第12師管ウィキペディア フリーな encyclopedia 第12師管(だいじゅうにしかん)は、1873年から1888年と、1896年から1940年まであった日本陸軍の管区で、当時12から18置かれた師管の一つである。1873年から1888年までは四国、それから1888年までは九州北部のいずれも鎮台制の師管。1896年からは九州北部にあった師団制の師管で、制度が異なる。師団制の第12師管は1925年まで福岡県の小倉、以降は久留米に司令部を置いた第12師団が管轄した。1940年に久留米師管に改称した。
第12師管(だいじゅうにしかん)は、1873年から1888年と、1896年から1940年まであった日本陸軍の管区で、当時12から18置かれた師管の一つである。1873年から1888年までは四国、それから1888年までは九州北部のいずれも鎮台制の師管。1896年からは九州北部にあった師団制の師管で、制度が異なる。師団制の第12師管は1925年まで福岡県の小倉、以降は久留米に司令部を置いた第12師団が管轄した。1940年に久留米師管に改称した。