バーリ空襲
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バーリ空襲(バーリくうしゅう)は、第二次世界大戦中の1943年12月2日にドイツ空軍爆撃機がアドリア海に面したイタリアの港湾都市バーリの連合国軍部隊及び輸送艦船に対し行った空襲である。ドイツ空軍第2航空艦隊所属のユンカースJu88 105機が、バーリ港にいたイタリア戦線を支援する連合国軍将兵および輸送艦船を爆撃して、27隻の貨物船と兵員輸送船を港内で沈めた。
1時間程度の空襲でバーリ港の機能は失われ、1944年2月まで利用できなかった。このため、この空襲は小パール・ハーバーと呼ばれた。また、この空襲により被害を受けた貨物船からマスタードガスが漏れ出し、死者を出すこととなった。英米両国政府はこの事実を隠した。