森忠徳
ウィキペディア フリーな encyclopedia
「森忠儀」とは別人です。 |
森 忠徳(もり ただのり)は、播磨国赤穂藩10代藩主。赤穂藩森家16代。
概要 凡例森忠徳, 時代 ...
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
---|---|
生誕 | 文化15年3月24日(1818年4月29日) |
死没 | 明治14年(1881年)12月27日 |
改名 | 詮道丸・勝蔵(幼名)、忠貫(兄の名)、忠徳 |
墓所 | 東京都港区東麻生の瑠璃光寺 |
官位 | 従五位下・信濃守、右兵衛佐、越中守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉、家慶、家定、家茂 |
藩 | 播磨赤穂藩主 |
氏族 | 森氏 |
父母 | 森忠敬、酒井忠実娘東姫 |
兄弟 | 忠貫、正綽、忠徳、青木可寿、新田貞時、森可彝室 |
妻 | 酒井忠嗣娘、小笠原長昌娘、牧野貞幹娘 |
子 | 忠弘、忠典、忠儀、四男、森某養女 |
特記 事項 | 兄の忠貫の身代わりで家督相続し、公式には同一人物とされた |
テンプレートを表示 |
閉じる