徳田秋声
日本の小説家 (1871-1943) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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徳田 秋声(とくだ しゅうせい、旧字体:德田 秋聲、1872年2月1日(明治4年12月23日) - 1943年(昭和18年)11月18日)は、日本の小説家。本名は末雄(すえお)。日本の近代文学を代表する作家の一人である。帝国芸術院会員。
概要 徳田(とくだ) 秋声(しゅうせい) 德田 秋聲, 誕生 ...
德田 秋聲 | |
---|---|
誕生 |
1872年2月1日 日本・石川県金沢市横山町 |
死没 |
(1943-11-18) 1943年11月18日(71歳没) 日本・東京都本郷区 |
墓地 | 小平霊園 |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 第四高等中学校中退 |
ジャンル | 小説 |
文学活動 | 自然主義文学 |
代表作 |
『新世帯』(1908年) 『足迹』(1910年) 『黴』(1911年) 『爛』(1913年) 『あらくれ』(1915年) 『仮装人物』(1935年) 『縮図』(1941年) |
子供 | 徳田一穂 |
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石川県金沢市生まれ。尾崎紅葉門下であったが、現実社会に目を向け『新世帯』『足迹』『黴』『爛』『あらくれ』などを発表。自然主義的技法の完成者であり、静かに現実を見つめ、それを飾り気なく書き込んでいく作風で、島崎藤村、田山花袋と並ぶ大家となった。その後自然主義の衰退と共に行き詰まったが、『仮装人物』などで心境小説に新境地を開拓して復活。絶賛を受けた。その後『縮図』に取り掛かるも、戦時下に権力の干渉に遭って挫折し絶筆となった。