クレムリンの壁墓所
ウィキペディア フリーな encyclopedia
クレムリンの壁墓所(くれむりんのかべぼしょ、ロシア語: Некрополь у Кремлёвской стены、英語: Kremlin Wall Necropolis)はロシア・モスクワにある「赤の広場」のクレムリンの壁に沿って作られた墓所である。
モスクワの「クレムリンの壁」墓所への埋葬は、1917年11月に10月革命の240人の親ボリシェヴィキの犠牲者が「赤の広場」に集団埋葬された時に始まった。1921年に行われた最後の集団埋葬の後、赤の広場での葬儀は通常の場合は国家の儀式として行われ、著名な政治家や軍事指導者、宇宙飛行士、科学者に対する最後の名誉な行事として扱われた。墓所は主に、レーニン廟(1924年に木材で建てられ、その後花崗岩で建て直された)の両側に存在している。
1925年から1927年にかけて、地中への埋葬は中止されて、葬儀はクレムリンの壁自体に焼却灰の埋葬として行われた。しかし地中への埋葬は、1946年にミハイル・カリーニンの葬儀で再開された。赤の広場で高官を葬る習慣は1985年3月のコンスタンティン・チェルネンコの葬儀まで続いた。