ノート:予言/過去ログ1
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また、聖書に書かれているような預言は、全能神の言葉を預かって語ることを言うことであり、明らかに区別されるべきである。
という記述ですが、現在は「預言=予言」というのが有力な学説です。ただ、もう本記事のような認識が一般的であるのも認められるべき事実ですので、とりあえず、部分的削除だけしておきます。
- 私にはむしろ預言者#「予言者」との相違の認識の方が適切に思えますが、「預言=予言」というのが有力な学説というのは、一体どういう学問(キリスト教神学、イスラーム神学、宗教学、文学…)で有力な学説なのでしょうか。また、有力というのは、どのような文献に基づいておられるのでしょうか。Sumaru 2006年4月16日 (日) 09:10 (UTC)
- 本来「予」も「預」も「豫」という正字の異字に過ぎません。従って預言と書こうが予言と書こうが、どちらも「豫言」と言っているだけのことで意味に違いなどあるはずもありません。もともと「豫言」とは中国から輸入した言葉ですが、あちらではそのような区別は当然ありません。ミッドランドライダー 2006年8月13日 (日) 12:42 (UTC)
- もともとの用字は私も存じておりますが、日本で独自の使い分けや意味の派生が起こることは別に珍しいことではないと思います。実際のところ、啓示宗教で神の言葉を「預かる」ことを「預言」、由来に関わらず「予め」言うことが「予言」といった線引きが辞典類でもなされています。また、英訳などでも、prophecyの訳語には「予言」「預言」の双方が当てられますが、predictionの訳語に「預言」が当てられることはほとんどないと思います。大事なのは、現に日本語でどのような区分がなされているのか、ということではないでしょうか。なお、このコメントは、「現在の用法は~であるが、本来の用字としては~」といった加筆がなされることに反対するものではありません。Sumaru 2006年8月13日 (日) 15:49 (UTC)
- この問題については高島俊男氏が6月から7月にかけて『週刊文春』誌上のコラム『お言葉ですが』で連載されていたのですが、その区分自身が間違い、あるいは区分する意味が皆無で宗教学者の無知によるものという論陣でありました。高島氏の議論を援用しつつ、「予言」と「預言」を区別する事が本当に必要な事であるのか、ということはwikipediaとしても一度議論しておく事が必要かなとは思っているのですが。ミッドランドライダー 2006年8月13日 (日) 22:20 (UTC)
- 私は現状では議論すべきではないと思います。ウィキペディアで議論をして定義を定める、というのでは、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかの「まだ人類共通の知識となっていない意見を伝達する場所ではありません。」とある趣旨に反するからです。
- 私は高島氏の連載は拝読しておりませんが、6月から7月にかけて、というのなら、宗教学者や辞典類を編纂する各種言語学者といった専門家からの反応があるのは、むしろこれからでしょう(英語版でw:Prophecyとw:Predictionの記事が別々に立っていることからも、これらを区別することがかならずしも無意味だと思えませんし、誤りなのを承知の上で従来の区分を使い続ける専門家が出てくる可能性だってあります)。
- 預言者と予言の定義を抜本的に変えるのは、そうした反応がある程度出揃い、専門家や辞典類の見解に一定の統一性が見られるようになってからにすべきだと思います(おそらくそれは数年後になるはずです。気の長い話ですが、百科事典の編纂は本来そういうものではありませんか)。
- とりあえず現状では、「一般には~といった区分がなされているが、中国文学者の高島俊男からは~という指摘もなされている」というような記述を予言なり預言者なりに加筆すれば十分だと思います。--Sumaru 2006年8月15日 (火) 10:53 (UTC)