーン (Ellery Queen) バーナビー・ロス (Barnaby Ross) |
誕生 | フレデリック・ダネイ、マンフレッド・ベニントン・リー |
国籍 | アメリカ合衆国 |
ジャンル | 推理小説 |
代表作 | 『Yの悲劇』(1932年) |
デビュー作 | 『ローマ帽子の謎』(1929年) |
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フレデリック・ダネイ(Frederic Dannay、1905年10月20日 - 1982年9月3日[1])とマンフレッド・ベニントン・リー(Manfred Bennington Lee、1905年1月11日 - 1971年4月3日[2])が探偵小説を書くために用いた筆名の一つ。ダネイとリーは従兄弟同士であり、ユダヤ系移民の子である。上記の彼らの個人名もそれぞれペンネームであり、ダネイの本名はダニエル・ネイサン (Daniel Nathan)、リーの本名はマンフォード・エマニュエル・レポフスキー (Manford Emanuel Lepofsky)。
小説シリーズでは、エラリー・クイーンは著者の名前だけでなく物語の名探偵の名前でもある。なお共作の手法は、まずプロットとトリックをダネイが考案し、それをリーに梗概などの形で伝え、2人で議論を重ねたあとリーが執筆した[3]。2人がこの創作方法をとるようになったのは、プロットを思いつく能力は天才的ながら文章を書くのが苦手なダネイと、文章は上手いがプロットが作れないリーの2人の弱点を補完するためであった。
現在はアガサ・クリスティほど広範な人気は持たないものの、日本では第二次世界大戦前から一般読者からマニアまで広く支持を集め、特に20世紀末以降の新本格派と呼ばれる作家群にはこの名を第一に挙げたり、影響を公言したりする作家が数名存在する[4]。